サンタ>ピエロ

 クリスマスが目前に迫っているせいで、デパートは全体的に慌しい熱気に包まれていた。特におもちゃ売り場は激戦区だ。我が子のためにサンタクロースを演じる夫婦が必死に子供の気に入りそうなプレゼントを選んでいた。
 サンタクロースなど存在しないと確信したのは……夢を見ることを止めたのはいつ頃だったか。俺は従業員用の休憩室でタバコをふかしながらぼんやりと宙を見つめる。ふぅーと吐き出した煙がふわりと頼りなく広がり、室内のこもった空気に掻き消えていく。背を預けたパイプイスがキィとかすかな悲鳴をあげた。
 お願いしたプレゼントと現物が違った時か。お袋が別の男と出て行った時か。親父が枕元にプレゼントを置く場面を目撃した時か。――いずれにせよ、サンタを信じなくなったのはかなり早い段階だった訳だ。
 二十歳を迎えて真っ先にやった事が酒とタバコで、その数ヵ月後にはしっかりとニコチン中毒者になってるあたり、夢もへったくれもない人間だってのはすぐに分かるだろう。親父も俺に対してサンタを演じるのは早々に諦めたらしく、誕生日もクリスマスもお正月と変わらなかった。「好きなものを買って来い」そういう言う親父の顔は頭髪同様少し寂しかった。
 そんな親に育てられた俺だから、バイトで着せられているサンタの衣装がつくづく似合わない。髪も染めてるしな。こんなにも愛想のないヤローがクリスマスケーキの街頭販売なんかしてて良いのだろうか。短期なのがせめてもの救いか。
 壁にかけられた時計を見上げる。そろそろ時間だ。俺は火を消してサンタの真っ赤な帽子を被った。一応鏡でチェックをする。やる気のない赤ピエロが立っていた。



「いらっしゃいませ~……さみ……」
 無気力ピエロの声は寒空に溶けていく。夕暮れ時。主婦に加えて学校帰りの学生も増えてきた。仲間内できゃあきゃあ言いながらケーキを見ているが、ほぼ全てが冷やかしで終わる。お前ら買えよ。そこかしこに取り付けられた華やかな電飾に反して俺の心は淀んでいた。それと言うのも同じ短期バイト仲間に「こんなのがあったんだよね~。つけてつけて」と笑顔で渡された、サンタ然とした付け髭の装着を断りきれなかったからだ。くそ、ピエロ度が増していく。隣ではそいつが「マジで似合わないしー!」と小さく手を叩いていた。
「いらっしゃいませー、いかがですかー」
 髭が口に入りやがる。うげ。
「すいません。これ、ひとつ下さい」
 ずっとケーキを眺めていた主婦が唐突に、ひとつのホールケーキを指した。おお、売れたぞ。俺は髭に隠れた口元に精一杯の愛想笑いを浮かべて接客した。
 嬉しそうな笑みを残して主婦が去って行く。きっと俺のお袋と同世代だろう。ねぎが飛び出た買い物袋が何故か俺には眩しい。味噌汁だな。俺の中でお袋の味といったら味噌汁なのだ。クリスマスに味噌汁……何とも素晴らしい選択だ。
 お袋の手料理に憧れなかったと言えば嘘になるが、親父の「男の料理」もなかなかのものだった。皿に盛るって概念がないのだろうかと疑った時期もあったが。
 お袋が恋しくないと言えば嘘になるが、親父の「スキンシップ」もなかなかのものだった。もう二度と添い寝しに部屋に突撃かまさないでくれ。
 流れるように接客をしながら(客からすりゃ態度わりぃ店員だったろうな)、俺は過去を振り返る。
「あ、サンタさんだぁー!」
 主婦や学生に紛れて響く、甲高い少女の叫び。視線を下へずらせば、目を輝かせたショートカットヘアーの幼稚園児。親らしき人物は……居ない。
「迷子かしら?」
 俺に髭を押し付けたバイト仲間が囁いてくる。「あんた、ちょっと構ってあげなよ。あたし子供苦手だし」おいこら待てよ。
「サンタさん、さおりね、おもちゃほしい」
 初対面でなに要求してんだよ、おい。勘弁してくれ……。
 俺は仕方なく、少し離れて子供の相手を開始した。どう扱えば良いのかさっぱりだが。とりあえずしゃがんで目線を合わせてみる。夢いっぱい希望いっぱいという目だ。クリスマスカラーのコートがあったかそうだな。俺は自分の貧相なサンタ衣装を憐れんだ。
「サンタさん、おもちゃー」
 さおり嬢はなおも言い募ってくる。俺はこっそり息を吐いた。
「サンタさんは良い子にしかプレゼントをあげません」
「じゃあさおり、もらえるね」
 サンタにあるまじき俺の台詞は、しかしさおり嬢を喜ばせたらしい。きゃらきゃら笑いながら俺の腕を左右に振っている。
「お父さんは?」
「いないよ~」
 さおり嬢は首を傾げた。ああ、そうだよな。母親と来てる可能性の方が高いよな。俺が訊き直すと「ママね、迷子になっちゃったの」……迷子はお前だろ。
「今日は新しいおうちに行くのに、困ったね」
 その言葉はそっくりそのままお前に返そう。それに「困ったね」と同意を求められてもその方が困る。なんと切り返せばいいのかと考えあぐねていると、群集の中から「沙織、こんなところに居たの! 探したのよ」と切羽詰った女性の声。見れば三十代半ばの、一児の母とは思えないまだまだ美人で通る顔立ちの女性がこちらへ走ってきていた。
「あ、ママー!」
 さおり嬢が駆け出し、母親の足に飛びつく。彼女の母は心底安心したような表情で我が子の頭を撫でていた。少し羨ましく思ったのは秘密だ。もし俺が飛びついたら即新聞の片隅の記事になる。笑えねぇ。
「あの、有難う……あら?」
 少女の母親は俺に礼を言いかけて、何か引っかかる事でもあったのか軽く首を傾げる。絹のような髪が動きに沿って揺れた。
「……あなた、ここの店員さん?」
「まぁ、一応。短期バイトですけど」
 俺は立ち上がる。こうすると、俺より頭ひとつ分は低い位置に女性の頭が来る。
「丁度良かったわ! ケーキを買ってから行こうと思っていたの。あなたのおすすめを教えてくれないかしら?」
 いや俺短期なんで。味とか分からないんで。そう言いかけて、やめた。さおり嬢がやたらとキラキラした目で「サンタさん、えらんでえらんでー」と騒いだからだろうか。女性があまりにも優しい目で俺を見上げてきたからだろうか。……いや、理由なんてどうでも良いんだ。
 気がついたら俺は、混雑する売り場に戻り、目に付いたいかにも子供が喜びそうなショートケーキを指さした。さおり嬢は今にもよだれが垂れてきそうな様子だった。
「さおり、これでいいよサンタさん。おもちゃは次にする!」
「いや次はないから」
 適当にあしらうと同僚から小さく笑いが漏れた。彼女の母も笑っている。母は強いな。母はペンよりも強し。ん? ……そりゃ当たり前か。
「有難う、サンタさん」
 ついには母親にまでそう呼ばれてしまった。ああいいさ、ピエロよりかは幾分マシだ。何とでも呼んでくれよ。
 俺は嬉しそうに去っていく親子の背中を見送りながら、寒さに引き摺られてきた鼻水をすすっていた。



