在りし日の―出会い― 04

「なーにが『お名前を教えて頂けませんか』だよ」
 酒場のすみで安酒を煽っていると、昼間の遣り取りが思い出されてじわりじわりと腹が立ってくる。本気で今更の質問だし、やはりボルドーのことは知らなかったという事実を改めて認識させられただけである。いっそ悪意を持ってわざとやってると言ってくれた方がスッキリするレベルだ。
 自分にずっと付きまとっていた人間のことくらい、少しは調べても良いんじゃないか? さすが戦場の死神は、考え方が一味も二味も違うらしい。
 しかし、一番腹立たしいのはそんなことではなかった。シアが自分に興味がないことくらい、最初から分かっていた。
(くそっ……)
 ムカムカして、つまみの味もよく分からない。玉ねぎのフライにえんどう豆のスープ、鶏肉炒め……安いメニューをいくつか頼んだだけで、財布はもう空っぽだ。今後のことも考えなくてはならない。しばらくはシアから離れて、依頼を請けつつ、合間に旅人でも襲うか――。
 思案に沈んでいると、にわか騒々しさが増した。喧嘩でも始まったかと思ったが、どうやらそうではないらしい。落ち着きがないのはいつものことだが、普段のそれとは少し様子が違うようだった。人々の視線に合わせて、なんとはなしにボルドーも視線を向けた。
「おい、ねーちゃん。こっちの席空いてるぜ。一杯どうだ?」
 喧騒にまぎれて、下心丸見えの野太い声が飛ぶ。
「ありがとうございます。ですが、人を探しているだけですので……」
「し、シア=フェイリア!?」
 申し訳無さそうに答えたのは、よくよく知った声だった。耳聡くボルドーの声を聞き分けたらしいシアが、パッと振り返る。その動きに合わせて周囲の男どももボルドーに視線を寄越し、「男連れか……」とあからさまに舌打ちをしてきた。
「ボルドー」
 形の良い唇から、自分の名前が発せられた。
 そう、一番腹立たしいのは、シアに名前を聞かれて――自分という存在を認識されて、どこかで嬉しがっている自分自身だ。お眼鏡に適った、とでも言うのだろうか。ただしそう思うということは、自分が格下だと認めているに他ならず、長年ひとりでやって来た傭兵のプライドはどこへ行ってしまったのか。
「あちこち探してしまいました。話があって……会えて良かったです」
(なんだなんだ、今更あの依頼のことがバレたのか?)
 相変わらず読めない表情に、冷や汗が出る。こちらには話すことなど何もない。
 思わず腰を浮かせたが、ごった返す人の中、こいつに捕まらず出口へ辿り着くのは不可能に思えた。
 空いている席に腰掛けると、穏やかに、手のひら大の袋をテーブルに置いた。中身が金なのはすぐに分かったが、そこそこの額がありそうだった。なぜこんなものを自分に差し出すのか。「なんだぁこれ?」訝しげな視線を送ると、
「お金です」
「お前はもっと他人の意図を察する努力をしろ、努力を! これはなんの金かって聞いてんだ。寄付なら教会か孤児院にでもしてやんな。俺はあんたに恵まれる筋合いはねーよ」
 シアは少し考えてから、にっこりと、
「オーク討伐の成功報酬です。一緒に倒したので、どうぞ受け取ってください」
 まさかそう来るとは思わず、ボルドーは目を丸くした。恐らくひとりでも余裕だっただろう討伐依頼の報酬を分けるという発想も、そのためにわざわざストーカーまがいの傭兵を探していたということも、想定の範囲外だった。こいつは覚えているのだろうか。目の前の男がどうして自分に付きまとっているのかを。……わりと本気で忘れていそうなのが怖い。
「それだけのために、ご苦労なこったな」
 わざとそっけなく返す。
「はい。食事中にお邪魔しました」
 特に気分を害した様子もなく、軽く頭を下げた。
「失礼しますね」
「もう用は済んだんだろ? そんな不景気な野郎放っておいて、こっちのテーブル来ねぇか? 一緒にメシ食おうぜ」
 立ち上がると、タイミングを見計らっていたかのように声がかかった。
 さっきの男だろう。まだ諦めていなかったようだ。真っ赤な顔に、黄色くなった歯が見え隠れする口元。ボルドーも顔をしかめる程度には小汚い男だった。下心しかないような表情で、シアを手招きしている。同じテーブルに座っているのも似たり寄ったりの面々で、誰が見ても即お断り案件だ。
「はい。良いですよ」
「待て待て待て待て待て待て」
 思わず身を乗り出して、その腕を掴んだ。こちらを振り返ったシアを見て、一体何をしているんだと我に返ったが、何故かこの手を放す気にはなれなかった。
「にーちゃん、もう話は終わったんだろ? 酒のひとつも奢ってやれねー甲斐性なしは引っ込んでな」
「いいや、まだ終わってねぇ。……これから大事な仕事の話があるんだ。ほら、さっさと座れ」
「そうなんですか? 話の途中で失礼しました」
 口からでまかせだったが、シアは男たちに「すみません」と頭を下げると、大人しく椅子に座り直した。今はこの素直さがありがたい。
「あー、なんだ。討伐……そう、討伐依頼だ!」
 昼間に見た依頼書の数々の中から、記憶を探る。
