転がる視線に秘められた

 目を覚ましてまず最初に見たのは、俺を心配そうに覗き込んでいる、鮮やかな青い瞳だった。
 ぼやけてた視界が徐々にはっきりしてくる。印象的な目の持ち主は子供と呼ぶには大きいがまだ大人ではない、そんな微妙な年頃の女の子だと認識できた。知らない子だ。今にも泣きそうだが、涙を流した様子はなかった。
 俺と視線が合うと少女は微笑んで、震える声で呟いた。
「やっと目が覚めたのね……もうダメかと思ったわ。生き返って良かった、本当に……」



「リエル、見てよこれ! 凄く良い土が手に入ったわ!」
 俺がかまどでシチューを作っていると、ティティが大きな鉢を引き摺りながら帰ってきた。二つに結った金髪がぴこぴこ揺れてる。
 ボロ屋なのに勢い良く玄関を開けるもんだから、家が悲鳴を上げた。仔犬のフィロも、びくっと顔を上げる。
 ……よし、まだまだいけるぜこの家。フィロと一緒に、こっそり安堵の息を吐いた。
「もう、見てよ触ってよ感じてよ称えなさいよ! この質感、きめの細かさ、色合い……」
 ティティはうっとりと土を愛でている。が、はっきり言って俺が昼まで耕してた畑の土と大差ない。その辺は「呪術師」にしか分からないカルトな世界なんだろう。
「これを使えば、今度こそ完璧な『体』が創れる! 偉大なる呪術師スヴェトラーナの秘術を成功させる日が来るのよ!」
 余程嬉しいらしく、フィロにも「ほら、凄いでしょー凄いのよー」と見せびらかしている。しかしフィロは白いふさふさの尻尾を一振りし、ティティを無視して寝転がった。俺には「どうでも良いし」と言っているように聞こえた。
 以前ティティが偉そうに語っていたが、俺やフィロみたいなの――ゾンビじゃ不気味だからリビング・デッドと呼んでくれ――を創るには「遺体」や良質の土、変な薬草が必要なんだそうだ。ちなみに、俺の元となった「遺体」をどうやって手に入れたのかは答えてくれない。
「そりゃ良かったな素晴らしいおめでとうティティ」
「あ、何よその言い方」
 せっかくなけなしの感情を込めて称えたのに、ティティは気に食わなかったようだ。むっとした表情で俺の胸倉を掴み、
「これがどれだけ凄いことか分からないの?!」
 がっくんがっくん揺さぶってくるティティの瞳に宿るのは、熱意。「いい、完璧な『体』ってのはね……」ティティの演説は右から左へ垂れ流し、俺は胸倉を掴む細い腕を握った。
「分かった、そのチャレンジ精神は認めてやるからこの手をはな」
 ――ぶちっ。
 俺がティティの手を振り払うより早く。嫌な音を立てて右の「眼球」が転がり落ちた。あー、視界が回る。どういう理屈か分からないが、俺は左右で違う光景を見て、それを認識しているのだ。万華鏡の一部分だけが動いている感じ、とでも言えば良いのか。何とも不思議な光景だ。もう慣れたが、初めて目玉が取れたときはまた死ぬかと思った。
「どうしてくれるんだよ。調子良かったのに」
「こんなん唾つけて入れときゃくっ付くわよ、男ならぐちぐち文句言わない! さっさと拾う!」
 俺を突き飛ばし、硝子玉のような青い瞳を一層つりあげた。普段より応対が冷たいのは土をしっかり褒めなかったせいか。
「ったく、誰のせいだと思ってやがる」
 毒づきながらも慣れたもんで、左右違う景色を見ながらひょいと眼球を拾い上げてくっつけた。この目は本当によく取れるな。初めて転がった時は心底驚いたが、一年も経てばいい加減慣れる。
「はぁ……どうしてこうも簡単に取れちゃうのかしら。昔の記憶もないし」
 それは俺の台詞だ。自分で創っといて、よく言う。「フィロは上手くいってるんだけどなぁ」砂を指先で弄りながら、溜息をつく。
「そんなんで『スヴェトラーナの秘術』とやらが出来るのかよ」
「出来る――ううん、出来なきゃいけないの」
 ティティは珍しく静かに呟き、地下の研究室へ向かおうとする。こいつはかなりやる気だ。しかし、俺はそんな決意の背中に一言投げかけた。
「シチュー食ってからいけ」



 ティティが地下に篭った後、俺は朱に染まる平坦な街道を無目的に歩いていた。夏のじっとりとした気候も、俺には関係ない。そういうとこは便利だな。
