第一章 第三節

「お嬢様、何度申し上げたらお分かりになるんですか。迎えの馬車が行くまで学院に居て頂かないと」
 屋敷に帰る途中、そして帰ってきてからもジースの小言は続いている。
「来るのが遅すぎる。主人を待たせておいて何言ってるの?」
 ティアロの返答に、ジースは整えられた金髪を掻いてため息をついた。「あれでもいつもより早くにお迎えにあがったのですが」恨みがましく呟くジースを無視して、さっさと自室へ向かった。この人は黙ってれば良い線いってるのに、どうしてこうも口うるさいのだろう。これでは流れるような金髪も、切れ長の青い瞳も、すべて台無しだ。
「だいたい、あの場所はお屋敷とは反対方向ではありませんか。遅いも早いも関係ありませんよ。ウィシュナ様のことは残念ですが……」
 追ってきたジースの話はなおも続くようだ。いつも以上にうるさい。つい先日人が殺された現場に行ったのだから、いろいろ言いたくなる気持ちも分らないでもないが……そのことについてはちゃんと謝っただろうに。
 いい加減うんざりしてきて、怒鳴りつけてやろうかと思案していると彼は信じられない一言を放った。
「たかが地方領主の娘では、ミンセット家と釣り合いませんからね。不相応な立場に居たせいで裁きが下ったのかもしれませんよ」
「……は?」
 彼の言っている意味がすぐに理解できない。今こいつは……なんと言った?
「これを機に是非とも別のご友人を作られては如何ですか? 将来性や有用性を考えて選ばねば損をしますよ。ディーニ家などという弱小貴族と一緒に居ればミンセット家の評判も悪くなりかねませんからね」
 怒鳴るのも忘れて、ティアロは絶句した。彼の言葉が浸透してくると、一気に怒りが押し寄せてきて、反射的にジースの頬をひっぱたいていた。景気の良い音が廊下に響く。
「最っ低! もう二度とウィシュナの名を口にするな!」
 ジースは叩かれた頬を押さえて呆然とティアロを見つめ返してくる。何が悪かったのか、心底分かっていないような顔だ。その間の抜けた表情が神経に障る。
「分かったのか!」
 苛立ちに、自然と口調も乱暴になっていく。普段は温厚で通してるティアロの、あまりに鋭い叱責に近くに居た侍女数人も目を見開いていた。ジースは一瞬だけ肩を震わせて「畏まりました」とだけ口にした。絶対に分かってないな、こいつ。ティアロはこっそり舌打ちすると部屋に入った。怒りに任せて扉を閉めると「もっとおしとやかにしませんと、お嬢様」ジースの呆れたような声が聞こえてくるものだから。
「うるっさいわね、誰のせいだと思ってんの!」
 思いっきり扉を蹴飛ばしてやった。



「ティアロ、学院では何も変わりないか?」
 食堂に入ってきたティアロに真っ先に投げかけられた父の言葉。ウィシュナのことを聞きたいのだろうが、親の期待に応えてやるつもりはなかった。
 ティアロはにっこりと、必要以上に微笑んで答える。
「ええ、順調ですよ。お父様」
「なら良いのだけど……」
 答えたのは母だった。「何かあったらすぐに言うのよ」心配そうに見つめる瞳に、あいまいに頷いた。
「そうだ、ティアロ。お前、馬車が来る前に学院を出たそうだな?」
 父の目が細まる。これは怒っているときの表情だ。――ジース、お父様にちくったわね。ティアロは盛大にため息をついた。家族も使用人も揃って過干渉なんだから。勝手に部屋を漁る(しかもジースに命令して!)のは何とかして止めさせたが、きっとティアロの知らないところでも情報収集をしているんだろう。
 この前のことで過敏になっているのは分かるが、もういい加減子どもじゃないのだから好きにさせて欲しい。
「人が一人殺されているんだ。そんな危険な場所をうろうろするんじゃない。迎えが来るまではちゃんと学院で待っていなさい」
「遅いんですよ、お迎えが。待っていられません、歩いて帰った方が早いです」
 言い返すと、今度は母が、
「でも、家とは反対の道に居たって話じゃないの。しかもあの、ディーニ家の娘さんが……」
 その先は続けなかった。青ざめた顔で「ああ恐ろしい」と言わんばかりに首を振って、
「気になるのは分かるけど、もしあなたに何かあったらと思うと心配で仕方ないのよ」
「犯人探しをしようなどと考えてるんじゃないだろうな? そんなのは警備隊に任せておけばいい」
 犯人。ティアロは小さく、息だけで呟く。この数日間、何の成果も上げられていない警備隊に何を任せられると言うのか。
「それに以前『迎えが早すぎる』と駄々をこねたのはお前だぞ、ティアロ」
 父も困ったように、けれど強く反論した。ティアロはその言葉に「うっ」と黙り込む。
 確かに、以前もの凄く早い日があり、ジースに「もっと遅く来て」と要求したことがある。放課後にウィシュナと話をしていたのに、彼が無理やり中断させたからだ。ジースにまだ待っててと命じると、「待たせるのも申し訳ないから」とウィシュナは寄宿舎に帰ってしまった。
 その時の「それじゃあ、また後でね」という彼女の言葉を最後に、ウィシュナとは永遠に別れたのだ。
 ジースが邪魔をしなければもっとたくさん話せたし、もしかしたらウィシュナが通り魔と遭遇することもなかったかもしれない。そう考えると悔やんでも悔やみきれず、同時にジースに対する怒りもいっそう強くなる。たとえそれが理不尽な怒りであると分かっていても、感情は止められなかった。
 次に何かあったら父に頼んで追い出してもらおうか。
「あまり我侭を言ってジースを困らせるでないよ」
「私だってジースに困らされています。お父様もお母様もジースを甘やかしすぎではありませんか?」
 ぶすっと言い返すも、両親には子ども――子ども扱いされる歳でもないが――の言うこと、と苦笑で済まされてしまった。
「親にとって、子はいつまで経っても子どもなのよ、ティアロ」
 それきり、食堂は沈黙に支配された。