その目に映るもの

「肝試しをしようと思います」
 ミサキが改まった調子で、私の席までやってきた。でもその顔は「むふふ」という笑い声がぴったり。絶対何かたくらんでるな。
 夏休み前の放課後、浮ついた空気が流れる教室。そわそわとしていて現実感が薄いけど、遊べるのは今年まで、という寂しい現実は誰もが認識している。来年の夏は必死に受験勉強している……予定だからね。
「肝試しって言われてもねぇ。どこでやるの? お墓とか?」
「ううん。三駅先に行ったところに、むかぁ~し閉鎖になった病院が残ってるの。そこでやる予定でーす」
 うわぁ、結構本格的な場所じゃない? 別に幽霊なんて信じてないけど、廃病院を夜中に歩き回るのは勘弁だ。
「アユム君とダイチも誘ってるの。四人なら怖くないでしょ?」
 私の心情を見透かしたように、にっこり笑うミサキ。
「ちょっと、そっちは彼氏連れなの? 私とアユムが気まずいじゃないの」
「だーいじょうぶ! アユム君って幽霊平気でしょ? 安心して身を任せられるって!」
「どういう意味よ!」
 私の抗議を無視するだけならともかく、何をのたまいやがりますか、この子は。アユムには振り回されっぱなしで、ほとほと参ってるんだから。あんなのを幼馴染に持って、私ってばなんて不幸せなのかしら。
「またまた、恥ずかしがっちゃって~。耳まで赤いよ?」
 オイシイ情報を手に入れたおばちゃんだよ、あんたの今の顔。
「ま、二人からはオッケーの返事貰ってるから。まさかあんただけ断るなんて空気読めないこと言わないよね?」
 ミサキに迫られ、気づいたら私は、手帳に肝試しの日程を書き加えていた。

 そして約束の日。懐中電灯片手に廃病院までやって来た私は、初っ端から肝を試されることになった。
「どういうことなのミサキ!」
 ミサキからのメールには『二人でごゆっくりー』というふざけた文面と、最後に真っ二つに割れたハートマークがあった。ミスにも程がある。しっかり確認してから送ってよね。
 携帯の液晶をぶち壊したくなったけど、辛うじて思いとどまった。流れる汗をぬぐって、メールの返信を打って曰く、『次会うとき、覚悟しなさい!』
 煌々とした光を放つ画面に、送信完了のメッセージが出ると同時に、隣でのんきに欠伸をかみ殺すアユムへ、
「帰るよ!」
 鋭く叫んだ。しかし、
「いや俺、せっかく眠いの我慢して来たんだぜー? 良いじゃん二人でも。行こうぜ」
 鈍感なこの男はこの状況をまったく理解してないようで、はた迷惑なやる気を見せていた。この軽い言葉だけで、こいつが私を女として見ていないっつー遣る瀬無い現実が窺い知れる。いや、別に遣る瀬無くはないわ!
「滅多にない機会だしさーっと一周して来ようって。俺なんて心霊写真撮ろうと思ってデジカメまで持ってきたんだぜ。全部無駄にする気かよ」
 水泡に帰すがいい。
 私はすぐにでも帰りたかったけど、アユムがあーだこーだ理由をつけてくる内に、
「ああもう分かったわよ! 一周すりゃいいんでしょ」
 錆びた鉄柵を越えて、ぼうぼうの草を蹴散らす。懐中電灯のスイッチオン。目を焼くような白い光が廃屋の一部を浮かび上がらせる。
「よっしゃ、行こうぜ!」
 アユムの気合とは裏腹に、私はため息をつく。
 ……この流されやすい性格、どうにかならないかしら?



