in ruins

「神の創りたもうた傑作を知っているか? 人間じゃ。では、その人間が造った傑作はなんじゃと思う? 神じゃよ。あれは本当にケッサクじゃった!」


 アナスターシャ。
 ここは理想郷と名づけられ、理想を忘れ去った世界の心臓。
 心臓、とはもちろん比喩でしかないが、ふと足元を見下ろせば、大地の確かな脈動が感じられるようである。死に向かっている世界を、懸命に生き永らえさせようとしているのか、それとも、すでに見放しているのか。ただの人にそれを知るすべはない。 
 霜で真っ白になった木々が肌を刺す。邪魔だ。無造作に枝を手折ればその先から、紅の水がぱたぱたとたれる。冷たい感触と毒々しさに、反射的に手を引っ込めた。
 木の根元には鮮やかに過ぎる四弁花。血の跡から咲くといわれている花である。
 ここではあらゆるものが刺々しく――傷つけられた世界が、紅い毒を以って人に抗議しているかのようだ。
 ケディッドは小さく舌打ちした。赤のついた手で、すっかり白くなった服を乱暴にはたく。数千の軍勢を前にするよりも気が滅入る。
 詩人ならばこの光景を、幻想的だと評するかもしれない。暖色と寒色の対比に美を見出すかもしれない。しかし無骨な剣士にとってはただ寒いだけの、死に魅入られた空間でしかなかった。彫刻家が戯れに、終末を自然に見立てたかのようで、すべてが別格の薄暗さをたたえている。
 それもそうだろう。
 導きの意思を失い、世界を滅亡へ誘う邪神と成り果てた豊穣の女神、血に狂うシミュラクラ。
 彼女の住まう地なのだから。
 腰の剣、その感触を確かめる。ケディッドは彼女を討つために、来た。
 荒廃した、長き道のりを。
「ほぉう。このような地に人間とは」
「――誰だ!」
 視線で声の主を探す。震わされた空気が氷の枝葉を揺らす。このような地に、はこちらの台詞だった。なぜ女がいる。ほとんど条件反射で、手は剣の柄を握っていた。いつでも抜剣できる状態である。
「世界を嘲る紅、かの地で慈愛の白金を飲み込む」水面を揺らすひとしずく。その静けさのごとく、反響する声は頭をなでる、「この詩を知っているか?」
「大昔の、神の滅びを詠った詩だろ。――まさか、お前が?」
 有名な神話の一節だ。ケディッドでさえ知っている。
「妾は、輪廻することなくこの地に留まり続けておる。神を滅する人間を迎えんがためにのう」
 くっく、声はおかしそうに笑う。ケディッドの言葉を聞いているのかいないのか。
「伝承によれば、詩人は男なんだがな」
「真実とは、永き時にあればあるほど自然と歪曲されていくものじゃて」
 声はあくまでも落ち着き払っている。ケディッドもそれ以上問うことはしなかった。詩人の性別など問題ではない。
「それで? 神を滅ぼす人間を迎え撃とうって腹か?」
 声は呆れたように言う、否、と。
「分からぬやつじゃ。あやつのところまで案内してやると、そう申しておる。人だけでは辿り着けぬよ」
 柄を握る指の力を抜きかけて、再び握りなおそうとする、声はそれを見透かしたようにたたみかける。
「邪神を守って妾になんの得がある? 益どころか害でしかない存在じゃ」
 ――女のことを簡単に信じてしまったのは、逸る心ゆえか。声に導かれるまま、寒さの中を歩き出す。
「男」尊大な調子で問う、「名はなんという」
「ケディッド」短く答えたあとに「聖騎士をしていた」付け加えた。
「ほう?」声は興味深そうに言葉尻を持ち上げる。
「護るべき聖女さまはどうした?」
「していた、と言っただろ。とうの昔に死んだ。血反吐はきながらな」
 無遠慮な問いに、どこにいるとも知れない女をにらみつけた。
 死の瞬間にあってなお世界の行く末を案じ続けた最後の聖女オフェリア。「お願い、私の代わりに……」すべてが紡がれることなく、彼女は事切れた。幼さの残る美しい顔を、死への恐怖ではなく、世界のために歪ませながら――。
 ケディッドは当時を思い出して、足元に咲く花を無造作に蹴散らす。
