全ては虚ろを懐く 09

 誰もが寝静まった夜中に、ユーロウは行動を起こした。ランプを手に墓地へ行き、ソレイユに言われたとおり一番奥の墓へと急ぐ。多くの花が手向けられた新しい十字架が鎮座していた。陰惨で憂鬱な墓地にあって、その花々だけが生者の世界を感じさせる唯一の存在だった。酷く場違いにも思える。
 直感的にこれだと判断し、傍にランプを置いてスコップで土を掘り返す。死者の眠りを妨げる、という罪悪感はなかった。倫理道徳がリビィラを救ってくれるのか? 信仰が彼女を生き返らせるのか? 答えは否だ。だからこそユーロウにとって、リビィラという至高の到達点の前には全てのものがどうでも良く、意味を成さない。これもただ目的を達するための手段であり作業でしかないのだ。
 やがてがつん、と硬質なものに先が当たり、ユーロウは慎重に土を払っていく。まだ新しさを感じさせる柩が姿を現した。
 満足げに笑い、額の汗を拭った。
「やぁリューヌ。ちょいと失礼するよ」
 蓋を取り外す。重いが、リビィラを想えば苦にはならない。姿を現したリューヌの遺体は、やはり頭と胴体が離れていた。それらしい位置に置いたは良いが、柩を移動させたときに転がってしまったのだろう。肩までずれていた。深い苦悩を抱えているような虚ろな瞳が見上げてくるが(目を閉じるという発想はなかったのか?)、ユーロウはさして気にしなかった。首がどうなろうと知ったことではない。
 ユーロウはポケットからナイフを取り出すと、心臓めがけて突き刺した。何度も、執拗に。幾度目かで、確かな手ごたえが切っ先から伝わる。抜きながら、ユーロウは薄く笑った。ソレイユにも見せたことがない、欲望が滲み出た酷い笑みだった。
 刃には、心臓が突き刺さっていた。
「悪く思わないでくれよ。これもリビィラのためなんだ」
 壊れ物を扱うように優しく手で包み込み、銀製の箱に入れた。後は女呪術師に渡すだけだ。これでリビィラは半永久的にあの姿を保てる。
「まったく、この世で最も尊くて、背徳的な物々交換だよ」
 今使っている薬は自分の血をいくらか犠牲にして手に入れたが、心臓となるとまさか自分のものを差し出すわけにはいかない。それも新鮮なものが良いと言うから、困ったものだった。
 しかし、ソレイユのお陰で自分の手を汚すことなく手に入った。
「良き隣人に恵まれて僕は本当に幸せだ。彼女はまさしく、太陽だよ」
 墓を元通りにして、ユーロウはくつくつと暗鬱な声をあげながら墓地を去った。
 風が吹き、砂を舞い上げる。



