在りし日の―出会い― 02

(へっ、今日の俺はついてるな)
 ボルドーは巨体を器用に隠しながら、草陰を移動していた。
 ここは街道から外れた裏道。周囲は木々が豊かに茂り、身を隠すには不自由しない。
 次の都市への近道だが未整備の上に盗賊がよく出るため、護衛を雇って歩くか、そうでなければ地図の通りに馬車で行くのが普通だ。
 だが、彼の目をつけている獲物――短い金髪に黒の瞳を持つ女は、どう見ても独り。
 しばらく尾行しているが、誰かと合流する気配はない。きょろきょろと周囲を見回しながらゆっくり歩いているところを見ると、道に迷っている可能性もある。それならば、街道に出て助けを呼ぶことも難しいだろう。
 装束からただの旅人ではないことは分かるが、剣を持っていようがしょせんは女だ。最終的には力でねじ伏せれば済む。
 腕力――とりわけ手加減なしの暴力には自信があった。あのか細い腕を少し捻り上げるだけで、簡単に、女は苦痛と恐怖に屈するだろう。抵抗次第では肩のひとつくらいは外させてもらうかもしれないが。
(適当に遊んで、奴隷商人に売りつけるか。あれだけの上玉だ、いくらになるか……)
 想像して、唇を舐める。
 じっと女の顔を凝視する。淡い陽の光に照らされたその顔は、街を歩けば誰もが振り返るに違いない。人によっては女神ベリテの化身だと賛辞を送るかもしれないが、ボルドーには金貨が服を着て歩いているようにしか見えなかった。
「この辺りだと思ったのですが……」
 女はおもむろに地図を広げ、道を確認している。
(よし!)
 地図に気を取られている今が好機。ボルドーは剣を抜き放ち、即座に跳躍。巨体に似合わず軽い足捌きで一気に間合いをつめる。
 女が振り返る。抜剣する気配はない。
 剣は万が一のときに備えた保険。商品に傷をつけては価値が下がってしまう。そのまま勢いを殺さず突進した。
 唐突な来訪者に驚く暇さえなかったようだ、女が動く気配は依然としてない。
(――とらえた!)
 と思った次の瞬間。
「どちら様でしょうか?」
 人を出迎えた町娘のような、やわらかい言葉が落ちた。
 場違いな声を聞いたと同時に、体は何をとらえることもなく、殺しきれなかった勢いが足をもつれさせる。
 ギリギリで踏みとどまって、視線を投げると、女は数歩後ろに悠然と立っていた。
 ――いつの間に移動した?
「俺が誰かなんて、どうでもいいだろ」
 動揺を抑えて、不敵に笑う。きっと気持ちが逸りすぎて距離を読み違えたのだろう。
「大人しくするんだな。次はねぇぞ」 
 剣を向け、威嚇する。二撃目まで失敗するような、ヘマはしない。
「サーフェスの仲間ですか?」
 そいつはここら一帯で暴れてるヤツの名前だった。
 ボルドーも盗賊稼業に片足を突っ込んでいる身だ、同業者と言えなくもないだろう。盗賊団を結成して派手にやってるせいで周辺都市の騎士や自警団に目をつけられて指名手配されている。単なる旅人が名前を知っているのも当然だ。
「残念だな、人違いだ」
 この旅人は本当に運が悪いな、と心の中だけで笑う。自分の方が、サーフェスなどよりもずっと上手くやっている。
「それは大変失礼致しました。お詫び申し上げます」
 否定にあっさり納得し、ぺこりと頭を下げてくる。たった今ボルドーが襲いかかってきたことなど忘れてしまったかのような――まるで、友人だと思って肩をたたいたら人違いだったとでも言いたげな態度だ。
 向けられている刃が視界に入ってるのかどうかすら怪しい。
 頭を上げると「それでは、失礼致します」ボルドーに背を向けて歩み去ろうとする。
「おいおいおい待てよ。俺とちょっと遊んでかねーか? きっと楽しいぜ」
 女のあまりに自然すぎる態度に一瞬見送りそうになったが、すんでのところで呼び止めた。
 下品な笑みを浮かべるボルドーに対し、女は微笑を崩さず「せっかくですが、お断り致します」やんわりとした口調で、しかしきっぱりと拒否してきた。
「そうつれないこと言うなって。この先の都市まで送ってやるからさ」
 もちろん商品として、だ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、道は分かりますので、お気持ちだけ頂きます」
 軽く頭を下げる女は、ボルドーの思惑は全然分かっていないようで、単に好意から出た言葉だと解釈しているようだった。いったいどれだけ平和な世界で生きてきたのか――女の見ている世界に、果たして腰の剣は必要なのかと、深く考え込みそうになってしまう。
「……お前、この剣が見えてねーのか? 殺されることはないとでも?」
「見えています」
 どこか自信ありげに言い放つ。
 奴隷商人に売りつけようとしていること、実は分かっているのだろうか? わざとはぐらかすようなことを言って時間を稼いでいるのかもしれない。
(ふん、そうはさせねぇ)
 剣を握りなおすと、もう一歩距離を縮める。
「ならさっさと捕まりな。お前なら少し我慢すれば、奴隷でも良い暮らしが出来るだろう、よ!」
 言い終わらぬうちに、地面を蹴る。今度こそ間合いは完璧だ。
「奴隷?」
 女は首を傾げたまますっと半身ひねる――それだけでかわされてしまった。さらに追いすがり、掴みかかろうとする手も、あっさりと避けられ空を薙いだ。
(なんだこいつ――!)