「期日の近いものが二つほどあった。だが、場所がちっとばかし離れてる。そこで、俺達二人で受注して、成功報酬を山分けする。どうだ?」
 覚えてる限りの詳細を伝えると、
「私は構いません」
 相変わらずの即断即決。こんなのはまったくの嘘で、油断したところを奴隷商人に売り飛ばされるかもしれないというのに。
 何も考えてないんじゃないかって、何度目かの疑いの眼差しを向ける。シアはそんな視線どこ吹く風で、「その依頼は私も見ましたが」と続ける。
「あなたの実力ならひとりでも期日内に達成可能でしょう。私も行って良いんですか?」
 やはり考えは読めない。だが、嘘や冗談を言うヤツじゃないってのは短い(一方的な)付き合いの中で分かっている。
 ボルドーは腹の底がムズムズする妙な感覚を覚えながら「俺が来いって言ってんだから、良いんだよ!」こそばゆさを吹き飛ばすように、尊大に答えた。
「分かりました。よろしくお願いします」
 刹那、表情の変化があった。シアはぽつりと、
「……実は、こうして仕事に誘って頂くのは初めてで……」
 無表情の笑顔の中、ほんの少しだけ浮かび上がった喜びと、はにかみ。
「よ、よぉっし、そうと決まれば景気付けに一杯行くぜ! ……おい、エール追加!」
 うっかりのまれそうになったボルドーは首を振ると、店員を呼び止める。
 ほどなくして運ばれてきた酒を、シアは物珍しそうに眺めている。
「なんだ、飲めねーのか?」
「分かりません。初めて飲みます」
 アルコールに対する躊躇はないようだった。
「んじゃ、商談成立にカンパイと行こうか」
 かつん、と軽い音がして、グラス同士が合わさった。ボルドーが豪快に煽ると、シアも真似をするように口をつけた。
 ふぅ、と息を吐いて、しばし無言。半分ほど減ったグラスをじっと見つめて動かない。なんとなく、焦点が定まっていないように見えた。
「どうし――」
 まるでボルドーの声に押されたかのように。
 シアの身体がゆっくりと傾き――派手な音を立てて椅子から転げ落ちた。
「お、おい!?」
 かなり痛そうな音がしたが……どうやら頭からいったようだ。
 慌てて抱き起こすと、耳まで赤くしたシアは静かな寝息を立てていた。額が赤いのは酒なのかぶつけたせいなのか。
 このちょっとしたハプニングに気づいた周囲の客が「堂々としたもんだなぁ」「俺たちも仲間に入れてくれよ」と野次ってくるのを綺麗に無視する。
 いくら揺さぶっても起きる気配はない。
(こいつぁ……)
 あのシア=フェイリアが、こうも無防備な姿を晒している。今までのボルドーの苦労を嘲るかのごとく、それはもう見事に寝入っている。
 誰がどう見ても、千載一遇のチャンスだ。目を覚ます前に、金に変えてやればいい。これだけの美人が仕入れられるとなれば奴隷商も飛んでくる。シアも別に恨んだりはしないだろう。なにせ、自ら売られても良いと言ってのける変わり者なのだから。
 ボルドーはシアを担いでそっと店を出た。夜風が酒で火照った身体に沁みる。軽い身体を抱えたまま歩き出と「う、ん……」風に当たったせいか、シアが少し身動ぎした。何度か咳をするので、担ぎ方を変えて道を進む。
『……実は、こうして仕事に誘って頂くのは初めてで……』
(くそ……)
『あなたの実力ならひとりでも期日内に達成可能でしょう。私も行って良いんですか?』
(くそっ……)
『ボルドー』
「ちっ……」
 最後は思わず、苛立ちが声に出た。
 踵を返すと、取っていた安宿へ向かう。叩けば埃しか出ないような連中が集まる粗悪な宿で、酔いつぶれた女ひとり連れ込んだところで誰も気に留めない。他人に対して知らぬ存ぜぬが、この界隈の暗黙の了解だった。
 のんきな寝息を聞きながら、部屋へ向かう。
「ああ、ちくしょう!」
 せめてもの腹いせにと、雑な手つきでシアをベッドに放り投げて、その日は硬い床で眠った。



「その後は、なんでか知らんがずっと組んだままで、この前集まってた連中もどっかの時期で一緒に仕事をしたやつらだ。シアがいなくなってからも仕事仲間って感じでやってるっつーわけだな」
 ボルドーはすっかり赤くなった顔で、そう締めくくった。
「よく手出さなかったな」
「へへ、お前は我慢できねぇってか?」
「ちげーよ! よく売らなかったなってことだよ!」
 なんてこと言いやがるんだこいつ。俺はもっと紳士だっての。この前の夜だって、シアを部屋に寝かせて、しばらく寝顔を眺めてから帰ろうと思ってただけなのに……未だ解けない団長の誤解を思い出し、小さく嘆息する。
「ま、結果として売らなくて正解だったぜ。仕事に困ることもなくなったしな。今はもう本人はいないが、知り合いってだけで依頼主の心証がよくなることもあるんだぜ」
「へぇ~。さすがシアだな」
 自分の名前がそんな影響力を持ってるなんて、シアも知らないんだろうな。ボルドーの話からも、シアは自分が周りからどう見られているのか分かってなさすぎるんだ。だから危なっかしいし、誰かに抜け駆け……じゃなくて、騙されたりしないか、周囲の方がヤキモキしちまう。まぁ、その「俺がなんとかしなきゃ」って気を張ってるのも楽しいんだけどな!
