在りし日の―出会い― 03

 シアは賑やかな大通りを外れて、傭兵の斡旋所へ向かっているようだった。夜になればいつも、しつこい客引きや女衒がシアに食いついてくるが、この時間は静かなものだった。
 質の悪い喜劇のような出会いからひと月。
 未だ捕らえることが出来ず、失敗するたびに「今のは左が甘い」だの「気配が分かりやすい」だの有り難いご指導を賜った。
(あいつは俺をなんだと思ってやがる)
 散乱するゴミを避けながらゆっくり進む。
 今の尾行も気づかれている可能性は高い。
 それを放置されている時点で、お前など取るに足らない存在だと言われているに等しく、腹立たしいことこの上ない。ボルドーは拳を握る。
 最近は傭兵としても盗賊としても活動が縮小しており、そろそろ財布の中身も寂しくなってきている。ここいらで決着をつけなくてはならない。
 シアが店に入るのを確認し、間を置いてから滑りこむように中へ入る。マスターと話している背中がすぐに視界に飛び込んできた。壁に貼ってある依頼書を確認する振りをして、柱の陰になるよう立つ。
 それなりに賑わっており、体の大きなボルドーでもそれほど目立たなくて済みそうだった。その辺でたむろしてる連中がちらちらとシアを盗み見している。美人が入ってきたとでも思って、いつ声をかけるかの算段でもしているのだろう。
「指名ですか……依頼主は知らない方ですね」
「ついでにこっちも請けたらどうだ。場所が近いぞ」
 マスターがにこやかに依頼書を差し出している。シアはじっと依頼書を見比べていたが、ややあって頷いた。
「では、どちらもお請けします」
 手付金が支払われると、誰かが声をかける間もなく早々に立ち去った。扉を名残惜しそうに見ている男たちを鼻で笑うと、マスターに確認する。
「おい、さっきの女が請けたのは依頼番号xxxxxxだな? 指名のやつだ」
 あからさまに胡散臭そうな顔をすると「おたくは?」質問が返ってきた。笑顔のひとつもない。さっきと対応が違いすぎるだろ、と舌打ちする。
「依頼番号xxxxxxの依頼主だ」



 あのバケモノじみた女相手に、まともにやりあってもムダだと悟ったボルドーは少し戦法を変えることにした。
 協力者を用意することにしたのだ。傭兵仲間ではない。恐らく傭兵が何人集まっても同じことだし、シア=フェイリアの名前を聞いただけで拒否されるだろう。仮に捕まえることができても、報酬の分け前で揉めることは容易に想像できた。
 可能な限り、シアに警戒心を抱かせない相手が良い。子どもか、女か、老人か。ボルドーが選んだのは町にいた物乞いの少年だった。
 彼に適当な金を握らせ、護衛依頼としてシアを指名させる。内容は何でも良かったが、近くの森に薬草を摘みに行くとそれらしい嘘をつかせた。一応偽名で出したが、よくよく考えればシアは自分の名前を知らないだろう。腹立たしいことだが。
 あいつが請けない可能性もあったが、よほどの理由がない限り指名を断る傭兵はいない。名前を売れるし、馴染みができればそれだけ安定した収入を得られるからだ。
 斡旋所でシアが依頼を請けたことを確認し、目的地へ先回りして待機する。葉が茂り、見通しはあまり良くない。あえて探そうとしなければ、向こうからボルドーの姿は確認できないだろう。
 動物や虫が葉を揺らす音、風の通る音――やがて、それらに足音が混ざり始める。明らかに素人ではないそれに耳をすませば、
「もう少しで目的の場所です。足は大丈夫ですか?」
「う、うん……」
 付随するように二人の声も聞こえてくる。
「良いですか、先程も言ったとおりですが……」
 ついに二人の姿がボルドーの視界に入った。今のところは思惑通りに事が運び、ひとりほくそ笑む。