「絶対に邪魔しないでよね、リエル!」と意気込んでいたから、しばらく出てこないだろう。ティティの性格はこの一年でだいぶ把握した。
 あー、俺がこんな生活をするようになって一年も経のか。早いもんだな。他に行くアテがないっつーのもあるが、あの傍若無人な女とよく一年も過ごせたものだ。自分で自分を褒めてやりたいね。
 ティティは「生き返った」と表現するが、俺からしてみれば「創られた」という方が近い。生前の記憶なんて一つも持っていないからだ。記憶喪失――と呼んで良いのか分からないが――だと知った時のティティの驚愕と絶望、そして――少しの安堵を滲ませた表情は今でも瞳に焼き付いている。
 一般的な知識はある。生活に支障はない。自分に関する事柄だけがすっぽりと抜け落ちているんだ。生前の俺について、ティティは語ろうとしない。彼女と同じ青い瞳を持ってるから、家族かと尋ねたことがあるが、全力で否定された。
 俺は一体どうして、ここに存在している? ティティは何のために俺を創った? あいつの口から理由が語られたことはない。
 血の通ってない冷たい体。勝手に落ちる眼球。あからさまに具合悪いですと言わんばかりの顔色。どこを取っても欠陥だらけだ。
『今度こそ完璧な体が創れる!』
 もし仮に、その完璧な体とやらが完成したら俺はどうなるんだろう。不良品として棄てられるのか?
 俺は何とも言えない感情を抱えたまま、ひたすら歩いた。
「あれは……村か?」
 そのうちに、家々の影が視界に入ってくるようになった。小さくも大きくもない中途半端な規模の村だ。俺は村へは行かないようにと釘を刺されてるから、初めて来たが……というか、こんな遠くまで来ること自体禁止されている。こんな姿じゃ、ティティ以外の人間は不気味がるだろうからな。
 だが好奇心には勝てない。更に近づくと、人の声も耳に届きだす。子供がまだ遊んでいるようだ。
 立ち止まって考える。引き返すべきか。ティティにばれたら怒鳴られるかもしれん。
 ティティの恐ろしい顔を想像して、一歩後ずさり――
「……もしかして、リエル?」
 びっくりして振り返った先では、俺よりも軽く二十は上のおばさんが呆然とこっちを見つめていた。後ろからなんて反則だろ。心臓があったら絶対凄い音立ててるぜ。
「あんた、生きてたの?」
 信じられない、とでも言いたげに見開かれた瞳に、俺が映っている。その俺も、かなりのアホ面を披露していた。俺を知っているのか?
 おばさんが手を伸ばしてくる。その指先が頬に触れる瞬間、反射的に身を引いた。おばさんも慌てて手を引っ込めた。
「ああ、ごめんよ。あんまりにも息子に似てたから……よくよく見れば、目の色も違うねぇ。本当に、歳を取るとダメね」
 寂しそうに笑った。夕陽のお陰か、顔色その他に驚いてる様子はない。
「あー、いや……」
 ティティ以外の人間と話すなんて初めてのことだ。俺は何と言って良いか分からず、無意味な言葉を返す。
「息子さん、どうしたんですか」
 使い慣れない敬語まで引っ張り出して、とりあえず尋ねてみた。おばさんは目を細め、苦々しそうに呟いた。
「殺されたんだ、ティティという女に」
 俺は凍りついた。殺された? それもティティにだと? もし彼女の言う「リエル」が俺ならば、俺は自分を殺した女と呑気に暮らしていて、あまつさえシチューまで用意してやったってことか?
「息子さんはどうして、その……殺されたんですか」
「さぁね……いくら聞いても、あの女は自分が殺したとしか言わなかった。遺体も渡してくれなかったよ。あんな魔女、さっさと火炙りにでもしちまえば良かったんだ……!」
 おばさんは目頭を押さえた。俺は震える肩にかけてやれる言葉を持ってなかった。
「それでティティは今、どうしてるんですか」
 俺の問いに水っぽい声で、
「知らないよ。山奥の家に引きこもって、それっきりさ。遺体も返さないなんて、酷すぎるじゃないか! 私の手で殺してやりたいよ……!」
 ――今度こそ完璧な体が創れる!