 だから、ボルドーが思わずシアを引き止めちまったのは、俺にもよく分かる。こいつも結局のところ、金より「放っておけない」って気持ちが勝っちまったんだな。
「なんだよ、ニコニコしやがって」
「お前もいいやつだったんだなって思っただけだ」
 ボルドーは口を開きかけて、しかしつぐむ。一呼吸置いて、ニヤリとすると、
「上官大好きな騎士サマのために、わざわざ昔話してやってんだ。そんな俺が悪いやつなわけねーだろ。……なぁ? シア」
 ――はっ? 今なんつった!?
「はい。ボルドーは昔からいい人です」
 硬直する俺に答えるように、柔らかな声が背中を撫でた。
 聞き間違えるはずもない、我らがシア=フェイリア副団長その人の声だ。
「いいいいいつからそこに?」
 思わず立ち上がって、自分でもはっきり分かるほど上擦った声で問いかける。さっきまでの会話聞かれたか? やましい話をしてるわけじゃないが、本人のいないところでいろいろ聞いてるわけで……
 いや、その前になんでシアがここにいるんだ? 見回りか? 今日は詰め所の当番だったはずなのに。
「レイがボルドーを褒めたときです」
 慌てふためく俺に、シアがコツコツと足音を響かせて近づいてくる。質の悪い木材が歩みにあわせて軋んだ。
「ちょうどお前の話を聞かせてやってたんだぜ。もっと早く来てくれりゃあ良かったのに。たまには思い出話に花を咲かせるのも悪くないだろ?」
「っておい! 言うなよ!」
「そうだったんですか。では、今度改めてお話しましょう」
 シアは気にした風もなく、ボルドーに笑いかけた。そして俺に向き直ると、
「レイ。あなたが今日、お休みだということは私も承知しています。ですが――」
 じっと見上げてくる黒曜石の双眸に射抜かれて、心臓が止まりそうなほど緊張する。ち、近い! 顔が熱を帯びるのを感じた。
「騎士が、昼間からお酒を飲んで騒いでいる、と苦情が入ってしまいました。私とともに宿舎へ戻ってください」
 ちら、と視線が移る。その目線の先を追うと、ボルドーがすっかり空にした酒。
「いや、俺は一滴も飲んでないぞ!」
「そんな真っ赤な顔して何言ってんだよ。騎士ともあろう者が、言い訳は見苦しいぞ?」
 う、裏切り者! お前が全部飲みきったんじゃねーか! 俺が抗議しようとしたとき、「おう、ちゃんと連れて帰ってくれよ」ボルドーではない、別の男の声が乱入してきた。
 悠然と店内に入ってきたのは、見知らぬ男。いや、こいつは……恐らくボルドーと話している最中に店を出て行った男だ。
「はい。お騒がせしました」
 シアが頭を下げる。
「さぁ、行きましょう、レイ。団長も待っていますよ」
 うげっ、団長まで伝わってるのか。
 この場に団長が来なかったことに感謝すべきか。久々に近くでシアの姿を拝めて、少し気力が充填された気がした。この後の展開に耐えるのに足りるかは不明だが。
「そう落ち込むなって。また一緒に飲もうや、騎士サマよ」
 誰が飲むか! 今日だって飲んでねぇし!
 反論するより早くシアに促された俺は、せめてもの抵抗に睨みつけてやる。もちろんまったく効果はなかったが。
「お前のお陰で、美人騎士様と話すネタが出来たぜ。ありがとよ」
 すれ違いざま、男が俺に囁いた。
 シアと話すために、あることないこと吹き込みやがったのかこいつ……! とは思うものの、それは俺にもよく分かるから困る。俺もシアに話しかけるためにせっせとネタを探す日々だからな。
(でも今日の当番がシアじゃなければ、また団長に怒られることもなかったんだろうな……)
 久しぶりに並んで歩くシアの姿に、嬉しいやら悲しいやら、こっそり息を吐く俺だった。