全ては虚ろを懐く 03

「……永遠の愛を誓いますか?」
 聖書を持ったシスター・エトワールが尋ねる。新郎新婦は真摯な眼差しで「誓います」と頷いた。
 しんと静まり返った教会に、エトワールの声が響く。
「では、誓いの口付けを」
 促されて、若き夫婦ははにかみながら唇を重ねた。今まで静かに見守っていた者達は一斉に拍手を送り、二人を祝福した。小さな村だから、総出でのお祝いだ。この世の幸せ全てを集めたような新郎新婦の笑みに、エトワールも唇の端を持ち上げた。いつもは閑散とした教会が、夏の熱気をも飲み込めそうな、尽きない程の喜びと幸福に満ち溢れている。
 寄り添いあう二人に送られる惜しみない拍手。まるで自分に向けられているかのような……。
 外へ流れていく人々を見送りながら、エトワールは聖書を閉じた。自分の役目は終わった。後は彼らが好きなように祝うだろう。開かれたままの教会の扉の先に微笑みかける。おめでとう、呟いて視線をずらした。
 その先には、椅子に座ったままの男性……確認するまでもない。リューヌだ。彼もこちらを見ていた。優しい眼差しに頬が赤く染まる。すっかり人々が出払い普段の静寂を取り戻した教会で、二人は近づき、軽く抱き合った。
「お疲れ。思ってたよりも随分さまになってたよ」
「これでもシスターだもの。当然だわ」
 おどける彼に、エトワールも笑い返した。二人でくすくす笑った後、リューヌの大きな手が頭に置かれた。たったそれだけのことがエトワールの心を満たす。
 彼の全てが愛しかった。きっと彼も自分の全てを愛してくれているに違いない。エトワールには確信にも似た思いがあった。
 先程の幸福に彩られた花嫁を思い起こす。次は、自分だ。純白の法衣ではなく、ドレスを着て、牧師に永遠の愛を誓うのは、この私。相手は当然、愛しいリューヌだ。寄り添う二人は何ものにも隔たれない。そう、永遠に手を取り合って暮らすのだ。
 いつかは辿り着くはずの未来。いずれは自分も、祝福する側ではなくされる側へと転じるのだ。
「どうしたの? 顔が赤いけど」
「あ……やだわ、私ったら。何でもないの」
 エトワールは軽く首を振る。
「そう? なら良いけど……僕は外へ行って来るよ。新郎のブリュノとは仲が良いからね。君は?」
「私は遠慮しておくわ……また今度ゆっくり逢いましょう」
 名残惜しかったが、わがままを言うわけにもいかなかった。リューヌは「そっか、残念だ。またね」とエトワールの長い髪を一房取ると、口付けた。リューヌは決して無理強いはしない。それが嬉しくもあり、寂しくもあった。
 エトワールは去っていく背中を見送ると、溜息をついた。椅子に座り、天窓を見上げる。眩しい真夏の太陽の光がステンドグラスを通して降り注いでいた。一日の大半を教会で過ごしているエトワールに、友人はそう多くない。村人全員とは顔見知りだが、懺悔を聞いたり毎週のミサを仕切ったり……と、その程度の関係だった。友人と呼べるのはソレイユくらいか。リューヌとも彼女を通して仲良くなったのだ。いくら感謝してもし足りることはない。今、この幸せの塊のような感情を抱けるのは、全てソレイユのお陰だ。その名の通り、彼女はエトワールにとって太陽だった。ソレイユと居ると、自分がいかに輝きを失っているかを思い知らされる。
「でも、今は」
 リューヌが居る。愛しい人が、傍らに立ってくれている。彼と結ばれた瞬間、自分は輝きを取り戻せるのだと信じていた。
 神に永遠の愛を誓ったシスターが人を愛するなど……背徳だと人は詰るかしら。罪深いと、罵るかしら。
 ――いくらでも叫べば良い。他者の幸せを妬む心の狭い人々の言葉など、私の心に波紋一つ作れはしないのだ。それに、彼のためならば喜んで聖職者を投げ出す覚悟があった。私には彼が、必要なのだ。
「エトワール、一人で何してるのよ」
 思考に沈んでいると、入り口から急に声をかけられた。振り向くまでもなく親友と分かる。
「外へは行かないの?」
「ええ、そうね……だって私が行っても仕方ないでしょう、ソレイユ」
 振り向く。思ったとおりの姿があった。結婚式のためか少しおしゃれをしていたが、それ以外は普段通りのソレイユだ。
「そんなことはないわよ。行きましょう」
 ソレイユは愛嬌のある笑顔を見せて、エトワールに近づいてきた。腕を取り、「はーやーくっ」と急かす姿も可愛らしい。――ああ、やっぱりこの子には敵わない。エトワールは苦笑する。彼女に言われると「いいえ」とは言いづらい。彼女の纏う雰囲気に呑まれてつい、頷いてしまうのだ。
「……分かったから、そう引っ張らないで」
「はい、素直で宜しい」
 ソレイユはふざけた口調で言うと、エトワールの腕をがっちり掴んで隣を歩いた。
 エトワールは再び、苦笑を漏らす。歳はそれ程離れていないはずだが、彼女の妙に幼い仕草を見ていると、母親にも似た感情を抱くことがある。それもきっと、ソレイユの魅力の一つなのだろう。
 皆から愛されるソレイユが、エトワールは少しだけ、羨ましかった。