しかばねの君 01

 嘆きが周囲を包んでいた。
 灰色の空は今にも大粒の雨を降らそうとするかのように蠢き、喪服をまとった人々のはるか頭上で虎視眈々と様子を窺っている。
 喪主である夫人は、憔悴しきった顔でベリテ聖教の司祭の祈りを聞いていた。傍らでは幼い息子が堪えきれない涙を拭っている。親族以外の参列者は少ないが、皆一様に頭を垂れ、故人の冥福を祈った。
 決して裕福な家庭ではない。家計の担い手を失った打撃は大きい。夫の死を悼み嘆きながらも……夫人の頭には今後の生活をどうするか、という問題が駆け巡っていた。
 夫人を見上げる真新しい墓標も棺も、沈黙を守り通す。
「最後のお別れを」
 司祭が告げる。祈りの文句が終わったらしい。その言葉にはっと顔を上げ、そして物言わぬ棺を見下ろす。促されて近づき、蓋に手をかけるも……
「いえ、もう十分です。夫を御許へ……」
 夫人は首を振った。現実を突きつけられるのが恐ろしかった。青白い顔を見たら、それこそ叫んでしまうかもしれない。
 ――何故私達を置いていったの! と。
 司祭はそんな夫人に痛ましげな視線を送った。彼の合図で棺が埋められていく。息子は母にしがみ付き、嗚咽を漏らし続けていた。
 やがて葬儀は滞りなく終了し、参列者は落ち込む夫人を気遣いながら帰路についていった。
「奥様、お悔やみ申し上げます」
 しかしそんな中、見知らぬ――夫の交友関係を全て把握してるわけではない――老人が声をかけてきた。
「ですが、そう心配する必要はありません。貴女の旦那様はよく出来た方です。死後のこともちゃぁんと考えている」
「……は?」
 首を傾げる夫人に返ってきたのは、老獪な笑い声のみ。息子が怯えたように隠れた。
 家に帰り、夫人は彼の言葉を理解する。
「何、これは……?」
 古びた机にぶちまけられたそれは、紛れもなく――夫人にとって十分過ぎる程の――金貨だった。
「どうして……」
 唐突に降りだして窓を打つ雨音だけが、夫人に答える。



 ローゼエトル帝国騎士団宿舎の一角。何の変哲のない部屋は、しかし重い雰囲気に呑まれていた。
「最近、子どもたちの様子がおかしいのよ」
 エイダは深刻そうなため息を吐き出した。俺とシアは彼女と向かい合いながら、顔を見合わせる。彼女が騎士団の宿舎に来ることは滅多にない。よほど困っている証拠だ。豊かなウェーブの金髪も今日だけは、どことなくしぼんで見える。
 子どもたち、というのはエイダの暮らす孤児院のチビたちのことだろう。小ぢんまりとした建物で、王都東側……教会区の端にある。
 やんちゃ盛りが何人も居て、俺やシアも暇なときは遊び相手をしに行っている。しかし、俺なんか毎回おもちゃにされてるのに、シアが居ると大人しいのはなんでだ。俺は無意識に頭をかいた。青い髪が何本か指に絡まる。ぱっぱと適当に払って、エイダの言葉に耳を傾ける。
「私や神父さまに隠れて何かやってるみたいで……訊いても誤魔化すし」
 再びため息。
 出されたコーヒーにも一切手をつけず、困惑した様子で俯いている。
「もう実力行使しかないと思って、おやつを抜いてみたり夕ご飯を減らしてみたり勉強量を増やしたりしてみたんだけど、効果なくて」
 エイダの実力行使はいたって平和的だ。チビたちには大ダメージだろうけどな。しかし、あいつらがそんなエイダの猛攻にも耐えたという事実は、それだけ「大事なことを抱えている」ということになる。
「それで、いつもとある悩みの相談に乗ってあげてるレイと、親友であるシアにお願いがあるんだけど」
 エイダがしなをつくる。いや、今更そんなことされても。それ以上にその言い方の方が気になるし。
 俺が半眼で睨みつけると、ぺろっと舌を出してきた。シアが孤児院に居るときの様子を聞いたりしてたんだが……失敗だったかもしれない。俺がいろいろ聞いてること、絶っ対にばらすなよ。
 横目でシアを盗み見ると、特に気にした様子はなくいつもの笑顔を浮かべて、
「子どもたちの様子を見てきてほしい、ということですね」
「さぁっすが副団長サマ! 話が早いわぁ」
 ぱちんと手を叩くと、
「いつも夕方に居なくなるのよ。私が見に行ければ良いんだけど、仕事を休むわけにはいかないし……お願いね!」
 最初の落ち込んだ様子は微塵もなくなり、もう普段の明るさを取り戻していた。
「城下の安全を守るのは騎士の務めですし、何よりエイダの頼みですから。任せてください。今日から行きましょう」
 シアがにこやかに頷く。その動きに伴って、肩まで届く金髪が揺れた。聞く者を安心させる、余裕を含んだ声音だった。この黒曜石の瞳に見つめられると、全てが上手く行くんじゃないかって思えてくるから不思議だ。
「それじゃあ今日、お願いね。危ないことしてたら殴って良いから」
 言い残して、落ち込んでたのが嘘のように晴れやかな笑顔で帰っていった。エイダもシアから溢れる自信や余裕を感じ取ったのかもしれない。
「夕方かー。まだ早ぇけど今から準備しちまうか?」
「あら、ダメですよ」
 シアが立ち上がる。脇に置いていた剣を手に取って、
「午後の訓練はちゃんと出ましょう。そろそろ休憩も終わりですよ」
 げ、せっかくサボれると思ったのに。しかし、シアにこんな笑顔で誘われてしまったら断るわけにはいかない。男が廃るってもんだ。シアの頼みや誘いは何よりも優先される事柄だからな。
「よっしゃ、気合入れて行くか!」
 俺の気合にシアの笑顔が応えた。
 ルームメイトのティールがこの場に居たら恐らくこう呟くだろう、「レイは単純だね」と。……分かってる、自分でも分かってるさ。放っとけ。