 ティティのあの言葉が、呪文のように俺の脳内に鳴り響いた。



 俺が帰宅する頃には日は沈み、月が顔を覗かせていた。フィロがぱたぱたと走り寄ってくる。しゃがみ込んでふさふさの冷たい体を撫でてやると、嬉しそうにじゃれついてきた。可愛いやつめ。ティティはまだ部屋に篭っているようで、室内は喧騒とは程遠い。
 静寂を紛らすように、フィロが鳴いた。
「フィロはさー……こうなる前からフィロなのか」
 我ながら意味不明な問いかけだ。犬であるフィロに、生前の記憶があるのかは分からない。でもティティは「成功した」と言っていたから、前からこんな性格なのかもな。遊んで欲しそうなフィロの背中を適当に撫でながら「じゃあ」呟く。
 ――失敗した俺は? 俺は……誰だ? ティティもあのおばさんも「リエル」と呼んでるし、多分俺の体は「リエル」のものなんだと思う。でも、今ここでこうして考えている「俺」は一体誰なんだ?
 今まで何の疑問も持たずに「リエル」として過ごしていたが、俺自身はティティに創られた人格だったりしないんだろうか。
 唐突に、大人しくしていたフィロが駆け出す。視線を上げると、目を擦りながら階段を上がってくるティティの姿があった。その足元にフィロが縋りつく。ティティは「よいしょっと」婆くさい掛け声と共に小さな体を抱き上げた。
「あー、進んだ進んだ! 後は明日にしよ」
 あまりに呑気な様子に、少し苛立ちを覚えた。「今の術が成功したらどうなるんだ?」夕飯の残りを漁るティティの背中に尋ねる。
「んー? だから言ったじゃん。完璧な体が……」
「その体って何に使うんだよ」
 俺の刺々しさに気づいたのかもしれない。振り返って「別に私の勝手でしょ」鬱陶しそうに言い放った。その言い方がますます俺の機嫌を傾かせる。
「……なあ、ティティは何で俺を創ったんだ?」
「またそれ? 細かいこと気にする男は嫌われるわよ」
 俺を睨みつけてくる。負けじと睨み返した。どうして何も言ってくれないんだよ。
「細かいわけねーだろ。わざわざ生き返らせたんだから、それなりの理由があるんだろ?」
 普段よりも食い下がる。ティティはわざとらしく息を吐いた。
「たまたまよ、たまたま! 偶然の産物! あんたが生き返ったのは、何の必然性もない天文学的な確率の出来事なのよ。これで満足?」
 あくまでも誤魔化し通す気らしい。その態度と、おどけた口調も俺の癇に障った。俺は何の前触れもなく机の脚を蹴飛ばした。それも思いっきりだ。ティティはびくりと肩を震わせ、フィロは逃げ出す。
 こんな風にしたことは一度もない。要するに――俺はキレたのだ。
「不満に決まってるだろうが! ……そりゃ言えねぇよな、本人に向かって『私が殺したました』なんてよ!」
 こいつの態度にはもう我慢ならねぇ。別に謝ってほしいとか、そういうことを言ってるんじゃないんだ。もっと真剣に、相手して欲しいんだ。
「……何の、こと」
 声が少し弱い。「あんた今日、私が篭ってる間どこか行ってた?」ティティの眼光が鋭くなる。「それとも誰か来たの? 私を呼びなさいよ」
「死霊術のための実験材料として、俺やフィロを殺したんだろ? 俺達以外にも、そうやって殺してきたってのか?」
 憤るティティの言葉を無視して続けた。
「『リエル』の母親に会った。お前に息子を殺されたって言ってたぞ。リエルってのはこの体のことじゃないのか? どうなんだよ!」
 声に乗せて、テーブルを強く叩いた。その拍子に目玉が取れる。くそ、こんな時に。俺は乱暴に引っ掴んで嵌め込んだ。
「確かに――その体のことよ」
 表情を硬くしたティティは低く呻いた。
「何で殺したんだ? それも偶然なのか? 偶然俺が居たから殺して、生き返らせたっていうのか……しかも失敗? ふざけるなよ! んで次は『スヴェトラーナの秘術』で完璧な体を創るだって? そうしたら俺みたいな失敗作は用なし、そもそもこんな邪魔モノはさっさと捨てたかったんじゃねーのか?」