 病院内を徘徊して少しすると、いや~な音が耳に届いた気がした。
「ねぇ、今……何か物音がしなかった?」
「気のせいじゃん?」
 怯える私に、冷たいというかそっけない一言が返ってきた。いや、確か入口の方で物音がしたと思ったんだけど……私は身震いする肩を抱く。
 薄暗いを通り越して、真っ暗な病院内。かつてここがいのちを支えていた場所だとは、にわかには信じがたい荒廃振りだった。打ち捨てられた器材、コードの切れた電話機、埃まみれのソファ。時の流れっていうのは、世界で一番恐ろしい怪物ね。優しいはずの月明かりも、今はおどろおどろしい。
「あー、もしかして怖いわけ?」
 意地の悪いにやにや笑い。私は出来るだけ腹に力を入れて「怖くないでっす!」否定しておいた。怖くなんかないわよ、怖くなんか。ただ思ったより雰囲気があるなーって思ってただけ。
「そういえば俺さぁ、この病院に『出る』ってウワサ聞いたことあるぜ。それも、こういう時期にたくさん」
 どうしてこのタイミングでそんなこと言うの!? 絶対わざとだわ、この男。
「白い光がうろちょろ動いたり、耳をつんざくような奇声が聞こえたり、物凄く荒い足音が響いたり……」
「あー、やめてやめて!」
 耳をふさいで、ヤツの言葉をやり過ごす。
「やっぱ怖いんじゃん、リコ」
 にたにた。そんな形容がしっくりくる。こいつと二人っきりで来たのは失敗だったかもしれない。
「怖くないって言ってるじゃない。……良いわ、音がした方にひ、と、り、で! 行ってくるから」
「おいおい、無理すんなって」
「無理してません!」
 私は鼻息も荒く、大股に進んでいく。物音がしてから少し経ってるし、きっと何もない。ないに決まってるわ。
 音がしたのは、多分待合ロビーだったはずよ。
 私をあざ笑うかのように、伸びた廊下はしんと静まり返っている。いや、相手は超常現象。嵐の前の静けさかもしれない。……どうしてこういう時って、変な考えしか浮かばないのかしら。
 左右に並ぶ、閉じたドアが私を追い詰めていく気がして、嫌な気分。いきなり何か飛び出してきそう。こう、ぐわぁっと……。
 しかし。私の妄想とは違って、何事もなくロビーまで到着する。まだ見えないけど、この角を曲がればロビーの全貌が明らかになる、という絶妙な位置で足を止めた。
「なーなー。リコさーん? 素直に俺と一緒に行こうぜー」
 トコトコとついてくる気配にちょっとだけ安心したのは秘密だ。でも、私にもプライドってもんがある。彼を制止して、そっと覗いた。――うーん、結構荒れてるわね。モノが転がって、埃が積もって、でもそれだけ。暗く濁った空気がふうわりと全身を撫でていく。
「なーんだ、やっぱ、何も居ないじゃん」
 わざと大声を出してみる。反響する語尾が不安定に揺れた。ほっと胸を撫で下ろして、でも前方に視線を向けた私の目に飛び込んできたのは――
 ウワサの怪奇現象その一、荒い足音。暗がりの中からぬぅっと姿を見せる足足足足。そして強烈な光が私の瞳を突き刺す――!
「……ぎ、ぎぃやああああ!」
 叫ぶと同時に、のんきな相棒の元へと駆け出す。白い光は、その場で不規則に激しく揺れて、けれど私を追ってくるようなことはなかった。