 先々代のときから世界は、やや傾き始めていた、と書は語る。それは自分たちの信仰が、弱いからいけないのだと、人々は祈りをささげた。けれど荒廃はとどまることを知らず。若き先代聖女の死が女神への不信感を増大させる。
 最後、人々の信仰心にとどめを刺したのが、オフェリアの死だった。荒廃は人々から食糧を奪い、疑心を植え付け、戦を招いた。多くの命が失われ、大地は赤く染まって――どうしても断ち切れない負の連鎖が続く。
「ほっほ。女神の化身が三代続いて変死したとなれば、信仰心も薄れて当然じゃのう」
 そうして、女神の代弁者は途絶えた。人ももう、女神の言葉など聞きたくはなかったから、ちょうどよかったのだと、胸をなでおろす者もいた。
 冗談ではない。では、オフェリアはなんだったのだ。
 そう叫びたい気持ちをこらえて、ケディッドは今日まで生きてきた。
 後を追う代わりに、女神への復讐に身を燃やして永らえた。
 世界を救うなどと大層なことは言わない。ただオフェリアの望んだ世界のために、この剣はオフェリアのためだけに使う、そう決めたのだ。
「着いたぞ、ケディッド」
 唐突に女が言った。長年の復讐の成就をさせる瞬間には似つかわしくない、ひどく軽い声で。
 眼前には、ただ紅の湖が広がっている。今まで歩いてきた道のりと変わらず、気の滅入るような寒さと毒を兼ね備えながらも、どこか無機質な刃のような鋭さを持っていた。
 ぞわり、と空気が震え、水面が波紋を広げ始める。
「シミュラクラ……」
 憎悪もあらわに、低く名を呼ぶ。同時に剣を抜き、間合いを瞬時に詰める。
 しかしケディッドの剣が女神を貫くより早く。
 ただ揺れているだけの水面がしぶきを上げて堅牢な城壁のごとく、女神との間を断つ。世界が邪神を守っている――なんとも言えない違和感が胸を焼く。
「くそっ……」
 後方に飛ぶ。飛び出た悪態は何に対してか。
 水中から見る景色のように揺れる視界の先には、世界を衰退させ自然を失わせた狂乱の女神がただ紅の湖水に佇んでいる。ケディッドの殺意にも水壁にも関心を示さず、ただ虚空を見つめていた。しなやかな肢体を惜しげもなくさらし、その美で、すべてを服従させるかのように。
 肌を刺す冷気の中にあって、平然と立ち、大気が彼女を避けているかのようだった。
 ここに、女神を損なうものはなにもない。
 長いトウヘッドを揺らしてケディッドを振り返る、その暗い瞳に射抜かれて、一瞬寒気が走る。
「お前の命を、貰い受けに来た」
 重圧を跳ね返そうと、改めて剣を構えた。刀身に光が反射するその様が、ケディッドの復讐心を研ぎ澄ます。
「私の命を?」
 人形めいた表情を崩さず、女神がくちびるを動かす。水泡のごとき淡い声音。
「なぜですか?」
「なぜ、だと?」
 ゆらり、と一歩近づく。切っ先が震えているのは、怒りのせいだ。
「人間も、自然も、なにもかもが衰退した! お前のせいだろう! お前が世界を、めちゃくちゃにしたんだろう!?」
 神としての役割を喪失しただけならまだいい。それならば人間は、女神を忘れるだけで、もしかしたら、すんだかもしれない。
「私は、あなたがた人間が望むように世界を導きました。人間の繁栄だけを願っています」
 邪神はぴしゃりと言い切った。ケディッドはそこに、静かな狂気を垣間見る。
 傾いた豊穣神。存在自体が、あまりに病的だった。実り豊かな大地に佇んだなら、違和感で人を殺せるだろう。
「人を導くには聖女が必要です。オフェリアが死んでからもうずいぶん経ちましたが、なぜ次の聖女を用意しないのですか? 簡単なことですよ、あなた方が誰かを聖女だと思えば、それが聖女となるのですから」
「黙れ……オフェリアの名を呼ぶな」
 うめく。聖女を――オフェリアを使い捨ての道具のように言う女神に、苛立ちと怒りが募る。
 いまさら導くだと? 今の世界は、繁栄とは正反対ではないか。
 オフェリアの血にぬれた手が今も、この頬を撫でているかのような錯覚が、ときおりケディッドを襲う。それは彼女の嘆きや悲しみのように思えて、だからこそ、シミュラクラの物言いが癇に障る。
