ヴァレンタイン

 今日の帝国騎士団は、いつになく浮き足立っていた。訓練にも身が入らず、団長の激が飛ぶこともしばしば。俺も数回鉄拳を喰らった。朝一に受けたくせに未だにいてぇ。
 だがしかし、そんな盛大な顔の腫れも及ばない重大な現実が目の前に迫ってるんだ。
「おい、誰だと思うよ?」
 打ち合いの最中、ジータが問いかけてきた。
「フェイリア副団長、絶対チョコ持ってただろ、あれ」
 そう、俺もはっきりと見たんだ! 昨日、エイダと買い物に行くと言っていたシアが帰ってきたとき、手に持っていたものを。すなわち、丁寧にラッピングされた小さな包みを!
「もしかして団長じゃないか、お世話になってます的な」
 俺は隠しきれない興奮を抑えながら、無難に返す。
「なるほど、義理チョコってやつか。フェイリア副団長ならありえるな」
 ちらりとシアに視線を送ると、団員の手を取って懇切丁寧に指導していた。顔赤らめてんじゃねーよ羨ましいだろチクショウ! 俺らんとこにも来てくれよ。
 しかし、唯一の女騎士にして副団長のシア=フェイリアに俺の願いは届かず……短い金髪を風になびかせて通り過ぎていってしまった。
「でもよぉ」
 俺の視線を追いながら、ジータが呟く。
「フェイリア副団長が持ってたのはひとつだろ? 義理だったら、全員に配るとかやりそうだよな」
 確かに……シアの性格なら全員漏れなくサービスとかやりそうだ。ということは――
「本命チョコだったりして?」
 俺とジータの声が見事に重なり、そこへ更に団長の怒声が被さった。
 怖ぇ……。



「なぁ、シア……」
 訓練がひと段落着いたとき、俺はシアに声をかけた。振り返ったシアは相変わらず優しそうな笑顔を浮かべていて、心臓が高鳴る。
「どうしましたか?」
 小首を傾げる動作もいちいち可愛くて……って、んなこたー今はいいんだ、今は。
「あー、えっとな、ちょっと訊きたいことが」
 やべ、どう切り出すか決めてなかった。ストレートにチョコ誰にあげんのか訊くのもなぁ……。
「私にですか? ――あぁ、私もレイに尋ねたいことがあったんです」
 先にいいですか、と問うシアを促すと極上の笑みを浮かべて、
「レイはチョコレートって、好きですか?」
「チョコ!?」
 驚きすぎて目玉が飛び出るかと思ったぜ。まさかシアからその話題を振ってくるとは……これはもしかして、俺にくれるっつーことか? シアってこんなに直球勝負なタイプだったのか!?
 笑顔の裏にどんな思惑があるのか、俺には分からなかった。
「嫌いですか?」
「えあっ、いや、その」
 あまりの急展開に舌がついていかず、「好き」の一言が出てこない。つーかシアに向かって「好き」とか、チョコとはいえ恥ずかしくて言えねぇよ!
 悶々としていると、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえた。ルームメイトのティールだ。
「急ぎの質問ではないので、答えはまた今度でいいですよ。行ってあげてください」
 いやバレンタイン当日だし急いだ方がいいんじゃねーか。思うものの、この場の空気がすでに答える雰囲気じゃない。完全にタイミングを逃した俺は、泣く泣くティールの元へ向かった。