 問い詰めると「うるっさいわよ!」ティティが声を張り上げた。物凄い形相で俺を見つめてくる。
「何もかも忘れたくせに、偉そうに言わないでよ! 私がどんな気持ちで居たかも知らないくせに! あんたなんか……あんたなんかリエルじゃない! リエルはもっと優しかった!」
 最後には泣きそうになるティティ。だが、それは表情だけで涙は流れてこない。
「勝手に生き返らせといて何だよ、その言い草は。お前が失敗したのがいけねーんだろっ! その失敗を良いことに、今までいろいろ黙ってやがって!」
「何よ、全部リエルが悪いんじゃない! あんたさえ居なければ……!」
「っんだとこの野郎!」
 あんまりな言い分に、頭が沸騰する。テーブルに載ってた皿を思いっきり投げつけてやった。ティティは避けようともせず、それはもろに顔へ直撃する。ティティは怒りと驚きに顔を染め、切れた頬を触っていた。
 フィロが戻ってきて、うるさく吠える。
 人間の時の名残か、別に息なんてしてないのに、俺は肩を激しく上下させていた。
「ちょっと、リエル――……!」
 俺はティティが何か言うより早く、家を飛び出した。



 煮えくり返るはらわたを抱えて、俺は夜道を歩いていた。月が顔を出し、適度な明るさをもたらしてくれている。涼しさを増した風は、けれど俺の怒りを吹き飛ばしてはくれない。
 ――あんたなんかリエルじゃない!
 ――あんたさえ居なければ……!
 腹が立った。誰が生き返らせてくれと頼んだんだ。全部自分で、勝手にやったことじゃないか。
「……うん?」
 怒りを滾らせる頬に、くすぐったさを感じた。俺は反射的に頬を叩く。見下ろした手の平では蚊が潰れて死んでいた。見事なまでの潰れ具合に、思わず「ははっ」自嘲的な笑いが漏れた。
 殺されたと喚いた俺が、あっさり……虫とはいえ、他者の命を奪ったことが、妙に滑稽に思えた。俺は出来るだけ丁寧に剥ぎ取って、土に置いた。
 ティティにとっても、俺は、この程度の存在でしかなかったんだろうか。伝説の呪術師の遺した術に魅了され、魔女となる道を選んだティティにとって、俺ら普通の人間なんて取るに足らない存在なのか?
 だとしたら俺は、何て――馬鹿なんだ。今まで、「死人」であることに負い目を感じたことはなかった。それもこれも、ティティがあまりに普通に接してくるからだ。造物主と被造物という関係は永遠に消えないかもしれないが、それでも、少なくとも俺達二人は対等な位置に立っていると――そう思っていたのに。
「俺、これからどうしようかな……」
 勢いで飛び出してきてしまったが、行くアテなんかない。不本意だが、ティティが俺の世界の全てだった。せめて記憶が戻れば、現状打破に繋がるんじゃねぇかと思うんだが。
「あ。そうか」
 俺は突如閃いた。出入り禁止の、ティティの研究室兼実験室。あそこにはティティが聖書と崇めるスヴェトラーナの呪術書がたんまりと置いてある。死霊術の本も当然、そこにあるはずだ。
 何か記憶を取り戻すヒントがあるかもしれない。思い至った瞬間、俺は踵を返していた。
 不良品として捨てられてたまるか。



 地下室は暖炉近くの階段から行くことが出来る。飯を食った後すぐ研究室に行けるように、逆もまた然り、というティティの安直な発想からだ。
 そーっと玄関を開け、中の様子を窺う。ティティの姿はなかった。フィロは暖炉で爆ぜる火に照らされて眠っている。俺はこの一年眠いと思ったことはないんだが、フィロとは構造が違うんだろうか。まあ、今はそんなことどうでも良い。
 足音を忍ばせて階段を下りる。意外と長い。やがて研究室の入り口が見えてきた。寝室と大差ない簡素な扉だ。
 そっと扉を滑らす。小さく軋みながらも、未知への扉は開いた。扉の隙間からティティの後姿が見えた。机に突っ伏している。寝てるのか?
