旋律は慈しみて

 地下牢ってのはそりゃあ陰鬱な処さ。死刑が決まった囚人どもが一様に、生気なんてもんを忘れて過ごしているんだからな。湿っぽいったらありゃしねぇ。こんな場所にずっと居たら太陽の光だって思い出せなくなっちまう。
 俺は今日も松明の光に照らされた石造りの壁を無為に見つめては、囚人どもの呻き声を子守唄にうつらうつらするんだろう。こんな仕事にしかありつけなかった自分が悔しいねぇ。
 ああ、歌といえばよ、以前……十年くらい前か? まあなんでもいい。一人の囚人が連れてこられたんだよ。「また増えたな」程度にしか思ってなかったんだが、その日はいつもと様子が違った。じゃらじゃらと不気味なほどに鎖の音を反響させてやって来たのは、若い女だった。その鎖の厳重さにはこっちが驚いたね。だが、本当に驚くべきはそこじゃあねぇんだよ。その時の衝撃は今でも忘れられねぇ。
「看守さん、看守さん」
 唐突に俺を呼ぶ声がした。
「どうした」
 回想から引き戻された俺は無愛想に応じる。看守部屋を出て右にひとつ行った牢獄。そこで、最近連れてこられた四十歳前後の男が不気味に笑って鎖を鳴らしていた。暗がりの中に居て全貌は見えねぇが、ちらりと見え隠れする病んだような表情が印象深い男だ。
「なんか用か。飯ならまだ先だぞ」
「なんか面白い話してよ。退屈」
 こいつの図太さにはほとほと参っちまう。俺は鼻を鳴らしてその場から去ろうとした。囚人のご機嫌なんぞ窺ってやる必要もねぇ。
「ちょっと待ってよ、じゃあせめてこれだけは言わせて」
 背中に男の声が縋る。
「一番奥の独房さ。何なの。変な声が聞こえて来るんだけど」
 俺はその言葉にぎくりと足を止めた。この通路を真っ直ぐ行った処にある、ここでも一番厳重な牢だ。親殺しなんかの重大な罪を犯した者が入れられる最も陰気な場所さ。
「おめえの気のせいだろうが」
 俺は可能な限り冷静に返してやった。
「そんなわけないよ。はっきりと聴こえてくるんだよ、歌が――」
 俺はその言葉にただ愕然とするだけだった。 
 過去、あの独房に何が居たかなんてこいつが知ってるわきゃねぇ。声が聞こえたなんつうのも、どうせ口からでまかせだと思っていた。
 しかし――
「歌、だと?」
 過去一度も、そんなものは聞こえたことがない。けれど己の罪を突きつけられた罪人のように、俺の声は確実に震えていた。
「ああ、そうさ、歌だ!」
 俺の声色に気づかないらしく、俺が話に乗ってきたことを男は素直に喜んだ。
「綺麗な女の声なんだがな。昼夜構わず突然歌いだすから、こっちとしては何とかして欲しいんだよ」
「あの独房にゃ……誰もいねぇよ」
 俺の言葉に、陽気に話していた男の気配が強張る。じゃらり、と鎖を揺らして、それっきり何も言ってこなくなった。怖気づいたか。
「気をつけるこったな。あんま騒ぐと呪われるぞ」
 更に男の気配が縮こまる。良い気味だ。
 勿論そんなのはでまかせだ。あいつが人を呪うわきゃねぇのは俺が一番良く知っている。
「看守さん、何か知ってそうな口振りだね」
「あん?」
「話してよ、退屈だから。それに隣人のことくらい知っておかないとね」
 隣人と言うには結構な距離があるが。まあ、さすがの俺もそんな無粋な突っ込みはしねぇ。
「後悔しても知らねぇぞ」
「しないしない」
 男はあっさりと言い放ち、鎖が許す範囲で俺に近づいてきた。
 俺は少し考えた末、冷たい廊下に腰を下ろした。立ち話で済ませられるほど短い話じゃないんでな。
「良いだろう、そこまで言うなら話してやる。そうだな……一昔前にキメラ作りが貴族連中で流行ったのは知ってるか?」