 何度やっても同じだった。女は必要最低限の動きで攻撃を避け続け、常に数歩先で悠然としている。
 見た目に反して――強い。
「あ……すみません、少しお待ちください」
 ついに女が剣を抜く。しかし切っ先はボルドーに向けられたわけではない。たん、と軽やかなステップを踏んでボルドーの背後へ跳ぶ。草むらの中で剣を振ると「うわっ」とくぐもった男の悲鳴が上がった。少量ながら血が舞う。
「な、なんだ?」
 動揺の声を上げるボルドーに、頬を赤で汚した女は場違いなほどにこやか笑って、
「サーフェスの盗賊団を潰し、生きたまま捕らえること。それが今回の依頼でした。彼を逃がしてしまって、ずっと探していたんです」
 胸から血を流して気絶しているサーフェスの襟首を持ち上げる。見知った顔は、白目をむいてまるで別人のようだった。
「今、あなたごと私を射ろうとしていたので先に対処致しました」
 正直言って非常に不気味な絵だ。細い腕で一人の男を軽々と持ち上げているのも、血に染まりながら微笑む姿も。女は荷物からロープを取り出すと手際よく縛っていく。
 どうやら助けられたようだが、淡々とした様子を見ているといまいち実感が湧かなかった。
 そんなことよりも、気になることがある。
「お前、何者だ? 盗賊団はかなり大きな組織だったはずだ」
 サーフェスが派手に暴れていたのは、ボルドーから見れば確かにバカな行為だったが、それは実力に裏打ちされた自信があったからに他ならなかった。こんな平和ボケした天然女にやられるような男ではない。
「申し遅れました。私は……」
 赤にぬれた右手を布で拭いて、差し出す。
「シア=フェイリアと申します。以後、お見知りおきを」
「し、シア=フェイリアだとぉ!?」
 ボルドーはぎょっとして、反射的にその右手を振り払う。シアが寂しそうな表情を浮かべたが、そんなことに構ってる余裕はなかった。
 シア=フェイリア。その名を知らないヤツは三流か、新人か、もぐりだ。
 百戦錬磨の冷徹非情な死神。戦場で相対したが最後、必ず命を刈り取られるという噂だ。
 ボルドーも名前は知っていたが、実際に出くわしたのは初めてだった。もっとがっしりした大女や冷たい表情の女を想像していたのだが――
(こんなのほほんとしたヤツが、あのシアだと? まさか……)
 死神などという恐ろしいものより、どちらかと言えば慈愛の女神に見える。ボルドーがビビると思って、シア=フェイリアの名前を出しただけか――だが先ほどの身のこなしを考えると、きっと騙りではないのだろう。
 そう認めた瞬間、ぞっと悪寒が走る。
 知らなかったとはいえ自分はあのシア=フェイリアに手を出したのだ。恐ろしい報復が待っているに違いない。
「先ほどはすみません。まだ話の途中でしたよね。奴隷がどうとか……」
 ボルドーは「うっ」と絶句する。シアは「えぇと、それは……」考え込むように呟いたが、すぐに何かひらめいたようだった。
「私を奴隷商に売りたいんですか?」
 ボルドーの背を一筋の汗が流れる。シアの顔に張り付いた完璧な笑み。台詞とはあまりに不釣合いな表情が絶大な違和感と恐怖を呼び起こす。
「あー、いや……」
 意味のない言葉をいくつか呟いたあと、
「あぁそうだよ! 悪いか! 大人しく捕まれ!」
 緊張感に負けて思いっきり開き直った。後悔は少しだけしているが、もう後には引けない。
 言葉と同時に、不意打ちで攻める。が、あっさりかわされた。
「つまり、お金に困っているのですか?」
 死体のようなサーフェスの体を片手に首をかしげ――のんびりとした口調で衝撃的なことを口にした。
