在りし日の 02

「いやお前、自分で立てっつったんじゃん」
 相当酔っているらしかった。日に焼けた頬が紅潮して、さらに濃い顔になっている。
 シアを中心に盛り上がっている輪から少しずれて、ボルドーと顔を付き合わせる形になった。何が悲しくて男二人で相席せにゃならんのか。
「んで、どこまで進んでんだ? チューくらいはいったか?」
「いってねぇよ!」
 俺は全力でいらんことを否定してしまった。早くも涙目になりそうだ。
「けっ、純情ぶりやがって。どうせ頭ん中では……」
「何もしてないから、なにも」
 すぐさま首を振る俺に、ボルドーは「俺はまだなーんも言ってねぇのになぁ。うへへっ」下卑た薄笑いを浮かべて覗き込んでくる。
「おい、シア! お前、女としてもうちっとこいつを気遣って」「うわぁああぁぁ! やめろ何も言うなこの酔っ払い!」
 いきなり何を言い出すんだこいつ。シアは聞こえなかったのか、首を傾げてこちらを見ている。その横ではティールがそれはもう面白そうにしていた。「いや、何でもない」引きつった口元で何とかそれだけ言うと、ボルドーに向き直って、
「てめぇふざっけんなよ!」
 低い声で抗議する。しかしボルドーは全然気に留めず、いけしゃあしゃあと「シアはこのくらい直接言っても分かんねーんだよ、残念ながら」言い放つ。
「傭兵ん時から、鈍感さは変わってねぇ。あいつに何人の男が泣かされたことか」
 その中の一人なのか、ボルドーが目頭を押さえてわざとらしく嗚咽を漏らす。それは無視して「傭兵? シアって傭兵だったのか?」質問を返した。旅をしていたって話は聞いたことがあったけど、傭兵だったとは初耳だ。はっきり言って似合わなすぎる。
「シア=フェイリアといやぁ、百戦錬磨の戦士も逃げ出すほどの実力者だったんだぜ」
 まるで自分のことのように胸を張る。
「そんで、あの顔だろ? 傭兵仲間はもちろんクライアントにまで狙われる始末。相場の倍以上の契約金でシアを雇おうとした富豪も居たくらいだ。全部断ってたけどな」
 マジかよ……改めてシアに視線を送る。確かにあの美貌は類を見ない。唯一無二の慈愛の女神、ベリテの化身だと言われても納得できちまう。
 俺が絶句していると「ライバルが多くて苦労しますなぁ、旦那」――お前はまず酒を飲むのを止めろ。
 しかし、王都の男連中以外にも敵が居たとは……盛大に息を吐く。いやいやでも、今のところ騎士団では俺が一番近いわけだし……まさかシアが団長を選ぶなんつー想定外な選択をしなければ可能性も……
 悩める俺に、ボルドーが衝撃的な一言を囁く。
「シアは意外と着やせするタイプだ。期待しとけ」
「おっ前なんでそんなこと知ってんだよ!?」
 声が酷く裏返った。
 でも、想像して鼻血を噴く前に叫べて心底ラッキーだったと思う。そんなことになったら弁解は不可能だったからな。ボルドーはからかうように目を細めると、
「真面目装うのはもう止めようぜ? 真実はひとつしかねぇだろ?」
 思わず唾を飲む。普段は無骨な鎧に隠されている未知の世界。俺だって一度も生で拝んだことねぇ。俺の想像力の遥か先。今はまだ辿り着けないけど、いずれ訪れるであろうエデンの園。それを知っているということはつまり……
「お前とシアって、そういうかんけ」
「ぶぁっはっはははは!」
 意を決して尋ねようとした俺を、ボルドーの大笑いが遮った。唾が大げさなほどに飛び散り、俺の顔をぬらす。
「お前本当に予想通り過ぎて、もう笑うしかねーわ」
 ひーひーと空気が漏れる。俺が顔をしかめてるのもお構いなしに、震える声で捲くし立ててきた。
「ぶっ倒れたあいつを担いで運んだことがあるんだって。お前何を想像してんだ? ん? ちょっとお兄さんに教えてみ?」
 ダメだこいつ、いつか殺す。俺は青筋を浮かべながら「何も想像してません」強く主張した。しかし、安心したのもまた事実だ。もし現在進行形で恋人同士とか言われたら立ち直れなかっただろう。よしよし、まだチャンスはたっぷりあるんだな。小さくガッツポーズ。
「ここに居る連中は俺も含めて全員、シアの世話んなったヤツだ。傭兵として、あるいは定住先が見つかるまで、育ててもらったんだよ。もしあいつが居なかったらどっかでのたれ死んでるか、良くても盗人だな」
 そんな俺に、ボルドーの割と優しい声がかぶさる。
「俺も昔は荒れてたからな。全然そうは見えねぇだろうけど、シアに会うまでは盗賊まがいのこともしてたんだぜ」