 キメラって言葉くらいおめえだって知ってんだろ? そうさ、あのいろんな動物を掛け合わせて一匹の獣を創り出すっつうあれさ。それがよ、次第にエスカレートしていったわけだ。なんとまあ貴族の考えることは分かんないねぇ。ついには人間と動物を掛け合わせ始めたのさ。犠牲になった人間の数はいまだ把握されちゃいねぇが、聞いた話によると一万は下らねぇそうだ。そのほとんどは「輸入されてきた」異国の下層住民だって話だぜ。
 それで更に連中のイカレ具合を示すとっておきの出来事がある。何だと思う?
 ……はっ、そんな真面目に考えなくて良い。反吐が出るからな。
 その出来たキメラのうち……ああ、中でも人の部分がしっかりと残っているやつだ。そいつに、ガキを孕ませやがったのよ。信じられるか? 普通のキメラがどうやって生まれるのかは知らないが、断じて、女の腹からじゃねぇ。
 使用人呼び集めて、さながらパーティでもするかのような……外道なんて言葉じゃ片付けらんねぇな。
 キメラの女も、やらされた男も、さぞや苦痛だっただろうよ。ただ金持ちの道楽のためだけに、どうしてそんなことせにゃならねぇんだってな。
 あ? ああ、ガキはどうしたかっつうとだな。驚いたことに無事生まれてきたよ。――生まれながらの化け物としてな。
 母親となったキメラは山羊の血でも混じっていたんだろう。生まれてきたガキには立派な角があったよ。あと、胸も確か四つはあったな。幸か不幸か、ほとんど人間と変わらねぇ女の子だった。寧ろ可愛いとさえ言える顔立ちだったんだ。産声も人間の赤ん坊のそれと変わらねぇ。
 その場に居合わせた使用人達は皆目をそむけたよ。想像以上に人間らしいガキだったから、あまりに痛々しくて見てらんねぇのさ。
 唯一貴族の野郎だけは、自慢のコレクションが増えて大喜びだったがな。その後も数回に渡ってキメラと人間の子どもを作ろうとしていたが、成功したのはそいつだけだった。
 貴族は不満だったようだが、それでも最初の子があまりに可愛く、好事家どもの羨望の眼差しを勝ち得たから、しばらくしたらそれでもう満足していたよ。
 ――しかしだな、やっぱ普通の人間じゃ耐えらんねぇんだよ。ある日、惨劇に我慢ならなくなった使用人達がこぞって逃げ出したんだ。
 貴族連中の狂った道楽はすぐに世間に知らされ、国中の非難の対象となった。国王は――まぁ、ヤツもその好事家の一人だったわけだが――騒ぎが手に負えなくなる前に手を打っていたよ。白々しくも「こんな非人道的な行為が罷り通って良いはずがない」なんてぬかしながらな。
 好事家達ってのは繋がりは強いんだが、絆は脆いみてぇだな。一人捕まえただけで、後は芋づる式にキメラ愛好者が捕まっていったよ。ある種の快感だったな、ありゃあよ。全員が無期懲役に近い罰を受けることとなったが、人間を扱った野郎どもは全員死罪だ。件の貴族の公開処刑には都市中から人が集まったよ。
 キメラ達のその後? 殺されたのも居るが、ほとんどは自滅だな。自殺じゃねぇぞ。国の兵士に追っかけ回されて、不安定だった体がどんどん千切れていったのさ。あの光景は思い出しただけでぞっとするぜ。血の海とはまさにあの事だ。二度とゴメンだね。
 ……意外そうな顔だな。キメラってのは無理矢理引っぺがしたりくっ付けたりしてるせいで、結構脆いんだぜ。見た目は醜悪なのが多いが、気性もそれ程激しくない。あんまり暴れると自分の首を絞めるっつうことを本能的に知ってるんだろ。
 ガキの母親? あいつはとっくに居ねぇよ。ガキ生んだ日に、そのままだ。キメラの体が出産に耐えられるわきゃねぇ。子供が生まれたのだって奇跡に近ぇんだ。……何だよ、お前がそう暗い顔すんじゃねぇ。
 確かに連中は非人道的だったが、そんな庇護者を失って困る奴が居る。使用人? ちげぇよ、どうしたらそんな結論に達するんだおめぇはよ。
 あいつだ、さっき話したガキさ。成長が異様に早くて見た目こそ成人した女だったが、そん時の実年齢は二歳かそこらだった。でもまぁ、本能で何かを感じ取ったんだろうよ。自分を殺そうとする兵士達を次々に殺していったのさ。圧巻だった。そいつは今まで観賞用として例の貴族に飼われて居たんだが、その鬱憤を晴らすが如くの、物凄い暴れっぷりだった。体も人間並みの丈夫さを授かっていたみたいだ。
 ――だがまあ、所詮はガキだ。



「なに、その子どうなったの?」
「お前なあ……」
 なんだってこう、良いとこで腰を折るかねぇ。俺は不機嫌に唸る。
「上手く逃げ回っていたみたいだが、数年後あっさり捕らえられたよ」
「……秘密裏に殺された?」
 それを今から話そうってんじゃねぇかよ。俺が睨んでやると、男は「へへへ、ごめんごめん。続きをどうぞ」と促してきた。