 シアはあっさりとボルドーを通り過ぎ、背を向けた状態で立ち止まった。少年は言いつけ通り、シアの後ろにぴたりとくっつくように歩いているようだ。
 少年には短剣と、ただひとつ役割を与えてある。
 計画は単純である。
 なぜシアを捕まえられないのか? 自分の攻撃がことごとくかわされ、一太刀も浴びせられないからだ。では、どうすれば良いのか――それには相手の動きを鈍らせる必要があり、であれば足を狙うのが最も効果的である。
「もし危ないと思ったら、すぐに逃げてください。依頼主の――あなたの命が最優先です」
「う、うん、分かってる……」
 少年は後ろめたそうに頷き返す。
「良い子ですね」
 シアは目線を合わせると、少年の頭を撫でた。
 少年の背丈はちょうどシアの腰程度である。シアの足にしがみついて切り裂くには、もってこいの身長だった。ボルドーは二人の様子を観察しながら唇を舐める。
 そして、頃合いを見計らって二人の背後に立った。
「よぉ、奇遇だな」
「あなたは……最近よくお会いしますね」
 振り返ったシアは、まるで友人に出くわしたような微笑みを向けてきた。ボルドーが自分の周囲を嗅ぎ回っているのは分かっているはずなのに、そんなことはまるで興味ないとでも言いたげだ。実力差による余裕なのだろう。だが、余裕は必ず油断を生む。
「はっ、シア=フェイリア大先生のサインでも頂こうと思ってね」
 挑発的に睨みつけ、次いで少年を見遣る。
 シアが一歩踏みだそうとしたとき、少年はハッとしたようにその足にしがみついた。
 予想外の重みにシアは思いっきりバランスを崩す。
 少年は目を瞑り、小刻みに震えるばかりで、渡したナイフは取り出そうとしない。
 ――絆されたか。舌打ちしたが、それでもこの好機を見逃す手はなかった。ボルドーの知る限り、あのシア=フェイリアが初めて地面に手をついたのだから。
「大丈夫ですよ。怖がる必要はありません」
 大股で近づき、シアが少年に伸ばした腕を掴んで捻り上げる。シアは「んっ……」小さく呻いたが、抵抗されるより早く後ろ手に縛り上げた。腰の剣も放り投げる。抜身の剣は鈍い音を立てて地面を転がった。
(やったぞ! ついにシアを捕まえた!)
 内心は己の勝利に狂喜乱舞、今にも踊りだしそうな足を抑え、表面上は平静を装う。
「ガキに引っ付かれてコケるたぁ、無様だな。――おい、お前ももう離れていいぞ」
 少年はそろりと身を起こすと、一歩離れてじっと地面を見つめている。罪悪感でも覚えたのか、シアの顔を見ようとしない。
「はい。相手があなたで助かりました」
「てめぇ喧嘩売ってんのか!?」
 叫び声に、シアは首を傾げた。この本当に分かってなさそうな態度が腹立つ。
「怒らせてしまったのでしたら申し訳ありません。他意はないんです。そのままの意味で……」
「だからそれが喧嘩売ってるっつってんだ!」
 顎を掴んで無理やり顔を自分に向けさせる。黒い双眸がボルドーをまっすぐ捉えているが、そこに恐怖や混乱、あるいは蔑みといった負の感情は一切浮かんでいない。
 ある意味で、完璧な無表情――張り付いた笑顔は仮面のごとく、崩れない。
 縛られ、武器もなく、何をされるか分からない状況で。なおも柔和に微笑むシア=フェイリアに、少し薄ら寒いものを感じた。これは本当に余裕なのか、それとも――
「お前、頭のネジは大丈夫か?」
「私の頭にネジはありません」
「そういう意味じゃねーよ!」
 いつも通りの人をおちょくった発言、乱暴に手を放した。
「それよりも、お気をつけください。もう来ていますよ」
「は? 何が――」
 ボルドーの言葉が言い終わらないうちに、空気を裂く音。反射的に横に飛んだボルドーの視界を、粗雑な矢が掠めていった。
「この子の護衛と、もうひとつ請けた依頼が――オークの討伐です。退治後にと思ったのですが、どうしても刻限が迫っているとのことで、同時になってしまいました」