 俺は注意深く観察した。結構広い部屋だ。本棚と変な器具の棚を壁一面に置いてもまだ余裕がある。暖炉では小さな火が踊っている。
 舐めるように見回して、妙な違和感を感じた。じっとその正体を探っていると……あぁ、床の色が違う。灰色の中に、くすんだ赤のような茶色のような、そんな色が混じっているのが目についたんだ。特に俺が居る辺りが一番くっきりしている。足元の床はほぼ茶色だった。どう見てもこれ……血の跡だろ。人間を殺してるティティの姿を想像して、ぞっとした。
 俺は一歩部屋に踏み込む。ティティがぴくりと反応した。やべっ、起きたか? 俺はとっさにしゃがみ込み、物陰に身を潜める。いや全然隠れてねーけど、何もしないよりマシだろ。
「……誰か居るの? フィロ?」
 ティティが肩越しに振り返る。その顔を見て、俺は絶句した。思わず立ち上がってしまったほどだ。俺を見咎めて、いつもの調子で「何やってんの!」と怒鳴ったりする様子はない。当たり前だ。今のティティには両目が――ないのだから。本来あるべき場所には、闇で満たしたような空洞が並んでいる。血も流れているのに、痛がってる気配はない。
「フィロ、居るの? こっちにいらっしゃいよ」
 ティティが口元に笑みを浮かべて、手招きしている。正直、かなり異様な光景だ。
 どうすべきか迷って、結局、
「何だよ、その目」
 声を出した。「リエル!?」途端にティティの顔が強張る。
「どうしてここに居るの? 入るなって何度も言ったでしょう!」
 先ほどまでの優しい声音は奥へ引っ込み、非難めいた口調で怒鳴られる。ティティは机に肘を突くと、両手で顔を覆った。泣いているようにも見えたし、呆れているようにも見えた。
 俺は近づいて、でもかけるべき言葉も見つからず――無言でその肩に手を置いた。「……何よ」不機嫌な声でティティが言う。
「目、どうしたんだよ」
 問いかけに、ティティは躊躇いを示す。
「視力、調整してんのよ。私の前に箱があるでしょ、そん中」
 言われてみれば、雑多な机の真ん中に黒い箱が置かれている。両の手の平に収まるくらいの、小さな箱だ。
 ティティは迷うことなく箱のふたを開ける。変な液体で満たされた中で、確かに目玉が浮いていた。硝子のような、ティティの瞳だ。
「目って、外して平気なのか?」
「……あんた馬鹿でしょ」
 慣れた手つきで眼球を取ると、丁寧に二つの空洞へ収めていった。軽く頭を振って「よし、見える」一人で満足していた。
「おい、ティ……」
「私が創ったんだけど、どうも一月に一回は調整液に浸さないとダメみたいでねー。やっぱり私って才能ないのかなー」
 俺の言葉を遮って、わざとらしい台詞を吐く。笑いも妙に乾いている。
「誤魔化すなよ」
 強く言うと、ティティも笑いを引っ込めた。気まずい沈黙が下りる。
「覚えてない人に何を言っても無駄だとは思いますけど! 私の両目はね」
 俺の鼻面に人差し指を突き付けて、思いも寄らぬことを言い放った。
「リエル、あんたにくれてやったのよ」
 ――はい?