 ソレイユは薄暗い牢を横目に歩く。エトワール以外は誰も居ないようだ。この寒々しい雰囲気に、どことなく背徳を感じる。ユーロウの言っていた「タナトフィリア」というのは、こんな物にまで有効のようだ。
「エトワール、私よ、返事ができるならしてちょうだい」
 呼びかけてみると、返事の代わりに鎖の音が反響した。それを頼りに行くと、果たしてエトワールは居た。両手足を鎖に繋がれて、血に塗れて倒れている。自警団に拷問にでもかけられたのだろう。呼吸は浅く早い。死にかけているのは一目瞭然だった。エトワールは生きたまま火刑に処されると聞いたのだが、自警団が余計なことをしたせいでその前に息絶えるだろう。
 ――でも、暗くてよく見えないわ。残念ね。
 親友の体を心配するよりも自分の欲望が真っ先に頭を掠めたことにこっそり苦笑して、ソレイユは話かけた。
「無事……じゃないわね。酷いわ」
 そして美しい。教会の華やかなエトワールも良かったが、狂気が去った後の静かに死へ向かっている彼女もソレイユの心を掴んで放さない。むしろ今の姿が最も美しいとさえ感じる。
 口元に湧き上がってくる笑みを誤魔化そうと、手で覆った。
「そんなに痛くないのよ。大丈夫」
 エトワールが安心させるように笑った……のだが、中途半端な笑顔がかえって痛々しい。
「そうなの」
 ソレイユはいよいよ我慢できなくなって声をあげそうになったのだが、むりやり顔をしかめて表情を取り繕った。たとえ視界は悪くとも、エトワールが一歩ずつ確実に死へと向かっているのを肌で感じる。その瞬間が早く訪れないものかと、ソレイユは落ち着かなかった。しかし、同時に浮かんでくるのは、親友の死を悼み悲しむ感情。まだこんな気持ちが残っていたのかと自分に驚き、そしてどこか安心した。
「一つ聞いて良い?」
 今にも絶えてしまいそうな、掠れた声が届いた。
「もちろん、私に分かれば良いけど」
「……月はどうなってる? ここからだと見えなくて」
 質問の意図は分からないが、出ていないと答えると、エトワールは微笑を浮かべた。教会での悠然とした笑みと同様どこを見ているわけでもなく、彼女にしか見えない何かを見つめているかのようだった。
 ――やがてエトワールは、血を吐きながら息絶えた。
「エトワール、エトワール!」
 いくら呼びかけても、もう彼女が反応を示すことはなかった。ソレイユは頬を伝う涙を拭う。どこまでが演技かは自分でも分からなくなってきたが、最期の瞬間は、友情が終滅愛に勝ったのだ……これは彼女の死を悼んだ本物の涙だと、確信する。
 しかし、悲しみが引くのは早かった。その悲しみの穴を溢れ出る恍惚が埋めていく。ソレイユは少しも抗わなかった。今更、これ以上善人ぶるのはよそう。
 私はエトワールが死んで、その瞬間に立ち会えて、心底喜んでいる。これは曲げようのない事実だ。
 ソレイユは動かぬエトワールをじっと見つめた。暗闇に慣れた瞳は、おぼろげながらもその姿を浮かび上がらせた。
「エトワール。あなた今、本当に……」
 ――輝いてるわ。この地上のどんなものよりも。
 太陽さえ、その輝きには勝てないだろう。きっとこの輝きのために自分は行動してきたのだ。私は間違ってはいなかった。
 ソレイユは親友の姿を目に焼き付けて、そっと立ち上がる。壁にかけられた松明を取ると、エトワールの牢に投げ入れた。炎はゆっくりと彼女を覆い、その身を焼いていく。そんな光景にすら身が震えた。
 親友へのせめてもの手向けだった。自警団はきっと、彼女が死んでいるのも構わず火あぶりにするだろう。この美しいエトワールが見世物になるなど、耐えられなかった。教会のときとは違う。これは、自分だけに許された芸術品だ。
 ユーロウが居なければ、この美しさに気づくことは永遠になかっただろう。自分を偽って、湧き上がる喜びを抑えつけて、善人のソレイユとして過ごしていただろう。
 今となっては、そっちの方がぞっとする。
 更に数個投げて、ソレイユは足早に去った。肉の焦げる臭いが追ってきて、鼻をつく。しかしそれは決して、嫌いな臭いではなかった。
 暗い廊下を抜け、外へと出たソレイユは走った。もう少ししたら、自警団も異常に気づくだろう。罪人を捕らえているのに、警備も居ないなんて、愚かにも程がある。単純に、エトワールが自力で逃げ出すこともなければ、彼女を助けに来る人も居ないからと、高を括っているだけだとは思うが……でも彼らが常識的な範囲で物事を考えていれば、ソレイユは今こうしては居ないのだから、彼らの愚鈍さに感謝の念を抱いていた。
 ソレイユは道行く人の話に、教会が焼かれることを知った。汚れた教会はもういらない、と。また新しい場所に建て直すのだと、そう笑い合っていた。
 教会の前ではなるほど、確かに役場の人間が数人で何か話し合っていた。ソレイユは彼らに気づかれないように教会の裏手に回り、エトワールの果実園へと急ぐ。実った果実は、熟してはいないが決して食べられないわけでもない。いくつかを丁寧にもぎ取って、帰宅した。
 エトワールの果実は酷く甘美な味がした。
 まるで彗星のように現れ、大地に堕ちたエトワール。死に際の輝きはまさしく、夜空を飾る星そのものだった。
 咀嚼するごとに彼女の美しさが思い起こされ、飲み込むたびにそれが消えていく。至福の時だ。永久などいらない。刹那が良い。ソレイユの嗜好を分かっているかのように、思い出は浮かんでは消え、消えては浮かんできた。
 全て食べ終える頃には――ソレイユは、次の芸術品は誰かと考えを巡らせていた。
 自らの輝きを信じない太陽は永遠に、他者の輝きに魅せられるのだ。

 ――恍惚の時は終わり、再び、変わり映えしない虚ろな日々が幕を開ける――