「いや余裕でそう見えるよ」
「あいつを捕まえて適当に遊んだら、奴隷商人にでも売りつけようとしたんだがな、これが見事に失敗して」
 俺の突っ込みは綺麗に無視された。つーかなんだ、そのけしからん出会いは。
「一撃も当たらなくて、超ブルーだったぜ。しかもそんな俺に、シアのヤツなんて言ったと思う? 金に困ってるなら、売られてやるって……馬鹿にしてんのかって話だよ」
 話しながらその光景を思い出してきたのか、口調が熱を帯びてくる。酒の量も増していた。
「で、若かりし頃の俺は誓ったわけだ! 実力でねじ伏せて、高値で売ってやるってな!」
 決意の方向が絶対的に間違ってる。俺が呆れていると、アーストが寄ってきて、
「まぁーたその話か、止めとけ止めとけ。昔話をしたがるのは年寄りの証拠だぜ」
 横槍を入れる。「たかだか七、八年前のことじゃねぇか」むっとした表情のボルドーに、さらに追い討ちをかけるように言葉を重ねる。
「しかも結局、最後までボルドーの玉砕負け。今や帝国騎士の副団長サマになっちまった。手ぇ出そうものなら、繋がれた状態で何日太陽を見ずに生活出来るか実験する羽目になるぜ」
 と肩を叩いた。そして興味はすぐさま俺に移り、
「青毛の坊ちゃんはシアに惚れてんのか? あ?」
「別にっ惚れてなんかっ」
 人生において何度目かも分からない質問を反射的に否定すると、ボルドーと瓜二つのニタニタ顔で、
「そーかそーか。んじゃあ俺が今晩シアと何しても、問題ないわけだ」
「大アリだろ!?」
 掴みかかる勢いで叫ぶ。ぽんぽん、とあやすような手つきで頭を叩かれて、
「人間素直が一番だぜ」
 もうこいつら嫌だ。「そういうことなら応援してやってもいいんだぜ」そう囁きかけてくるアーストもボルドーも、絶対俺をからかって楽しんでるだけだ。あの顔は信用しちゃいけない部類だ。俺の直感が告げている。
 この手の人間は甘い言葉を囁いて人をその気にさせて、自分は植え込みの陰から様子を窺って笑うような連中なんだ!
 警戒していると、アーストは「疑り深いなぁ……昔何か嫌なことでもあったのか?」と肩をすくめる。そして照れくさそうに鼻の下をこすって曰く、
「俺らがあいつを好きだって言うのは、なんつーか……母親みたいなもんだな。女として見てるやつは、少なくともこの中には居ないだろうよ。みんな久しぶりに甘えたいだけだ」
 視線の先には、傭兵たちに囲まれているシア。彼らの顔は一様に明るい。確かにあれは、親に甘える子どもの顔かもしれない。
「お前もシアに面倒見てもらったクチなのか?」
 尋ねると、「駆け出しの頃、仕事の世話してもらってたよ。あと剣の基礎も教わったな」と気恥ずかしそうに呟いた。
 ――シアってそういうの向いてるのかもな。入団一年で副団長に大抜擢されたくらいだし。実力以外の要素も多そうだ。今じゃすっかり馴染んでるが、当初はもうひとりの副団長ローランドと少し揉めたらしい。あいつ結構ネチネチとしつこいから、想像しただけでうんざりするな。
「だから、シアの幸せは俺らの幸せ……なんつってな!」
 気障な台詞も、この顔じゃ似合わない。それは本人もよく分かってるようで、恥ずかしさを誤魔化すためか大声を上げて笑っていた。ボルドーも狂ったように笑ってアーストの背中を叩いている。酒の力を目の当たりにした気分だ。
「よっしゃ! ウブな騎士さまのために俺らが一肌脱ごうじゃねぇか」
 心底遠慮します。しかし俺の言葉は空気同然の扱いで、ボルドーが深く息を吸った際一緒に吸われてしまったようだった。
「シア、こっち来い!」
 吐いた息に乗せて、爆音でシアを呼びつける。もしこれが騎士団の誰かがやったら、シアを呼ぶとは何様だ抜け駆けだと他の連中から袋叩きに遭ってただろう。
「どうしました?」
 シアはすぐにやってきて、砂漠に咲く花のような声で首を傾げる。地獄に何とかってのはまさにこの状況だ。
「いや何、ちょっとこいつでも飲みながら話そうと思ってな」
 ボルドーが掲げたのは、半分以上こいつが飲み干した酒ビン。シアは困惑したように「でも私、飲めませんし……」とやんわり拒否を示す。しかしボルドーもアーストも手馴れたもので、「少し、一杯だけでも良いんだって」「可愛い弟分がこんなに頼んでるのに断るのか?」と畳み掛ける。