 まったく事情が飲み込めない俺に、億劫そうに語り出した。



 ティティはその日も、次にリエルが来る日を心待ちにしていた。十六年の人生において、「魔女」の自分を友人と認めてくれたのは彼一人だけだった。両親さえも見捨てたのに。
 ティティにとって術とリエルが全てだったのだ。
 地下実験室で呪術の準備をしながら、彼の好奇心に満ちた瞳を思い起こす。
「ティティ。この本は何だ?」
「それはあまり現実的な術のじゃないわ。こっちならリエルにも使えるんじゃない?」
 当たり障りのない術が書いてある書物でも、彼は十分に喜んでくれた。たまに、彼が年上なのが信じられなくなるが、一歳差では大した違いはないということか。
 リエルが完全に帰った頃合を見計らって、リエルが興味を示した死霊術の本を紐解く。死霊術はまだ行ったことがない。危険すぎてリエルには見せられなかったし、見せる必要もないだろう。
 部屋に描かれたいびつな陣に捧げるのは、白い仔犬。今朝、街道で馬車に轢かれて死んでいたのを持ち帰ってきたのだ。
 最後にもう一度、念入りに材料や陣をチェックする。欠けているものは、ない。本を閉じ、しゃがみ込んで陣に両手を置く。淡く光った。
「いけるわ」
 強く念じる。輝きが増す。子犬がぴくりと動いて、かすかに頭を持ち上げた。
 と、その時。
「すっげぇな!」
 ――何っ? ティティは突然の声に驚き、振り向く。瞳を輝かせたリエルが立っていた。彼はたまに、妙に子どもじみた行動を取ることがある。恐らく、ティティが何か術をするのではないかと隠れていたのだろう。
「帰ってなかったの?!」
 思わず陣から手を離してしまった。刹那、光が陣を離れて溢れ出す。
 ティティは咄嗟に理解する。術が暴発したのだ。光が何かを求めるように、強く煌めく。生きているのではないかと錯覚するほどに、不規則に伸び、弾け、光り続ける。
 何か良くないものだと、ティティの直感が告げた。
「うわ、何だっ?」
 目映い光に飲み込まれる部屋で、リエルの慌てた声が妙によく響いた。
「早く逃げ……!」
 ティティの叫び声は、光に融けていった。その目映さに堪えきれなくなって、固く目を閉じる。
「リエル、大丈夫?」
 どれくらい経ったのかは分からないが、実際は数秒の出来事だったのだろう。ティティは恐る恐る瞳を開け、真っ先にリエルの名を呼んだ。
 彼が立っていた辺りに視線を向ける。
「リエ、ル」
 愕然とする。「リエル……!?」掠れた声しか出なかった。四つん這いになってリエルの元へ進む。
 彼は、彼の腹は、破裂していた。白い骨が不気味な方向へ曲がりながら顔を覗かせている。鮮やか過ぎる血がとめどなく溢れ、血溜まりを作っていく。
 呪術にまったく耐性がなかったせいだろう。あまりに酷い有様だった。
 部屋自体は何も変わっていないから、悲惨さが余計に際立つ。
「あぁ、そんな……!」
 まだ温かい体に縋りついて、嗚咽を漏らした。顔はまだ辛うじて原形を保ってはいるが、眼球が飛んでしまっている。耳も少し千切れているようだ。
 ――私のせいだ、私のせいだ……私が気を散らしたから……!
 流れ出る血がティティを染めていく。リエルの恨みであるかのように、執拗に。
「……?」
 ふと、頬に触れる感触があった。さっきの犬だ。いつの間にか隣に来ていたようで、小さく鳴きながら擦り寄ってきた。
「お前は生き返ったのね」
 血に濡れた手でその頭を撫でた。冷たい。やはり、血は流れていないようだ。それでもしっかりと、息づいている。確かにここに存在し、生きている。ティティにはそう感じられた。
 その姿をじっと見つめて、決心する。
「リエル、少しだけ待ってて――」



「……で、もう一回死霊術をやってあんたを生き返らせたわけよ。どうも上手くいってないみたいだけど」
 ティティは大袈裟に溜息をついた。
「それで、目については」
 記憶は断片すら浮かび上がってこない。俺は頭が真っ白になって、とりあえずそれだけ訊いた。
「完全にどっか行った目は創れなかったの、あの時の私では。片方でもあれば良かったんだけど……だから、私のを使った。生き返った時目がなかったら不自由でしょ? それだけの話よ」
 全っ然、それだけで済ませられる話じゃないと思うのだが。
