傷の約束

「あんてぃえら、あんてぃえら!」
 勇者と別れてからすぐ、私を呼び止める幼い声がした。振り返れど誰も居らず、不審に思ってなんとはなしに足元を見ると――声の主は居た。しかも二匹。
 最初から魔物なのは分かってた。人間は私と勇者パーティしか居ないだろうから。
「あんてぃえら! 一緒、来て!」
 私の足元でぴょんぴょん飛び跳ねているのはどーー見てもスライム。魔族の中でも最弱さは泣けるくらいのトップレベルを誇るゼリー状の魔物。しかもまだ子どもみたい、この子たちは。
 一応確認するけど、ここはティミア地下洞窟よね。最高レベルのダンジョンで、強力モンスターがわんさか居るような、危険な洞窟なのよね。
「えーっと……ここじゃダメ? お姉ちゃんちょっと急ぎの用があってね」
「お母さん、大変、来て!」
 片言のスライムたちはぺちゃんぺちゃんと体を揺らして私に張り付く。「お母さんが?」問い返しながらも私は、二匹をカートに乗せた。
「ほら、さくっと案内しなさい!」
 態度を急変させた私に一瞬だけぽかんとしていたけど、すぐに歓喜の声をあげて「あっち!」とぞんざいな案内を飛ばす。来た道戻らなきゃいけないみたいだけど、ああもう、仕方ない! 彼らに従ってカートを走らせた。
 記憶の水底に沈めておいた思い出が、ぶくぶくと浮かび上がってくる。
『アンティエラ、ごめんな』――そう言ってナイフを振りかざす父、見上げる私の頬に落ちる涙。傍には血を流して倒れ伏す母。熱い痛みを感じながら最後に見たのは、自らの喉にナイフを突き刺す父の姿だった。
 でも――私だけが死に切れず、医療所で目を覚ました。両親はすでに土の下。
 行商人の道を選んだあの日。もう何年も前の話だけど、今でも鮮明に思い出せる。
 再び店を構えると両親の墓前で約束した、あの情景を。空を流れる雲、草木を揺らす風の強さ、供えた花の香りも、全部。
「あそこ、曲がる! 終わり!」
「はいよ!」
 カートが遠心力でどっか連れて行かれそうになるも、踏ん張って身を捻る。過去の思い出たちはその力に振り回されて遠くへ飛んでいった。
 スライムたちはちょっと目を回したみたいだけど、元気そうだ。ぴょこぴょこと飛び跳ねて、「助けて」と連呼している。光球を増やして足元を照らせば、傷つき倒れた一匹のスライムが浮かび上がった。本来ならば弾力があるはずの体も張りを失い、今にも崩れ落ちて水になりそう。スライムというよりアメーバ。
「お前たち、この人は……?」
 母スライムが弱々しく私を見上げる。「あんてぃえら、来てくれた」と子どもたち。相変わらず返答は適当なのね。
「日用品から呪いの道具まで、どんなニーズにもお応えする行商人、アンティエラです! 私が来たからにはもう安心ですよ」
 自己紹介もそこそこに、カートから取り出したるは、治癒草。薬草を品種改良したもので、効果は抜群に上がっている。値段が張る上に滅多なことじゃ使わないから需要はそんなにないんだけどさ。いざってときのために数枚用意するのは常識よ。だから誰か買いなさい。
「今日は特別に、私が調合して差し上げますよ」
 乳鉢に入れてすり潰し、ディアの実やケートの実を混ぜ合わせる。これは私独自の調剤レシピで分量とかは企業秘密。頼まれれば作るから、どうぞご贔屓に!
