崩壊の十字架

 鮮やかな花々が咲き誇る草原で、彼は私を抱きしめて言いました。
「時が流れても、またいつかこの場所で」
 ――その言葉が孕む矛盾を、あの時の貴方も私も、欠片ほどにも気づけなかったのでしょう。



 屍の転がる大地で、私は独り物思いに耽っていました。かつては戦場で死神と畏れられた私も、戦が終わってしまえば無用の長物。邪魔者以外の何ものでもないのです。
 無敵、無敗、最強の将軍。そんな言葉が賞賛や畏怖と共に送られました。
 私に敵は居なかったのでしょうか。
 私は本当に負けなかったのでしょうか。
 ただ力に振り回されて我武者羅に敵を薙ぎ、地べたを這い蹲る相手を踏み躙り、命乞いの言葉すら切り捨てて。
 嗚呼――私はただ、力に支配された愚か者です。この手は剣を握る以外、何の使い道もありません。
 けれどそんな血にまみれた私に、彼はああ言ったのです。
『この場所で』
 それがどれだけ私の救いとなったでしょう。淡い、恋心とも言えぬ小さな感情が、その約束に守られて血に濡れずに済んだのです。戦場で背中を任せた彼の温かさが、私の最後の人間らしさを守ったのです。
 そしてここは……約束の場所です。屍しかない、この荒野が。あの時私達の目に映っていた美しい草原は、もう何処にもないのです。
 草原を荒野に変えたのは、ほかならぬ私。この地が残っているという前提があってこその、あの約束だったと言うのに。
「う、あぁ――」
 膝を折った私の口から漏れたのは、小さな嗚咽でした。将軍として生きた二十年以上、一度たりとも涙を流したことなどなかったのに。
 地図からも消え去った、この腐臭の大地を、彼はどうやって見つけると言うのでしょう? そもそも、彼が生きているかどうかも、知らないのです。
 彼との約束だけが私の支えだったのに……私は……。
「――」
 いつまでもこうしては居られません。涙を拭い、歩を進めました。屍が恨めしそうに私を見上げています。私が屠った者達なのでしょう。
「……――」
 ふと私の前に立ちはだかったのは、一際高く築かれた、屍の山。今更、どこに行くアテもない私の、行く手を阻むと言うのですか?
「ふ、ふふ……」
 何が可笑しいというわけでもないのに、自然と笑いが零れてしまいました。
 向かうところ敵なし。嘘です。
 負け知らず。有り得ません。
 私は鈍く光る剣を抜き放ちました。
「きっと私は……私に、負けたのです」
 柄を両手でしっかりと握りしめ――地面に突き立てました。愚者として戦場を駆け回った私は、どうしようもないほど、自分に対して無防備でした。せめてこの小さな感情を育てていれば、何かが変わっていたでしょうか。
 けれどそれも、もう過ぎたこと。
「この想いも、約束も、何もかも。この地に捨てましょう」
 剣は墓標。崩れ去った私の全てを大地に縫い付ける、鋭い十字架です。
 祈りの文句は知りませんが、手を合わせて――
「……将軍、貴女なら生き残っていると思ってましたよ」
 背中に降りる声に、はっとして振り返りました。
「あぁ、もう将軍ではありませんね……お名前で呼んでも良いですか?」
 そう言って私を抱きしめる腕は、あの時と同じ温かさ、強さでした。
「勿論よ、えぇ、呼んでちょうだい――!」
 確かにそこに彼が居るのだと、抱きしめ返した腕に力を込めました。



 ――私の後ろで剣が音もなく倒れたのは、結局誰の目にも留まることはありませんでした。

UP:2008/07/26