しかばねの君 05

 風にさえ消されてしまいそうな、そのかすかな音が合図となって……老魔術師は術を発現させる。
「氷塊よ!」
 一瞬にして気温が下がり、俺らの周りにいくつもの氷のつぶてが出現した。
「甘いですわ!」
 メティルが叫ぶ。
 ――結界。
 不可視の壁が、向かい来るつぶてを弾く。風が吹き荒れ、周囲のアンデッドたちをも退ける。まぁ、やつらは元々無害だったんだから、吹っ飛ばす必要なんてなかったわけだが……。
「風の防壁……まだ若いのに素晴らしい精度だ」
 バルグの落ち着いた声。自身の攻撃が防がれたことに対して、まったく動揺はしていないようだった。
「レイとジータは魔術師殿とリビングデッドを守れ。シア、来い」
 団長の指示が飛ぶ。俺たちは短く返答し、メティルだけが「レイ様が守ってくださるのでしたら、無敵ですわ!」と弾んだ声を出していた。この過大評価(と自分で言うのも悲しいが)はどこから来ているのか。
「俺は右から行く。挟むぞ」
 駆け出す二人。
「お気をつけを。こやつらの中には……」
「うおっ!」
 思わず俺は声を上げる。地面を這っていたアンデッドの何体かが急に起き上がり、俺たちに向かって走り寄ってきたのだ。アンデッドのくせにはえぇな! もっとのろいのかと思ってたぜ!
「魔物のアンデッドも居る。……皆、私の使役している従順な子たちだ」
「はっ、そういう重要なことは早めに言って欲しいね」
 俺とジータは剣を振るう。なんかリビングデッドの前でこんなことをするのは気が引けるが、これは元人間ってわけじゃない――と自分に言い聞かせる。視界の端でリビングデッドの様子を窺ってみるが何も分からない。緊張してるっぽいのは見て取れるが……それだけだ。感情がはかれないってのは不便だな。
「レイ、余所見してんじゃねぇ」
 ジータの非難の声。
「大丈夫ですわ! レイ様には指一本触れさせないですから!」
 いつの間にか俺の周りにだけ一際分厚く感じられる風の層。おかしい、本当なら騎士である俺が守る側のはず……いつの間にか立場が逆転してねーか。
「いやいや、気持ちは嬉しいけど、これじゃ俺も攻撃できねーからさ」
「あら、レイ様が戦う必要なんて本当はこれっぽっちもないんですのよ! あんっな剣振り回すしか能がない女と違って、私は万能な魔術師ですから」
 鼻高々に胸を張る。
「一応俺も、剣一筋なんだけどな……」
 頬をかいた俺を、ジータが横目で見やる。それはこの状況に対する同情かもっと働けという苛立ちか。
「とにかく、気持ちはありがたいけど結界を解いてくれ。俺だけぼーっとしてるわけにはいかねーからな」
「そうですか? まぁ、レイ様がそこまで仰るのでしたら……」
 残念そうに呟くと、俺の周囲で渦巻いていた風がふっと収まった。風通しが良くなって、空気が少し涼しく感じる。ふぅ、と剣を構えなおした俺の視界に、動く影。メティルへと腕を振り上げているアンデッド。
「あぶねぇ!」
 ほとんど反射で、剣を振るった。敵の首が飛ぶ。散るのは、真っ赤な血ではなく茶色い何か。
「大丈夫か?」
 メティルを見れば、胸の前で指を組んで、わなわなと肩を震わせている。いつも勝気で強気なメティルにしては珍しい反応に、俺の方が動揺する。そ、そんなに怖かったのか? よく考えりゃ魔力がある以外は普通の女の子なんだし……
「全然なんともないですわ、レイ様が守ってくださったのですから! メティルは嬉しいです!」
 ――どうやら感動の震えだったようだ。瞳が、まるで星が飛び出してきそうなほどにキラッキラと輝いている。
「そ、そうか。なら良かった……」
 ささっと目をそらして、目の前の敵に集中する。やっぱメティル相手だとやりにくいなぁ。
「レイ様、後ろは任せてくださいませ!」
 メティルの頼もしい声援を背中に受けつつ。
「はぁー……」
 ……俺は、気づかなかった。
 団長とシアは老魔術師の相手をしていたし、俺たちは目の前の敵を退けることに神経を集中させていたからかもしれない。そもそも、老魔術師の放ったアンデッドが異様に多く、目が慣れたせいもあっただろう。
 すぐそこに居たはずの、リビングデッドの姿が見当たらないことに、俺たちは気づけなかったのだ。