「人が私を求めたのです。人が私に望んだのです。私は人間を愛しています。私はすべてに応えました。なぜなら人が私を」
「黙れと言っている――誰もお前など望んでいない!」
 耐えかねて、女神に踊りかかる。女神は振りおろされる刃を見すえて、しかし動こうとはしなかった。ケディッドに躊躇の心があるはずがなく、生肉を調理するかのように容易く、女神の体を切り裂いた。
「造ったのです、か、ら」
 かしいだ体は肩から胸にかけてぱくりと裂け、しかし血は流れなかった。傷口から覗く臓腑は、人間となんら変わらないにも関らず。
「ですが、不要ならば、私はも、う」
 女神の体が泉へ落ちる。幼児に飽きられた人形が捨てられるかのごとく、無抵抗に。しかし、高揚感や達成感は微塵もない。あれほど身を焼いた復讐の炎よりも、女神に対する戸惑いのほうが勝ったのだった。
「造った、だと?」
「驚いておるな?」
 答えたのは、ケディッドをここまで連れてきたあの女の声。水面が揺れる。女神の落ちた泉、そこから這い出してきたのは――凝固した血液のような髪色の、不気味な女だった。しずくが血のように肌をすべる。
「お前はいったい……」
 髪色と声以外は、シミュラクラと同一だった。深い傷跡もある。
「妾はペティーシャ」対峙する女は厳かに名乗る、「創世神にして闘争の神、ペティーシャじゃ」
「創世神だと?」その得体の知れなさに剣を構え直す。
「お前は伝説にある、あの詩人だと言ったじゃないか」
「肯定した覚えはないのう。お前が勝手に勘違いしただけじゃろ。まあ、妾も積極的に否定はしなかったがの」
 あっさりと言い放つ女神。硬直するケディッドを見て高らかに笑う。
 シミュラクラが静の狂気ならば、ペティーシャは動。
 獲物を襲う機会を窺う肉食動物のごとき獰猛な瞳が、ケディッドをとらえている。油断すればすぐにでも喉元を喰いちぎられる――そう思わせるだけの残虐さをそなえていた。汗をぬぐうことすらできない。
「あの詩はのう……世界を嘲る紅(ペティーシャ)、かの地(アナスターシャ)で慈愛の白金(シミュラクラ)を飲み込む。そう詠むのが正解じゃて。あやつは、いずれ訪れる妾の復活を予言したまでよの」
 ケディッドは無言。創世神は「意味が分からぬという顔じゃな」髪をかきあげた。
「つまらぬ昔話じゃ。座して聞くが良いぞ」
 狩人は語る、獲物の緊張などそ知らぬ顔で。ここでくつろげる人間がいたら見てみたい、と浅く息を吐く。
「神話よりももっと前の時代じゃ。妾はこの世界と人間を創りあげた。互いに争わずにはおれぬ、不完全な存在をな。人間の闘争心が、殺意が、流された血が、妾を満たしてくれる。お前のその殺気も、心地良い音色じゃ」
 女神の獰猛さが深まる。ケディッドは本能的に剣を薙いだ。その剣はあっさりと弾かれて「まだ話の途中じゃよ、大人しくせい」と、口調は非難めいているが、表情はからかいを多分に含んでいた。
「じゃが、人間は賢いのか愚かなのか。やがて平等な傍観者ペティーシャ様に、不満を持つようになったのじゃ。愉快じゃったのう、あの戦は――そうして最後、妾は人間に体を明け渡し」
「造られたのがシミュラクラってことなのか?」
 言葉を引き継ぐと、創世神は「今度は理解が早くて助かるのう」喉で笑った。
「人間を愛し、人間を助け、人間を導く、女神シミュラクラ。その最初から偏った愛情は、人が彼女を求めれば求めるほどに歪んだいった。彼女は世界のことなど考えなかった。ただ人間だけが、繁栄するように、と。だってそうじゃろう? 彼女を造った人間が、そもそも世界のことなど考えておらんかったのじゃから」
 足に震えが走る。身を焦がすような怒りはとうに流れ去って、オフェリアを失ったときとは、また違う脱力感にさいなまれて、得意顔の女神を瞳に映す。
 なんと言えばいいのか分からないが――自業自得。因果応報。そんな言葉が脳裏を通り過ぎた。