「ちょ、ちょっと今の聞いた!?」
 私はアユムの首筋を引っつかんでぐわんぐわん揺らした。抑えようと思っても声の震えは全然消えない。怪奇現象は実在したのよ! ……現象が実在っていうのはおかしいかしら? まあいいわ!
 見上げると、アユムは放心状態で前を見つめていた。デジカメを両手で持ち上げて、唇をわなわなとさせている。ちょっとは怖かったのかしら。
「ちっくしょー、写真撮れなかった!」
 こいつちっとも怖がってない……。い、意外とタフな精神じゃない。ただの天然だと思ってたけど、案外頼りになる――いやいや、絶対ないわ! あほだから今の現象もスルーしちゃっただけよ。
「ど、どうする? もう止めとく? 本当はあんただって怖か」
「いや、ダメだ! 大変宜しくない心霊写真を撮って、一緒にお祓いに行こうぜ!」
 いやよ私、そんな末路。どうしてわざわざ呪われにいく必要があるの? アユムの脳内を一度覗いてみたいわ――そういえば、少し前にネットで「脳内メーカー」なるものが流行ってたらしいわね。そのときにやってもらえば良かったわ。
「お祓いなんて冗談じゃな、い……」
 待って、一緒に行くのよね。これはもしかして、天然アユムくんからのデートのお誘いってやつ? 有り得ない……とは断言できないわね。
「……二人で行くの? お祓い」
「ダイチとか連れてっても仕方ないだろ」
 ……。それにほら、せっかくの誘いを無下に断るのも、ねぇ?
「い、いいわよ。お祓いでも何でも、付き合ってあげようじゃないの。万が一呪われてたら、気味悪いし」
「よっしゃ! んじゃあ、遠慮なくバシバシ撮っちゃうぜー」
 遠慮しろ、少しくらい。本当にさっきのが写ったらどうしてくれんのよ。
 息を吐いて、薄汚れた窓を見た。曇ったガラスの向こうで月が光り輝いている。物静かな月の光は、廃病院には届かない。まるで私を避けているよう。
「ほら、つぎつぎ!」
 私の心境なんてまったく知らず、アユムはデジカメを握り締めて、足取りも軽やかに歩き出す。パタパタ、と楽しそうなビーチサンダル。
 この状況を面白がれるアユムの神経の図太さを、初めて羨ましいと思った。



 朽ちていくだけの建物は、独特の哀愁と寂寥を漂わせている。不安定なまま放り出された器材が、ついに重力に負けて落下する音が、悲しくこだまする。さっきの音もそうだと思いたいけど、あんなの見ちゃったらもう、嫌な想像しか浮かばない。まだあれからあまり移動してないけど、次いつ出てくるのかと思うと、気が気じゃない。
「ねぇ、私疲れてきちゃった」
「じゃあここで待ってるか? リコ一人で」
 わざと「一人で」を強調してくる。うぐぐ、なんて嫌なやつ。
「もう少し女っぽく怖がってくれれば、こっちとしても対処のしようがあるんだけどなー」
「何よそれ、私のどこが女らしくないっての!?」
 本っ当に乙女心の分からないやつ。相手にしてるだけ無駄、とばかりに話題を変えることにした。
「あーあ、なんでこの季節に出やすいのかなぁ。本当に集中的に出てくるよね」
「気合入るんじゃねーの、このくらいの気温だと」
 何だそれ、と笑いあった。ピリピリしていた私の神経が和らぐ。さっきまでは冷たい発言が目立ったけど、こいつの二割くらいは優しさで出来ているらしい。たまに緩い空気を生み出しては私を和ませてくれる。
「ほら、俺たちだってアテもなくふらふらしたりするじゃん。そんなモンだ」
 別にこの季節限定って訳じゃないわよ、私は。何となく納得できないけど、きっと、全てを理解しようとするのが間違いなんだろう。私達もふらふらする、向こうは向こうでうろちょろする。世の中それで回ってるのよね。ちょっと迷惑だけど。
「まあそれで納得してあげる――」
 言うや否や、私は不穏な音を聞く。反響しあって音の出所が分からない――足音。近いかもしれない。
「ちょっと、聞こえる?」
 返ってきたのは肯定。眉をひそめて、周囲を窺っている。
「こっちに向かってるか?」
 音は途切れることなく続き、だんだんとその距離を縮めている。カツンコツン、と不気味な不協和を奏でている。ぞわぞわと体を這い回る虫のような薄気味悪さ。一歩一歩確実に、私達を目指している。たまに足音以外の音と、光の点滅も見える。うう、これは結構本格的な現象……。
 絶対に鉢合わせたくない。心では思っていても、根が張ったように足が動かない。本当にこういうことってあるんだ、と頭の隅で考えながら、二人で嵐の到来を待つ――。



