たとえば土星だとして

「土星って、望遠鏡の無かったときは太陽系の『さいはての星』だったんだって」
「へぇ、それで」
 適度にクーラーのきいた喫茶店で、無愛想にアイスコーヒーを啜る彼は、興味無さそうに相槌を打つ。
「うん。でね、ガリレオは土星の周りのわっかを『耳』だと言ったのよ」
 私も一息入れるために頼んでおいた特大のパフェを口に運んだ。余計喉が渇くけど美味しい。
 うう、どうしてこんな好きでもない惑星の話を私がしなくてはならないのか。全ては彼の「ちょっと今日話があるんだけど」というメールのせいだ。誰の誕生日でもない、何かの記念日でもない、デートの約束だって最近ない、そんなカップルの片方が相手を喫茶店に呼び出して神妙にアイスコーヒーのストローを齧ってる。
 答えはひとつだ。
 ――別れ話。
 そうねそうね、最近あんまり二人きりで会う機会もないし。大学入学当初からの付き合いだから、もう丸一年は経っている。飽きられても仕方ないかもしれないが、私はまだ彼に飽きてない。ぞっこんとか古い言葉使ってみちゃうくらい。
 だからこそ先手必勝電光石火の勢いで良いたとえ話をひねくり出して、彼に語って聞かせているのだ。
「んで、次にホイヘンスっつー人が耳じゃなくて環であることを発見したのよね」
「うん……だから?」
 相変わらずやる気も興味もない返事。いや、返事があるだけまだマシと考えるべきか。とにかく私は必死だった。
「そんで更にね、カッシーニが環の中間にすきまがあることを見つけたのよ」
 私はまたパフェを食べた。うーん、心臓に悪いわこの環境。彼はと言えば、すでにアイスコーヒーを飲み終えて、氷をがしゃがしゃいじくっている。「いい加減にしてくれない?」そう訴えかけてくる瞳が痛い。だがあえて無視。
「さっきからさぁ……何なの? 土星とかマジ興味ないんだけど」
 彼がついに静かな怒りを吐き出した。もの凄く剣呑な口調だけど、めげるもんか。
「だ、か、ら、ね! 私は土星と一緒なのよ。あんたはそうねぇ……さしずめガリレオかしら」
「はぁ? 何それ」
 物分りの悪いところも大好きだ。私は噛み砕いて説明してあげた。
「私にはまだまだ未知の領域がいっぱいあるし、それをあんたはまだ全部発見出来ていないでしょう?」
「……?」
 完全にぽかーんとしてる。鳩が豆鉄砲食らったら、こんな顔かしら。
「別れるにはまだ早すぎると思うのよ、私達。ね? 実はこのイヤリングがイカリングだったって、ガリレオなあんたは気づかないわけよ。私の全て……ううん、せめて八割くらい理解してからそういう話はすべきだと私は考えるわけね」
「……何の話? 別れる?」
 彼はしばし思案した後、店内に響く馬鹿笑いをかました。
「なに、なに? 別れ話だと思ったわけ?」
「……え、違うの?」
「ちげーよ」
 彼は涙を浮かべて一言で切り捨てた。
「実際そうだったとしてもな、何だよ今のたとえ。んなこといきなり言われたらもう絶対別れるし」
 がーん。私の渾身のたとえ話は別れる意欲に拍車をかけるだけの代物だったらしい。帰ったらメモしておこう。
「じゃあ何の用なの?」
 今度は私がぶすっとして、尋ねた。
「これだよ。お前、海外旅行したいっつってたじゃん? なんか親父がペアチケットくれたからさー」
「しかもこれ、ヨーロッパ旅行じゃん! 超行きたい! てか行こうよ!」
「だからそのつもりで、お前呼び出したんだよ。最近どこも行ってねーじゃん? 夏休みだし、ぱーっと遊ぼうぜ」
 あ、あんたってやつは……! いつもいつもかっこいいと思ってたけど、今日は一層輝いて見えるよ!
 感極まった私は、彼の手をがっし! と握って叫ぶ。
「ガリレオからホイヘンスに昇格させてあげるわ!」
「だからもうその話題は良いっつーの……」
 そんな苦笑一つでも、私はときめく。ああ、旅行なんて行ったら、きっと私はもっともっと彼にときめくだろう。彼もきっと、私を惚れ直すに違いないわ。
 とりあえず、「カッシーニの空隙」レベルには、私のことを認識してくれるかもね。

UP:2008/01/20