 つまりあれか、元を正せば全部俺が悪いってことか? 一番の被害者はティティじゃないのか? 今まで自分が怒っていたのが馬鹿みたいに思えて、力なく座り込んでしまった。ティティが嘘をついているとは思わなかった。うるさくてワガママで自分勝手な女だけど、こういうことで嘘をつくような奴じゃないってのは、よく分かってる。
 俺が頭を抱えて呻いていると、ティティが覗き込んできてふっと微笑んだ。今まで見たことない、優しい笑顔だった。
「私のことは気にする必要ないのよ。これが手に入るまではフィロが私の目の代わりをしてくれたし。知ってる? 術者が望めば、フィロを通して私も目が見えるのよ」
 あえて被造物という言葉を使わなかったことに、ティティの気遣いを感じた。同時に、いつだって俺達を対等に扱ってくれていたのだと思い知る。
「いや、何つうか、その、そういうことじゃねーだろ」
 俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。この世とあの世をひっくるめてもこんな大馬鹿野郎は存在しないに違いない。勝手に卑下して腹立てて、当り散らして。
「その……ごめん。ホントにごめん」
 生前の俺が無断で研究室に入ったこととか、さっきまでいろいろ勘違いしてたこととか、皿をぶつけたこととか。あの時、避けなかったんじゃなくて見えなかったのかもな。
 悔いることは多くあるけど、俺には謝ることしか出来なかった。
 ティティはそんな俺を抱いて、語りかけてくる。
「私こそ黙ってて悪かったと思ってるわ。でも……怖くて言えなかった。私から離れて行っちゃうんじゃないかって……」
 俺を抱く体が小さく震えている。
「さっきも、酷いこと言ってごめんね。たとえ記憶がなくても、あんたは間違いなくリエル本人よ。魂が、帰るべき自分の体を間違えたりしないわ」
 慈愛に満ちた声音。
 いつも強気で押しの強いティティの、意外な一面を見た気がした。
 正直――嬉しかった。
「死霊術……まだ続けるのか?」
「ううん。スヴェトラーナの秘術が完成したら、それで死霊術からは一切手を引くつもりよ。もう懲りたわ。これからはただの呪術師として生きて行くつもり」
 呪術師を「ただの」と表現して良いのかは微妙だが……。
「何でそんなにスヴェトラーナの秘術とやらに拘るんだ? もう良いじゃねーか」
「あら、ダメよ!」
 いつかのように俺の胸倉をぐわしっ! と掴むと、口早に捲くし立てた。
「あのね、スヴェトラーナの一族はかなり特殊で……体が部分的に腐っているの。それで彼女は『普通の体』を創ろうとしたのよ。魂移しの術は彼女の得意中の得意だったから、あとはそっちに魂を移すだけ」
 ティティは瞳を輝かせて続ける。
「分かる? この術を使えば、リエル、『生きてる体』が創れるの。血の通った、温かい体! 本当に生き返るのよ! 私も魂移しなら失敗しないから安心して」
「な、え、それも俺のためなのか? いやそれは嬉しいけど俺は現状でも別に不満はねーと言うか」
 動揺した拍子に、目が転がり落ちた。おい、なんつータイミングだ眼球。俺の「不満はない」ってのが嘘臭くなっちまうじゃねーか。
 ティティも転がっていく眼球を視線だけで追っている。「本当に満足なわけ?」……今改めて聞かれると、微妙かもしれん。
「ま、その体に移るかどうかは自分で決めれば良いわ。これは私なりのケジメだから、術だけは絶対に完成させる」
 こうなると、絶対に意見を曲げようとはしない。
「分かったよ。んで、術ってのはいつ完成する予定なんだ?」
 俺の質問に、胸倉を掴んだまま視線を明後日の方に向けるティティ。
「んー……二年後くらいを目標に?」
「まだまだじゃねーか!?」
 もう完成間近かと思ってたぜ! ティティは顔を真っ赤にして「仕方ないじゃない! 難しいんだから!」反論した。
 拍子抜けすると、落ちた右目の視界が映しているものに、意識がいった。いつの間にかティティの真下で止まっていたらしい、その瞳が映すもの。それは……
「黒のレース?」
 瞬間、ティティの右ストレートが飛んできた。残っていた左目も吹っ飛ぶ。
「最低!」
 く、くそ……グーで殴るとは、何て女だ。俺はあたふたしながら目を拾い上げた。
 耳まで真っ赤にしたティティが、俺を睨んでいる。
「馬鹿リエル! さっさと出てけ!」
 引き摺られるようにして部屋から追い出された。
「何だよ、減るもんじゃねーし……」
 俺はぶつくさ文句を垂れながら階段を上った。
 ――この体もまだまだ捨てたもんじゃねーな。
 忍び笑いを漏らしながら。

UP:2007/12/01