「サーフェスを引き渡した後でしたら構いませんよ。それであなたが助かるのなら、どうぞ売ってください」
「はあぁぁあ!?」
 開いた口がふさがらないというか、ふさぎたくない何かがある。ふさいだら負け。シア=フェイリアの常識破りの言葉を受け入れて自分の弱さを認めたことになる気がして、「はぁ?」と改めて睨みつけてやった。
「自分の言ってる意味分かってんのか? そんな台詞、大陸中探したってお前しか言わねーよ」
 いろいろな修羅場を潜り抜けてきたプライドをいたく傷つける非常識極まりない発言に、相手があの「シア=フェイリア」だということも無視して続ける。
「それで、はいそーですかなんて言うと思ってんのか? 目の前ににんじん吊るされて喜び勇んで走り出す馬じゃねーんだよ、俺はよ」
「私なら大丈夫ですから、遠慮することはありません」
「俺が大丈夫じゃねーんだよ!」
 泣きたくなってきた。ボルドーは内心頭を抱える。本当だったら獲物が抵抗もせずに捕まってくれるのは大変ありがたい話ではあるのだが、今回は事情が違う。
 己の力で屈服させたわけではなく、むしろその逆で、圧倒的強者であるシア=フェイリアが自分を哀れんで『善意の提案をしてくれている』のだ。女神の顔して、心中では自分よりも格下のボルドーを嘲っているかもしれない。
「なぜ躊躇っているのでしょうか? きっと私は高く売れますよ」
「それ本っ当に自分で言う台詞じゃねーからな!? しかもそんな心配一切してねぇよ!」
 ほとんど悲鳴に近い声で叫ぶ。どこまで人を馬鹿にすれば気がすむんだ、この女は。
「はぁ……? ではなぜ?」
 進展のないズレたやりとりをこの後もさらに数回繰り返し――先に根をあげたのはボルドーだった。
「分かった! そこまで言うならやってやろうじゃねーか」
 ぎらりと睨みつけ、その天使のごとき顔面に指先を突き付ける。
「絶対に捕まえてやるからな。次会ったときは覚悟しておけよ!? そのふざけた台詞、二度と言わせねぇぞ」
「何かお気に障ったのでしたら、申し訳ありません。ですが、私はふざけてなどいません」
「余計にタチがわりーよ!」
 ボルドーは今度こそ、頭を抱えた。



「……っつーのが、聞くも涙、語るも涙の、俺達の出会いの顛末ってわけよ」
 ボルドーはグラスを空にすると、酒臭い息を吐いて笑った。
「泣きを見たのはお前だけじゃないか」
 ツッコミなんかまったく意に介さず「なんだ飲まねぇのか」手付かずで残っていた俺のグラスにも腕を伸ばした。昼間っからよく飲むな。本当に仲間の帰りを待ってるのか疑わしくなってくるぜ。
 でもそんなことはどうでも良くて、シアは以前からあんな調子みたいで、少し……いや、めちゃくちゃ安心した。俺も含め、騎士団の面々だけが特別にはぐらかされて避けられてるわけじゃないんだ……条件はみんな一緒なんだな!
「で、その日からシアを付け狙う日々が幕を開けたわけだが……」
「ずっと玉砕負けってアーストが言ってたな」
 俺はこの前の言葉を思い出す。
「はん、あいつは知らないだろうが、一度くらいはいい線いったんだぜ? ふん縛ることには成功したんだ」
「ちょっと待て! し、シアをしば、縛るだと!」
 俺の女神になんつーことしてくれるんだ!
 ボルドーは嫌な笑いをすると、
「なんだなんだ? これくらいで動揺されちゃ困るんだけどなぁ。続きは聞かないでおくか? 身動きできないシアに俺が何をしたのか……」
「い、いや、せっかく来たんだから、最後まで聞いていくぜ。どうせ大した話じゃないだろ」
 声が裏返らないよう低く低く、答えた。
 俺の反応にニヤニヤしっぱなしのボルドーは酒を追加すると、話を再開した。