 淡々とした言葉を聞き流しながら、剣を抜き、振り返りざまに斬り上げる。肉薄していたオークの銅を深く薙いだ。巨体が崩れ落ちる。
 オーク。知能は高くないが、好戦的で危険な種族である。基本的に森の奥地や洞窟で暮らしているのだが、たまに人里近くにおりて人間を襲う。こちらを見据える不気味な眼光は、ざっと見て五匹分か。なかなか骨が折れそうだった。
「お手伝いしてくださるんですか? ありがとうございます」
 シアがもぞもぞと腕を動かして、少年を隠すように立つ。縄がはらりと解け、地面に落ちた。そう簡単に抜けられる縛り方じゃなかったが……今は気にしている場合ではない。
 少年は青ざめたまま立ち尽くしてたが、シアが隠れるよう促すと我に返ったようで、茂みに身を隠した。
「弓を持つ二匹はお任せください」
 言うやいなや、武器も持たずに駆け出す。オークも敵が動き出したのを見て向かってくるが、振り下ろされる鈍器を難なく避けて後衛へと一気に間合いを詰めた。
 ボルドーも見ているだけではない。
 隙を見せたオークに勢い良く斬りかかり、もう一体の攻撃も剣でいなす。続く攻撃も間合いを取ってかわし、相手が構え直す前に一閃。確かな手応え。
 傷に激高したオークは雄叫びを上げ、遠心力に任せて武器を振り回してきた。当たったら一発で昇天の勢いだ。
「そんな攻撃が当たるかってんだ」
 どれだけ一撃必殺の威力を持っていようとも、当たらなければ意味がない。ボルドー自身も悲しいほどに痛感している。振りきって無防備になった銅を薙ぎ、傾いた身体を残りのオークへと突き飛ばした。追撃をかけようとしたところで、オークが「ギャッ」短い悲鳴を上げ、残りの二匹も倒れ伏す。
「お手伝い頂き、ありがとうございました」
 いつの間にか敵の背後に立っていたシア=フェイリアが、たおやかに礼を述べる。茂みに視線を投げれば、弓兵のオークも同じように倒れ動かない。
「おいおい、素手でオークとやりあったのか?」
 冗談めかして言うと、シアは軽く腕を振る。その手には短剣が握られていた。隠し武器だ。先ほどの縄もこれで切ったのかもしれない。もう一度腕を動かすと、短剣はすっと隠れていった。
「自警団への引き渡しは私がやります。この子の依頼の件もあるので、斡旋所には顔を出しますし」
 少年を抱きかかえると、その頭を撫でる。もう震えてはいないようだったが、顔色は悪い。そんな少年を落ち着かせるように、
「あなたは勘がいいんですね。私より先にオークに気づいてましたね」
 揺れる腕の中、褒められた少年はきょとんとする。
「足に飛びついてきたときは驚きましたが、仕方のないことです。生涯、オークを見る機会なんて多くはありませんから」
 少年とボルドーは、思わず顔を見合わせた。
(あー……つまり――)
 どうやらシアは、少年がオークに怯えて自分に縋り付いてきたと思っているようだった。確かに、事情を知らないシアから見ればそういう図にはなるかもしれないが……ボルドーがこの場にいた不自然さとか、少年とのちょっと知り合いっぽい遣り取りとか、その辺りから何となく察しても良いような気はする。
 ボルドーに対する無関心さのなせる業なのか、他人を疑えない性格なのか。ちょっと悪知恵の働くやつが本気出して狙ったら、簡単に死んでしまいそうに思えた。
(ま、俺が心配することじゃ……いやいやいや、別に心配なんかしてねーし)
 とりあえずこのまま勘違いさせておこう。ボルドーは唇に人差し指を当てて少年に示した。そのままジリジリと後退し、間合いを広げて――
「あ……お待ちください」
 呼び止められた。ぐっ、と唸る。逃げようとしているのがバレたか。
 しかし、シアから出たのは意外な言葉だった。
「今更かもしれませんが、お名前を教えて頂けませんか?」