 この、遊園地のお化け屋敷なんて比じゃない雰囲気の中、観光気分のアユムは数撃ちゃ当たる、とでも言いたげに写真を撮り続けている。でも何も映ってないようで、画面を確認しては肩を落としていた。
「何も映ってないなら消せば良いのに」
 私のもっともな指摘に、「いや、印刷したら何か出てくるかもしれないだろ?」と大事そうに保存している。
「あー、はいはい」
 適当に流すと、アユムは唇を尖らせて反論する。
「『ユイナ』は楽しみじゃないのかよー? さっきの絶叫幽霊、絶対に写真に収めるぜ! 予想では男の霊!」
「いや別に……」
 どうしたら楽しみに出来るのか、説明して欲しい。アユムの頭をかち割って脳内を覗いた方が早そうだから説明は求めないけど。
 それにしても、病院は静かなものだった。私達の足音以外は何も聞こえない。たまにモノが落下してる音は、老朽化のせいにしている。アユムはご丁寧に全てカメラに収めていた。
 誰もいない病院で、年頃の男女が二人きり。小説なら何か起こりそうなシチュエーションだけど、現実はそう甘くなかった。幽霊が平気なら怖がってる女の子を安心させるとか、先導して歩くとか、そのくらいのジェントルマンは許されると思うんだけど……彼には何も期待できそうになかった。きっちり並んで歩き、私を無視してシャッターを押す。
 ――緊張してる私が馬鹿みたいだ。いや、みたいじゃない。馬鹿だ。
「なぁ、何か聞こえないか?」
 思案に没頭してた私を呼び戻したのは、アユムの不審そうな声。足を止めて耳を澄ましてみると……
「えーっと、笑い声に、聞こえた」
「だよな?」
 よくある子どもの笑い声とかじゃなくて、むしろ私達が友達同士と馬鹿やりあってるときの、あんな声。複数の幽霊が一堂に会してる、とか……想像するだけで倒れそう。
 私が苦い顔をしていると、アユムはきらきらした瞳で、言い放った。
「よし、行ってみよう!」
 返事も待たずにパタパタと駆け出していく。「あ、ちょっと……」一人にするなバカ! 飲み込んだ叫びは駆け足に代える。
 二人の靴音が反響して、自分の出してる音だと自覚していても耳に障る。この足音を聞いた幽霊は一体どう思っているのやら。うるさい、とでも罵っているだろうか。
 懐中電灯に照らし出された揺れる空間が、うきうき感満載の背中が、私を導いていく。やがて笑い声の場所に辿り着き――。

「やっほー、ユイナちゃん。肝試しはどうだった?」
 後日、ミサキと私は喫茶店で紅茶を啜って向き合っていた。外との温度差が激しすぎて、これならホットを頼めばよかったと後悔してる。
「どうもこうも無いわよ!」
 上着の前を手繰り寄せながら吐き捨てた。「話と違うじゃないの、説明しなさいよ!」きつく詰め寄るが、ミサキは私の剣幕などどこ吹く風。さらりと「だってそうでもしないと進展しないと思ったから」と言いやがった。
「それで、どうだったの?」
 楽しそうに、それはそれ楽しそーに、身を乗り出してくるミサキに、私は一枚の写真を手渡した。正確に言うなら、写真のコピー。
「……これ、マジの?」
 心霊写真です。ミサキが青ざめる。クーラーの設定が一気に下がったような気がした。
「ハハ、マジで幽霊居たんだ……」
「アユム自慢の一枚よ」
 返してもらった写真をしげしげと眺める。
 その写真に、幽霊は二人写っていた。輪郭がぼうっとしててよく分からないけど、多分男女じゃないかな。
 男の幽霊の方が、まるで私達からもう一方をかばうように抱きしめてる――そう思いたくなるような写真だった。
 印刷しても何しても、幽霊が写っていたのはこの一枚だけ。でもこんな見事な心霊写真は撮れたけど、結局お祓いには行かなかった。だって、絶対に無害だもの……怖いのは確かだけど。それよりもむしろ、
「何だか、ご利益がありそうだもんね」
「は? 何か言った?」
 首を傾げるミサキに、
「なんでもなーい」
 笑顔で首を振った。

UP:2008/09/01