「大人しく降伏して頂けませんか?」
 シアの静かな問いかけにも魔術師は首を振った。嘲笑うかのように「大人しく実験台になって頂けませんかな?」とおどける。降参する気はまったくないらしい。
「この老いぼれには時間がないのでね。不老長寿に死者蘇生……研究は山積みだ」
 老魔術師が指を鳴らす。途端、周囲にいくつもの炎の矢が出現し、シアめがけて飛んできた。それらを正確によけつつ、迫り来るアンデッドを捌く。
「シア、行くぞ」
 団長の指示に頷き返し、大きく左に飛ぶ。むき出しの地面に散らばった家屋の破片が、足元でパキリと音を立てた。向かいと視線で合図を送りあい、同時に走る。二人の足ならばこの程度の距離、ないも同然だった。
 しかしそのような状況下においてなお、バルグは至極落ち着いた様子で、不気味な笑みさえ浮かべている。
 振り下ろされる剣。
 ――しかし、その切っ先が彼に届くことはなかった。「ちっ……」団長の舌打ち。
「なかなか主思いだろう?」
 魔術師を守るように立ちはだかった二体のアンデッドが、腐肉を撒き散らしながらその場に崩れた。
 シアは顔を歪める。
 よくよく見れば彼らは――純粋なアンデッドではなかった。
「なんということを」
「おやおや、副団長様は奇なことを仰る。彼らを再び死の淵に追いやったのは、貴女ですよ」
 シアを振り向いて笑う老魔術師に、団長がすかさず剣を薙ぐ。甲高い耳障りな金属音がして、剣が止まった。
「結界か」
 団長は小さく呟くと、後ろに飛ぶ。横からアンデッドが飛び掛ってきて、さらに老魔術師の放った氷の追撃。
 そこへメティルの結界が再び張られる。
「ふん――うるさいな」
 魔術師が指を鳴らす。途端、アンデッドが勢いを増して彼女たちに向かっていく。
 メティルは短く悲鳴を上げ、レイやジータが彼女を守るべく応戦する。
 正直――シア=フェイリアが本気を出せばすぐに片の付く話だった。けれど、それは躊躇われた。彼を殺してはいけない。
 刹那思考に沈んだ隙に、アンデッドがまとわりついてくる。足にすがり、腕をつかみ、胴に腕を回し、それは助けを求めているようにも見えた。
 振り払おうとして「また死を与えるのですか? 憐れな死者に」その言葉に動きを止める。
 リビングデッドたちはただシアにまとわりついているだけで、攻撃してくる気配はない。それが余計に、シアの手を鈍らせる。
「シア!」
「心配は無用です」
 駆け寄ってきそうなレイを制し――気づく。
「彼はどうしました?」
 言うと同時に視線を走らせ、そして、見つける。数多のリビングデッドがひしめく光景にあって、こうも容易に彼を見つけられたのは、ひとえに――その体が放つ怒気や殺気のお陰だ。彼の存在しない瞳はそれでも、老魔術師を鋭く睨み付けているように感じた。
「……それが、あなたの選んだ答えなのですね」
 魔術師は彼に気づいていない。老人にとって、彼は失敗作。もはや一瞥する価値もない存在なのだから。
 死者を生き返らせて、バルグが何を成そうとしたのかは、本当のところは分からない。ただ、不老長寿の研究過程であることに間違いはなく、だからこそシアには理解ができない。泣き崩れたアミーユ夫人の顔が浮かぶ。
 不老長寿が――いや、それも含めた創作魔術自体が、いかほどの価値を持つのか。それらは、人をそれほどまでに魅了し、他者をあっさりと踏み台にするほどのものなのか。
「副団長殿は、どうされたのですかな? 先ほどから動きが止まっていますが」
「――もう、どうもする必要がないのです」
 シアのその言葉を、バルグは理解することができたのか――いや、理解する暇などなかっただろう。「な、に……」シアが言い終わる前に、背後に回ったリビングデッドの手にした刃が魔術師の心臓を貫いたのだから。
 老いた体はがくりと崩れ、痩せた地面に倒れ伏す。断末魔の叫びをあげることもなく。
 生に執着した老人の、あっけない――あまりにあっけない最期だった。



 崩れたリビングデッドたちを見下ろして、俺は息を吐く。それは疲労によるものか、はたまた後悔か。俺にも分からない。人間だった頃の姿を取り戻すわけでもなく、腐ったままの姿でただ、倒れている。シアが言ったように、術者が死んで魔法が解けたんだろう。それが良かったのかどうかは、彼らのみぞ知る。ただ、俺だったら、こんな姿でむりやり生きていたくはない……そう思う。きっと彼らも同じだと、思いたいだけかもしれないが。
 人間ではない、魔物のやつらはバルグの術が解けた途端動きを止め、何事もなかったかのように大地の中へと還っていった。騎士としてはやつらが人を襲う前に消しておくべきなんだろうが、そんな気にはなれなかった。
 倒れたバルグもこいつらも、ここに埋めていくことになっている。ようやく穴を掘り終えたところで、シアが声をかけてきた。
「レイ、これを見てください」
「なんだこれ? あ――」
 シアが差し出してきたのは、一枚の紙切れ。それがリビングデッドの使っていた紙片だと、すぐに気が付いた。書かれていたのは、俺たちやチビたちへの伝言。
 一言、ありがとう――そう書かれていた。
 俺はふ、と肩の力を抜く。少なくともこいつは、自分の手でケリをつけることができたんだ。リビングデッド全員を背負うには俺の器じゃ足りないが、せめてこいつだけでも満足して逝けたのなら、今回の俺らの行動は無駄じゃなかったんだろう。
「あー……チビたちになんて説明しようか」
「説明責任は私が果たしますよ」
「いや、俺も一緒に行かせてくれ」
 俺の言葉にシアは優しく微笑み、埋められていくリビングデッドたちに、静かに手を合わせた。