「寒い寒い寒い……」
 まるで念仏のように同じ単語を繰り返しながら、俺は夜の住宅街を歩いていた。手には余りもののケーキ。男親との二人暮しで誰が食べるんだか。
 一軒家の並ぶとおりの奥にぽつんと存在する安アパート。二部屋リビングなし。はっきり言って狭い。それが俺と親父の家だった。やっと見えてきた。
 もうへとへとだ。早く帰って休みたい。慣れない労働に、早くも体が悲鳴をあげかけているが、あさってまではバイトが続く。溜息をつくと、白い息が空気に紛れて消えていった。
 今にも抜けそうな階段をのぼりながら考える。
 まあ、あと二日でサンタ服から解放されると思えば少しはポジティブになれそうだ。バイト仲間からは「いいサンタぶりだった」と冷やかされたが、俺はもう御免だぜ。
 玄関まで来て――俺は固まった。親父が誰かと喋ってる。ボケるにはまだ早いだろう。いや、ちゃんと応える声がある。俺はドアにべったりと耳をつける。つめてぇ。だがそんな事言ってる場合じゃない。
 ――女だ。……お、女!? 俺は急いで鍵を突っ込んだ。
「親父、何事だ!? ついに犯罪者か!?」
 薄汚れたスニーカーを脱ぎ散らかしついでにバックも玄関の隅に放り投げて、俺は台所と居間を仕切るふすまを開いた。
「ああ、お帰り」
 こたつでぬくぬくとしている親父が顔を上げた。普段だったら四角形の三辺が空いているこたつ。しかし、今日空いているのは一箇所だけだった。
「お帰りなさい……寒かったでしょう?」
「あ! サンタさんだ!」
 呆然と立ち尽くす俺を見上げる、三人。今日俺が相手をしてやったさおり嬢と、その母親。
「な、何でうちに……」
「何だ。もう知っていたのか?」
 親父が声をあげると、さおり嬢の母親は「今日、ケーキを買ったときに」とはにかんだ。親父は「そうだったのか」と頷くと、少し真面目な顔をして――そういえば今日はいつものランニングにパンツ一丁じゃなくてちゃんと服着てるな――告げた。
「良子さんと沙織ちゃんだ。今日から家族になる」
 ――はい?
 事情が飲み込めない。いやきっと理解はしてるんだろうが、俺の脳がもう働きたくないと訴えかけてくるのだ。
「いつも健気に頑張ってきた俺自身にクリスマスプレゼントだ。……あ、もちろんお前にとっても」
 どうでも良さそうに付け加えるなよ! それにどこの世界にクリスマスだからって「家族」をプレゼントフォーミーする親父が居る!? どこから突っ込むべきか激しく迷う。しかし良子さんの窺うような、不安に揺れる笑みに見つめられていたらそれこそどうでも良いことだと思った。それに親父の嬉しそうな顔といったらないな。ここ数年で最高の笑顔かもしれない。
 俺はふっと肩の力を抜いた。
「……この際だから、四人全員が余裕で暮らせる家に引っ越そうぜ」
 良子さんが安堵の息を漏らし、さおり嬢が「サンタさん、おひっこしー!」とこたつから出てきて俺の足にしがみつく。
「まあ、沙織ったらすっかり懐いたみたいね」
 良子さんが嬉しそうな声をあげた。そして俺を見上げる瞳から期待が滲み出ている。その期待にすぐ応えられるほど出来きてはいないが……
 もう少しだけサンタを続けても良いかもしれない。

UP:2007/03/12