 創世神になにか反論しようと口を開いても、なにも言えず、結局自分の影を見下ろした。
 聖女が次々と死んでいった理由は分からない。けれど、そもそも聖女を奉らねばならない状況をつくりだしたのは、自分たち人間――。
 人工の神は人間に従って、言葉どおり求めに応じていたにすぎなかったのだ。握るこぶしが白くなったのは、決して寒さのせいではない。
「哀れなものじゃ。尽くしてきた結果がこれとは」
 自身に刻まれた傷口をすぅとなぞる。酷薄なくちびるからのぞく八重歯が、研がれた怒りのようで、思わず一歩後退する。
「……人間は、どうすれば……」
 口をついて出たのは、動揺に満たされた呟き。
 シミュラクラさえいなくなれば世界はなんとかなるのだと、そう考えていた。おとぎ話の魔法のようにぱぁっと世界中が再生することはないにせよ、なんらかの道が示されるのだと。
 オフェリアの夢は、このまま世界と共に沈んでしまうのか。いや――そんなことはさせない。
 ペティーシャの鋭い眼光を睨み返して、考える。この女からどうすれば逃げおおせられるのか、と。世界すら創造してしまう女神から、果たして逃れることができるのか。
 果てしのない過去の話とはいえ、人間に一度、敗北して体を奪われているのだ。恨んでいないはずが、ない。
 足をわずかに動かせば、凍った大地が鳴る。
 ペティーシャは鼻を鳴らすと、大仰に腕を広げて首をふって見せた。
「人間は求めるばかりじゃ。みずから歩もうという気はないのかのう? その決意、行動で表してみよ。妾の創ったこの箱庭を、見事蘇らせてみよ」
「見逃す、というのか」
 思いがけない、願ってもない言葉だった。しかしこの女神、なにか裏があるのではないかと、訝しげな視線を送る。その疑いの眼差しを真っ向から受け止めて、ペティーシャは言う。
「うぬぼれるなよ人間。妾にとってあの戦など、戯れに相手をしてやっただけのこと。体なぞ、その気になればいつでも奪い返せたのじゃ」
 面白そうだから付き合ってやった、と――創世神の行動基準はすべてそこなのだろう。しかしそれでも、まだ決断のつかぬまま硬直しているケディッドに、ペティーシャはいたずらっぽく笑い、
「ほっほ、まだ疑っておるな。人が繁栄し、多くの国ができればそれだけ戦も起こりやすく、血も流れるじゃろうて。すべては妾のためにやることじゃ」
 向けられる剣など見えていないかのように、無造作にその細い腕がのばされ、指があごに触れる。蜜月の女のような表情を刹那見せ、ささやく。
「妾をがっかりさせるなよ。せいぜいあがいてみよ」
 冷たい吐息を感じた次の瞬間には景色が、一変していた。
 凍える森に血の泉は消えうせて、祈りをやめた絶望にそまる世界が、オフェリアが行く先を案じた、荒れ果てた大地が広がっていた。人同士が争うことすらやめてしまった――自分が失ったものを、奪う相手すら最早いない――絶望と諦念の空が頭上を覆っている。
 振り返れども仰げども、かの地の片鱗すら見つけることはできなかった。
 創世神にして平等な傍観者ペティーシャはきっと、人間が奮闘する様を愉快そうに見下ろし続けるのであろう。
「オフェリア……」
 今は亡き想い人の名は夕陽と共に消えゆく。飢えた大地がざらりと風に鳴った。
 結局なにを成すこともなく、荒んだ世界は変わらずそこにあり続け、これから歩むべき道は漠然としたままだ。しかし、ケディッドの心は晴れていた。少なくとも、この世界の様相よりは穏やかであった。
 茫洋としてはいるが、決して先が閉ざされたわけではない。踏み出せば応える道がある。
「さて、みなになんと説明しようか……」
 ケディッドは思案しながら、小さな、しかし確かな一歩を踏み出した。


 けれど――ケディッドはいずれ気づくだろう。気づいてしまうだろう、世界の現実に。
 人の地がいくら理想郷の名にふさわしい姿を取り戻しても、この箱庭的世界の後ろには常に創世神が佇んでいる……それが、何を意味するのかを。

UP:2010/09/05