「それにこの青毛の坊ちゃんだって、たまには上官と酒を交わしながら話したいって言ってるぜ」
 ボルドーが俺を指す。シアが目を丸くして「まぁ、本当ですか?」と俺を見た。
 普段なら即行で否定するところだけど――酔ったシアってのも見てみたいかもしれない。滅多になさそうなチャンスに目が眩んだ俺は、「まぁ、たまには」と頷いた。アーストが「よし、素直素直」とほくそ笑む。うるせっ。
「そうですか……まぁ、一杯だけなら……」
 柔らかく頷くと、ボルドーが気の変わらぬうちにとグラスに酒を注ぐ。なみなみと注がれた酒は、恐らくシアの言う「一杯」を優に超えた量だと思われる。その考えを裏付けるかのように、シアは伸ばしかけた手を一瞬止めたが、苦笑ひとつで終わった。
 ボルドーは俺ら全員分を注ぐと、「かんぱーい!」勝手に宣言して一気に煽っていた。隣で大人しく飲んでいるシアとはえらい違いだ。
「お酒なんて何年ぶり……でしょう……か」
 純白の頬をほんのり紅潮させて、シアが小さく漏らす。瞳がとろんとして、若干焦点が定まっていない感じだ。ちょっと待て、まだ一杯目の半分も飲んでないだろ? ボルドーたちを見ると親指を立てて不器用なウインクをかましてきた。
「一杯で倒れるぞ、こいつは」
 そうこうしている内にシアはグラスを空にする。弱い割りに早い。グラスを口から離した途端に手から零れ落ち、テーブルでバウンドしてから床に転がった。その音が合図だったかのように、シアもぺたりと座り込む。糸の切れた人形のように動かない。
「シア、大丈夫か?」
 慌てて覗き込むも、俺の声は届いていないようだった。耳まで真っ赤にしたシアは「へーき、です……」呟いたっきり、俯いて何も喋らない。軽く揺さぶると、あろうことか俺にもたれかかってきて寝息を立て始めた! 俺は息をするのも忘れて寝顔に見入ってしまった。こ、こんなに近くで見たことねぇ……! これは瞳に永久保存だ。
「ほら、お前が連れて帰ってやれよ。その後は……ひひひ」
 どこぞのスケベ親父のようなボルドーの言葉が、神託のように響いた。違うぞ、断じて「その後」に反応したのではなく――!
『シアは意外と着やせするタイプだ。期待しとけ』『ぶっ倒れたあいつを担いで運んだことがあるんだって』過去の御託宣も一緒になって思い起こされる。
「……し、シアも酔い潰れちまったし、俺ら帰るわ」
 極めて自然なタイミングで切り出し、シアを背負った。予想以上に軽い。
 女ならではの柔らかさが服越しに伝わってくる。おおお、これは! この感触は……! そして耳にかかるシアの寝息に、心臓が今にも爆発しそうだ。
「そーしろそーしろ。あ、今度詳細よろしくな」
「ねーよんなもん!」
 声を荒げて反論した。この音があいつらに届くんじゃないかって心配になっちまう。ティールに声をかけようと思った矢先にあっちから振り向き、少し驚いた様子で、
「レイ、副団長に何したの? 僕も共犯? 聞かない方がいい?」
「何の心配してるんだお前!」
 どいつもこいつも、俺を何だと思ってやがる!? 犯罪者じゃねーっての。ティールの探るような眼差しを真っ向から見据えて「シアが酔って倒れたから、帰るんだよ」事実をそのまま伝えた。嘘は言ってない。
「ふーん……まぁ、そういうことにしておくけど……」
 あれ、俺たちってルームメイトだよな……どんだけ信用ないんだ。
「ちゃーんとベッドまで連れてくんだぞー」
 茶化す声を背中に聞きながら、俺たちは怒涛の展開を迎えた店を出た。
「そういやさー、ちょっと思ったんだけどよ」
 一向に衰える様子を見せない歓楽街の喧騒に包まれながら、俺は肩に乗るシアの横顔を見やる。目覚める気配はない。
「シアって何歳なんだろうな」
「知らないなぁ……」
 ま、年齢不詳ってのも神秘的でいいけどな。なんだか無性に楽しくなって、スキップでもしそうな心持ちになる。
 しかし、俺のこのウキウキ気分は、シアを部屋に連れて行こうとしたのを団長に見つかって彼方へと吹き飛んでいった。
「レイ、お前……上官を酔わせて何するつもりだ?」
 あくまで穏やかな声音だが、顔が全然笑ってない。瞳と声の裏側に潜む怒りと殺気が我慢できない、とでも言いたげに漂っていた。
 ティールを先に帰したのは正解だったかもしれない。何言うか分からないからな。
「俺はただ……」
 言い訳を考えながら、嘆息する。
 俺ってどうして、こうも信頼されてないわけ?