 表向きにはその時処分された事になってんだがな。実は、こっそりと生かされていたんだよ。その力を軍用として使えないかってな。正式に国の方針が決まるまでのそいつの「保管場所」が……例の独房ってわけだ。
 その時の光景は今でもはっきりと覚えている。目隠しと轡をされて、拘束衣の上からガチガチに鎖で縛られて、引き摺られるように……なんて生易しいもんじゃない。モノ同然の扱いで連れて来られていた。女を連れてきた兵士達の真っ青な顔は傑作だったな。……まったく、笑っちまうよな。たかが一人のガキに。多分捕まったときでさえ実年齢は五歳くらいだったんじゃないか。
 その連れてこられた女が例のガキだって知って、俺は最初逃げ出そうかと思ったぜ。もう本当におったまげたな。頭を殴られたような衝撃は、今でもはっきり覚えている。



「それで、歌とどう関係があるわけ?」
 こいつ……人の話は黙って最後まで聞けって教わらなかったのか。額に青筋が浮かびそうになったが、俺は寛容な心をもってして、深く太く息を吐いた。
 まぁ、良い。俺も喋りすぎた。
「だから、単純にそいつが歌ってたんだよ。その独房で」
 俺は端的に結論を言った。
「……なに、じゃあ、今でも未練があってうんたらかんたら……ってわけ?」
「あいつが未練に思うだけの事がこの世界にあるのか、俺には分からんよ」
 当時の様子を思い出して息を吐いた。ここに連れて来られた時、あいつはもう執着心を失くしていた。自分の命にすら興味を示さない女が、そんな結末を迎えるだろうか。
「ねぇ、早く続き話してよ」
「てめぇ……」
 話の腰を折ったのはどこのどいつだ。



 独房に入ってからもそりゃあご大層な拘束のされ方だったが、国王が使いたがってるって事実があいつを護っていた。中はそれなりに整えられて、飯も三回きっちり、十分すぎる程与えていた。囚人としては破格の待遇だろ?
 俺は最初こそびくついて世話してたんだが、そいつがあまりに大人しいんでね……つい鎖を緩めたのさ。目隠しも轡も常時外してやった。それからしばらくしてからだな、あいつが歌いだしたのは。来てから言葉すらまともに出さなかったあいつが、妙に綺麗に歌いやがるんだ。まるで、そうだな……何かを求めているような、そんな声だ。……なんだよ、そのニヤニヤ笑いは。こんなおっさんが詩的で悪かったな。あんまりふざけた事ぬかすようなら俺ぁもう行っちまうぜ。――ふん、現金なやつだ。
 あいつはどんくらい独房に居たっけかな。確か一月は居たはずだが、正確な時間は俺も覚えてねぇ。あの日も俺は、いつもと同じように飯を持って行ったんだよ。
 そしたら――死んでやがった。飯は食ってたし、外傷もなかった。はっきりとした原因は今でも分からんが、おそらく……寿命だろうと思ってる。
 今にして思えば綺麗な死に顔だったな。あれだけ不自由な生活を送って、あんな顔して死ねるんだって、場違いな感動すら浮かんできた。
 国王は残念がっていたが、周りの連中はホッとしたんじゃねぇか。奴らは俺に同情すらしていたかもしれねぇ。口封じの名目で消されもせず、俺はこうして今もこの仕事をしている。



「……オチも何もなくて悪いが、これが歌にまつわる話だ。これ以上のことは分からん」
 俺は肩をすくめて見せた。女の遺体は密かに燃やされ、独房も綺麗に掃除、消毒を施されてヤツが居た形跡なんて微塵も残っちゃいない。
「俺もすっかりここが馴染んじまって、ろくな死に方しねぇな」
 それでも、この仕事に就く前――精神構造の違った主人に仕えていたあの時代よりは、平安に暮らせているのは間違いない。
 俺に……俺たちにもう少し勇気があれば、あんな悲惨なことは起こらなかったのかもしれない。――いや、よそう。今更言っても栓無いことだ。
「ううん、面白かったよ、看守さんの話。ねぇ――次は僕の話も聞いてくれる?」
 男はくすくすと不気味に笑っている。暗がりの中で、病的な瞳だけが怪しく光ったように見えた。
「僕は昔、何でも屋って感じでさ。金さえ貰えればなんだってしたんだ。殺しも経験したことあるよ、あんまり上手くないけどね」
 返事も待たず、男はすらすらと話し始める。その内容に反して、声はいたって軽かった。
「でも僕は非常に後悔していることが二つあってね――ひとつは、倫理的に許されない子どもを作ってしまったこと。もうひとつは、命懸けで僕を訪ねてくれたその子どもを、金のために売ってしまったこと……」
 松明が、一瞬だけ勢いよく燃え上がる。
 俺はそのとき、初めて男の顔をまともに見たのだった。

UP:2009/01/05