 完成した薬を母スライムの体に塗る……というか混ぜる? 塗ったそばから吸収されて、大丈夫なのか心配になる。でもスライムって体内の酸でいろんなもの消化するわけだし……薬の成分も溶けて全身に巡るわよね、うん。
 私の考えを裏付けるかのように、液体になりかけていたスライムはだんだん本来の姿を取り戻していく。様子を見守っていた子どもたちも「お母さん」と嬉しそうだ。
「アンティエラさん、どうもありがとう御座いました。なんとお礼を言ったらいいか……」
 高価な商品を使ったわけだけど、スライムから何を請求すると言えば、そんなものは何もない。スライムから採れるアイテムなんて役にも立たないもの。……あーあ、まるまる損だわ。
「別に良いわよ。その前に、なんでスライムがこんな場所に居るわけ?」
 子どもたちの喜んだ顔が報酬、なんて善人ぶった思考に持ってって、さっきからの疑問をぶつける。
「夫がこの洞窟に転勤になりまして……でも家族と離れたくないと言うので、ついてきたんです」
 魔物の世界に転勤なんてあるんだ……ま、まあ栄転なら良いんじゃないの。スライムに何が出来るのかは謎だけど。
「こんな素晴らしい洞窟に配属されるなんて、本当に名誉なことなんですが、やはりスライムの身では辛いところがありますね」
 ため息をつく母スライムは「少し前に勇者パーティの魔法使いに蹴り飛ばされてしまって、この有様です」力なく笑う。非力な魔法使いといえど、ここまで経験値を重ねてきたのだからスライムに太刀打ちできる相手じゃない。でも、始まりの町の周辺にいたって勇者たちの腕試しに使われるんだから、どっちでも同じかしら……。
「お母さん死んじゃう、思った」「怖かった」
 子スライムが私に飛びついて「ありがとう!」「あんてぃえら、大好き!」じゃれてくる。懐かれることに悪い気はしないけど、感触がどうも……鳥肌立ちっぱなし。
「アンティエラさんは何故この洞窟に? 勇者パーティというわけではなさそうですが……」
「勇者より先に伝説の剣を手に入れるのよ。高額で売りつけるために、ね!」
 母スライムがはっとした表情になる。あ、やべ、ついうっかり口滑らせちゃったけどこいつらってこの洞窟守ってんのよね。スライム程度私の敵じゃないけど、周りに知らされたら厄介だわ。
「では剣の封印されている場所へ行くということですよね? それも勇者たちよりも先に」
 確認の言葉に「まぁ……そういうことになるわね」頷く。この言葉の裏にあるのが敵意や悪意ではないと思ったから。
 むしろこれは……希望。期待。そういった正の感情。目の前が明るくなったって顔してるわ。
「初対面で、と思われるでしょうが……あの有名なアンティエラさんだからこそ、お願いしたいことがあるんです」
 真剣な眼差し射抜かれて思わず姿勢を正す。子どもたちも母の様子に何か感じるものがあるのか、大人しく私の横に並んでいる。
「私も一緒に連れて行ってほしいんです。剣が封印されている場所に、夫が居るので……」
 え、スライムがいんの!? 唐突なこの申し出よりもそっちの事実にビックリして、開いた口が塞がらない。……あ、もしかして旦那さんって突然変異種のメタル系とか? それだったらまだ納得がいくかも……伝説の剣とは不釣合いだけど。
「勇者と夫は戦いになるはずです。どうにかして避けたいのです……夫が無事に帰ってくるのなら伝説の剣など……」
 かなり思いつめた様子。そりゃあ、勇者が相手じゃ負けるかもって考えるわよね。ましてやスライムじゃなおさらその懸念は強いのかも。
「どうかお願いします、アンティエラさん。魔物失格の謗りも受ける覚悟です」
 断ったら自殺します。という鬼気迫る雰囲気をかもし出している。とは言え、私に断る理由はない。もし本当にスライム夫が剣の番人をしているのなら一緒の方が説得しやすいだろうし。
「あなた、封印の解き方はご存知?」
「いえ、知りません……」
 やっぱり直接聞くしかなさそうね。縮こまるスライムにぱちっとウインク。
「オーケー。一緒に連れて行って差し上げるわ」
 ぜひお願いしますとは言わない。あくまでも私は頼まれる側、交渉するときは優位な立場にいないとね。
「その代わり、封印の解き方聞きだすの手伝ってくださいよ」
 さっきまでの思いつめた様子から一転、嬉しそうに頷く。
「けど、勇者とは結構距離が開いてるのよ。追いつけるかしら」
「それなら大丈夫です。魔物用の連絡通路がありますから。番人が仲間を呼んだときすぐ駆けつけられるようにって。知らなければ絶対に通り過ぎてしまうような、巧妙な隠し通路です」
 え、あれって魔法で召喚してるとかじゃなくて、文字通り呼び声に応えてるんだ……意外と大変なのね。切ない魔物事情なんかを知りつつ、スライムに案内してもらう。子どもたちもちゃっかりカートに陣取って、遠足気分だ。
 確かに、ここの入口なんか目じゃないっていうカモフラージュが施されていた。私一回通ってるし、ここ! 魔物も良い仕事するわね……!