 午後の訓練を無事に終えて、俺とシアは教会区にある孤児院へと赴いた。木陰に隠れてチビらを張る。孤児院からは死角になっていて、あっちからは気づかれずに見張れるって寸法だ。
 鎧は音がうるさいからと置いてきた。腰に下げた剣だけが騎士であることを示している。シアも軽装だ。鎧で隠れてるときはこう、想像力を掻き立てられるが、これはこれで……って何考えてんだ俺。
「そういや、出る前団長と何話してたんだ?」
 変な思考を打ち消すため、口を開く。もちろん小声で。
「えぇ、妙な噂があるようです。とある老人について――」
 言いかけたところで、シアの視線が孤児院へ向く。その視線を追うと、いつの間にか入口にチビたちの姿があった。どんだけ視界が広いんだ。
 先頭に立って周囲の様子を窺うのは孤児院の中でも年長組みのマーハとリゼ。二人の後ろには年下の子どもが三人ほど居る。人影がないのを確認すると、敵陣へ進入する兵士のような動きで歩き出した。
「行きますよ、レイ」
 足音を殺して、彼らの後を追う。教会区でも特に入り組んだ道を進み、やがて辿り着いたのは、
「地下水道への入口、ですね」
 シアは手馴れた様子で尾行している。明らかに経験ありって感じだけど、騎士になる前は何をしてたんだ?
 真剣な横顔が、夕陽を浴びて輝いている。やっていることが子どもの尾行でも、シアだと妙にサマになってるからすげぇ。
 マーハたちが全員下りたのを見計らって、近づく。死角だらけの路地の一角に、地下へと続く古びたはしごがあった。
 俺たちも下りるが、そこにはもうチビたちの姿はなく、横を穏やかな水流が通るだけだ。
 地下水道ではひんやりとした空気が溜まっていて、空間自体がどこか澱んでいる。それでもそれなりに綺麗だ。等間隔に並べられたランプの光が、場を盛り上げようとしているかのように煌々としていた。もっと暗い方が俺的には盛り上がるんだけどな。いや別に襲ったりはしないけど――んなことしても返り討ちだろ――あー、別にシアがか弱かったら襲うとかそういうじゃねぇぞ。こう、何だ、仕事に対する情熱も違ってくるっていうか。
「あちらから、かすかですが足音がします。行きましょう」
 悲しい男のサガなど微塵も気にかけず、指示を出すシア。良いんだ、シアがそういう雰囲気とか読むタイプじゃないのはこの一年ほどで十分分かったから、今更挫けないぜ。
 するすると足音を殺して移動するシアに、俺も出来る限り慎重に歩いてついていく。視界のギリギリのところでマーハたちを捉え、つかず離れずの距離を保つ。俺たちに気づく気配は一向にない。
 慣れた足取りで迷いなく進んでいく。ただ遊びに来たわけじゃない、明らかに目的地があるといった風だ。
 ――幾度目かの角を曲がろうとしたとき、ふいにシアが足を止めた。俺を振り返った黒い瞳が語りかけてくる。この先が目的の場所だ、と。
 耳を澄ます必要もなく、マーハやリゼたちの話し声が聞こえてくる。中身は他愛のない世間話、というかチビたちの日常だ。誰かに語って聞かせているようだが……
「あれは……」
 シアの眼光が鋭くなる。俺もそっと覗き――そして絶句する。
 チビたちが談笑している相手は、どっからどう見ても、骨のリビングデッドだった。