 その後シアが捕まらず、ならばエイダにチョコの行方を尋ねようと孤児院を訪れた。入り口付近では子どもが二人でじゃれ合っていて、俺に気づくと懐っこい笑みを浮かべて駆け寄って来る。
「レイ、ひさしぶりー」
「今日もシア姉ちゃんにふられたの?」
 最年少組みのディーとティナが俺を見上げ、瞳をきらきらさせている。ちょっと待てティナ、今日も振られたって何だ、今日もって。
「俺は振られてないぞー、今日も昨日も一昨日も」
 進展もねーけど。二人にエイダを訪ねてきた旨を伝えると、はしゃぎながら案内してくれた。孤児院内で遊んでいた子たちに「遊ぼうよ」とせがまれたけど、それはまた今度な。……うぐぐ、残念そうな視線が痛い。エイダもすぐに来るわけじゃねーみたいだし――気がついたら、子どもらに混じって遊んでる俺がいた。
「ごめんねー、ちょっと夕飯の支度をしてて……って、何やってるのよ?」
 やって来たエイダがぷっと吹き出す。
「えーっと、騎士ごっこ……?」
 ちなみに馬役。
「あはは! すっごいサマになってるわよ。……さ、みんなレイのお陰で十分遊んだでしょ? ご飯の用意が出来たから食堂へ行ってきなさい。ちゃんと手を洗うのよ」
 そこかしこから元気な返事が届き、ぱたぱたと食堂へ向かっていく。
 静まり返った部屋でエイダが「それで、何の用なの? まあ、だいたい察しはつくけどねぇ」苦笑した。顔にかかる金糸をかきあげて、
「シアの持ってたチョコのことでしょ?」
 ずばりその通りだから困る。俺は頷くと、
「昨日一緒に買いに行ったんだろ? その、誰にあげるとか、そういうこと言ってなかったか?」
「シアに直接訊けば良いじゃない」
 エイダは面白そうにニヤついている。それが出来ないから困ってるんじゃねーか!
「そうねぇ……特にそういうことは言ってなかったと思うけど。何か進展はあったの?」
「いや、別に何も……」
「あーらぁ! それじゃあ望み薄だわ、貰えないかもしれないわねぇ?」
 エイダは大げさに驚いて見せて、俺の不安や焦燥を煽ってくる。
 俺が唸っているとエイダは「ねぇ、レイ」ふっと微笑を浮かべた。
「もしかしたらシアは待ってるのかもしれないわよ? あなたからアプローチしてくるのを、さ」
「俺から……?」
 シアが俺を待ってる? 誰にでも笑顔を振りまいてて、誰が好きかって尋ねたら「全員です」って答えるに決まってる、あのシアが?
「そ。女の子ってのは、告白されたいの。相手に『好き』って言わせたいから、いろいろ気を引こうとする。――バレンタインに男が愛を告げたっていいんじゃない?」
 そ、そうか。そういうもんなのか……いや、うん、そうだよな! シアだって俺にチョコくれそうな雰囲気出してたもんな!
 あのときちゃんと答えてれば……俺はエイダの肩に手を置き、
「ありがとうエイダ。俺、シアに言ってくる」
「ええ、ここで応援してるわよ。……あー、あとアレクにさ、今日中にここへ来るよう言っといて貰える?」
 それくらいお安い御用だぜ。俺は頷くと、孤児院を出た。あーあ、アレクは確実に貰えるから良いよなぁ。
 オレンジがかった空が道を染めている。暖かい色に包まれながら、宿舎でシアの姿を探し回る。



「――話って何ですか?」
 俺は宿舎の裏にシアを呼び出した。時間も時間だし、ここは普段から滅多に人も来ない。
「悪いな、こんな夜中に」
 暗がりの中、シアの白い肌が浮かび上がっている。俺は緊張で渇ききったノドにツバを送る。今にも心臓が張り裂けそうだ。
「あのな」
 やべぇ、緊張するってレベルじゃない。なんか痙攣してきたぜ。その震えをなんとかねじ伏せて、続けた。
 しんと静まり返った空気が、俺の声を運ぶ。
「俺、その……好きだよ」
 シアのこと、と続けようとしたところで、やっぱり気恥ずかしくなって言葉に詰まる。俺の根性なし! 昼間ちゃんと決心しただろ!
 シアを見ると、きょとんとした表情をしていた。――が、すぐに笑みを浮かべて、嬉しそうに、
「まぁ、本当ですか?」
 女神の微笑みにくらくらしながらも「ウソじゃない」と返した。シアの様子を見るに、エイダの言ったとおりだったってわけか!?
「よかった、本当に……」
 それは俺のセリフってやつだ。これで拒否られたらもう騎士やってらんねーもんな。しかし俺の安心は、次の言葉で奈落に突き落とされる。
「昼間の様子だと、チョコは嫌いなのかと……レイにあげるようエイダに言われて買ったチョコレート、どうしようかと思ってたんです」
 エイダに言われた!? あいつ、もしかして仕組んでたのか。頬が引きつる。でも、それ以上に気になることがあった。それは……
「今日がどんな日か知ってるか?」
「今日、ですか? えーと……」
 眉をひそめて考え込む。まったく知らないようだ。
 ……あぁ、もういい。いいんだシア。昼間の質問にちゃんと答えておくべきだったよ、俺も。涙目で訴えると、反対にシアは物凄く眩しい笑顔で、
「あ、はい……では、あとでチョコを渡しにいきますね」
「楽しみにしてるよ……」
 俺は半ば放心状態で部屋に戻り、少しするとシアがチョコを持って部屋に現れた。渡されたのは、可愛くラッピングされたチョコ。あのやり取りがなければ、素直に喜べたはずなのに……心が悔し涙を流す。
「もしかして前進したの!?」と嬉しそうに問いかけてくるティールには答える気になれず、包みを開けてみた。
 シアから貰ったチョコは、何故か少しだけしょっぱかった。



 翌日、エイダを訪ねると彼女は目を丸くして、
「あらぁ、シアってバレンタインのこと知らなかったの? 私が『レイがこういうの好きそうだから買ってあげなさいよ』って言ったら笑顔で頷いてたから、てっきり……」
 それは単純に「他人が喜ぶ」という事実が重要なんであって、別に俺じゃなくてもよかったんだろうなぁ……そう思うとまた涙が。
 シアはどうしてこうも、イベントごとに疎いのか。バレンタインって結構大きめな行事だと思ってたが……
「まあ、元気出しなさいよ。きっと春は来るって」
 エイダの励ましも、どこか遠いもののようだった。
 俺はがっくりと肩を落として、エイダから貰った余りもののチョコ(アレクのとはかなり差があった上に義理でもないのか)を口に放り込む。