 連絡通路は意外と幅も広くて歩きやすいけど、大人二人が並んで歩けるほどのスペースはない。ここに勇者パーティを誘いこんで挟み撃ちにすれば簡単に倒せそうだけど……って、こんなこと考えちゃ私こそ人間失格だわ。
 ――と、順調に進んでいた私たちの前に立ちはだかる影。
「こんなところに人間か?」
 敵意十分な瞳に殺気満載の牙と爪。全身真っ黒の毛並みに、双眸の紅さが目を引く。
 地獄の猟犬ヘルハウンド――うっひゃー、初めて見た! あの爪欲しいぞチクチョウ! 普段だったら真っ先に商談を持ちかけるところだけど、悲しいかな、今そんな時間はまったくない。
 スライム一家が怯えた表情で私の後ろに隠れた。途中にこんなのが居たんじゃ怖くてひとりで行けないわね。怯え方尋常じゃないもの。最低レベルモンスターの悲しい性ってヤツかしら。
「どうもご苦労様です。私、行商人のアンティエラと申します」
 近づこうとした私に、牙を剥き出して応える。警戒しまくりのヘルハウンドは私の話を聞く気なんてさらさらないようで、地を蹴って私に襲い掛かってきた。
 けどそこは、いくつもの洞窟を渡り歩いてきた私のこと! 突然襲われるなんて日常茶飯事よ! 慌てず騒がず魔法を発動、地面から土が伸び攻撃を阻む。
 飛び退くヘルハウンドの襟首を素早く捕まえて、その大きな耳に囁きかける。
「実は私、伝説の剣を守るあの方からじ、き、じ、き、に! あるアイテムを持ってくるように頼まれているんですよ」
 ヘルハウンドの耳がぴくりと動いて、紅い双眸が私を見つめる。そこにあるのはなお濃い疑心の影。
「あら……疑うのね。そこにいらっしゃる奥方も了承済みですよ」
 突然振られた母スライムは慌てた様子で肯定する。
「もしアイテムが届かないような事態になったら……自分がどうなるか分かってますよね?」
 苦渋の表情。私とスライム一家の間をめまぐるしく行ったり来たりする視線。スライムのくせに結構影響力あるのね。意外。
「むむぅ……」
 今ヘルハウンドの頭の中ではさまざまな情報が行き来して、判断を下している最中だろう。しかしやがて、
「――分かった、通れ」
 渋々、といった風に道を譲る。やっぱり奥さんの頼み聞いて良かったぁ~! 私ひとりだったら今みたいにはいかなかったわ。
「ほほほ、どうもありがとう。何か欲しいものがあったらお安くしますわよ」
 まあそれってつまり定価ってことだけど。
 その後出会うモンスターにも片っ端から同じ戦法を用いて、「奥さんも一緒なら……」と道を譲ってくれる。すごいわね、剣の番人ってだけでスライムには変わりないのにこの影響力、支配力。私にも分けてほしいわ。
「あ、もうすぐ封印の間です!」
「いよいよご対面なのね!」
 大金に化ける至高のお宝との!
 うっきうきのわっくわくで、カートを引く腕にも自然と力が入る。
「こーんにちはー! あなたのニーズにジャストミート、移動ショップのアンティエ……」
 言い終わらぬうちに、飛んでくるのは炎まとった大量の土砂。
 うーわー、デジャヴ……
 なんてのんびり固まってる場合じゃない! 光の速さで身を翻して岩陰に隠れる。そっと顔を出した私の鼻先を掠めていく熱。と、とりあえず『クール・ポーション』飲んどこ……。
「ちょっと、話が違うじゃないの!」
 飲み終わって開口一番、スライムに詰め寄る。「と、言いますと……?」困惑気味の返答に頭を乱暴にかきながら、
「どうして……どうしてドラゴンが居るのよ!」
 威嚇するような、大地よりも重い咆哮が響き渡った。