第二章 第五節

 トリア治癒司祭は書類に目を通しながら、昨日の新米神官の報告を思い出していた。
 言葉を話し救いを求める不死者。
 そんな低級不死者がいるわけがない。「あれ」はそういう存在ではない。そんな下等生物と一緒にされては「あれ」も心外だろう。
 それはともかく――
(探す手間が省けたな)
 浄化されてしまったのは惜しかったが、「あれ」の存在が明るみになるよりはずっとマシだった。
(相手が馬鹿な新人で良かったよ、まったく)
 ふっ、と口元をゆがめる。アルバール・ベルティの孫だろうが新人は新人。教会組織の中では一番下の存在だ。それにあの容姿。教会関係者からの心証は最悪だろう。いざとなれば口封じも簡単にできる。
 ――と、扉をノックする音が届いた。入室してきたのは年若いミニスター。おどおどした調子で司祭に一礼すると、
「少し気になる報告がありまして……」
 と前置きしていわく、今朝早く、バール行きの馬車に銀髪の女が乗っていたというもの。
「銀髪の女だと? それは昨日のレーテ・レーゼとかいう新人だろう?」
 背もたれに体を預けて、報告してきたミニスターを見上げる。いすの軋む音が静かな執務室に小さく響いた。
「はぁ、私もそう思ったのですが……どうも違うらしくて。神官なら気味悪いがまだ我慢できる、と」
 言われて曖昧に頷いたミニスターは「特に何をするわけでもなかったらしいですが、住民が不安がっているんです」その目撃された銀髪の女について話し始めた。
 時折治癒司祭の顔色を窺がうような視線を投げてきて、しかし報告が終了しても何も言わなかったからか、
「もしかしたら、先月の……」
 と自ら切り出してきた。
「……それは本当なんだな?」
 青い顔のミニスターには答えず、治癒司祭は念押しをする。返答は「間違いありません」という確かな断言。
 体が震える。それは決して恐怖や嫌悪ではない。
 ミニスターを下がらせて独り笑う。
 ――歓喜。
 もう二度と会うことはないだろうと諦めていた。長年探し続けた、我々の夢を叶える存在。もうとっくに遠くへ逃げおおせたものとばかり思っていたが、こんなにも嬉しい誤算があったとは。
「これも女神の導きか」
 早急に準備を整えねばいけない。また逃げられでもしたら、今度こそ見失ってしまうだろう。
 低く笑うと、人を呼びつける。すぐさま男が入ってきた。影のように静かな動作。
 神官と同じく白を基調とした防具を身につけ、腰には剣。教会兵である。認定神官は神術が扱えるものの、体術に精通している者は少ない。接近戦になったら不利なのだ。
 教会兵とは盾。
 武力によって教会を守り、不死者と対峙する者。
「バールへ向かえ。以前のような失敗は許されない」
 影の男はピシリと敬礼をし「我らに栄光あれ」鋭い眼光を光らせた。



 カリテアは至極幸せそうな表情でフォークを動かしていた。一口食べるごとにうっとりとした息を吐いては頬に手を当てている。
「はあぁぁ、おいしいぃぃ……」
 開店前の店内は従業員もほとんどおらず、静かな空気を震わすのは金属音とカリテアの恍惚とした呟きのみ。
 カリテアの大げさな様子に若干引きつつ、レーテも報酬として振舞われたトリベリーケーキを口に運ぶ。
「これは確かに……美味しいかも」
 生クリームの甘さとトリベリーの酸味が絶妙なバランスで舌の上に広がり、後を引くようなしつこさはない。甘いものが好きな人なら垂涎の、苦手な人でもぺろりと食べられる一品だった。
「でしょでしょぉ! これのためなら命だってかけちゃうんだからぁ!」
「実際に命かけたのは私だけどね」
 崖の攻防戦を思い出して息を吐く。一歩間違えれば崖下に真っ逆さまだ。あるいは極彩鳥に貫かれてあの世行き。どちらにしてもあまりいい最期は待っていない。
 サエルに言うのも怖いので――本当に商売出来なくさせそうだし――極彩鳥が襲ってきたとだけ伝えておいた。そしてその心配はもうないことも。話を聞くとマディーラも極彩鳥にちょっかいかけられて怪我をしたそうだが、その背にあの店長の姿はなかったようだ。
「そんなに喜んでもらえるなんて、私も嬉しいです」
 水入りのグラスを持ったサエルが近づいてくる。満面の笑みだ。グラスを置くとサエルもテーブルにつき「お客さまのこと、心配してたんですよ」レーテを見遣る。
「神官さまが一緒なら大丈夫だと思っていましたが……お二人が発った後、トリアの不死者事件の話を聞いて。先月のことですが、なんでも教会兵が不死者に殺されたらしいんです。ちょうどあの辺りですよ」
「うっげ、そうなの? うーわー……」
 サエルの言葉に思いっきり顔をしかめる。トリア治癒司祭の言うように本当に「運」はいいかもしれない。レーテが浄化した不死者が事件の不死者かどうかは分からないが――何となく、違うんじゃないかという気がする。何故、と問われれば「あまり人を襲うような感じはしなかった」という主観と、浄化報告した際に治癒司祭が何も反応しなかったことが挙げられる。
「マディーラさんが怪我をしたのは、ラッキーだったかもしれませんね。ずっと仕事を続けてたら、不死者に襲われて殺されてたかもしれません」
 ちらりと奥の厨房へ視線を送る。仕切りのカーテンの向こうではマディーラも開店の準備を手伝っているのだろう。たとえいくら腕っ節が強くとも、相手が不死者では敵わない。
「トリア教会はその不死者を捜索中だそうですよ。もう逃げただろうとも言われてましたけど」
 サエルが両肩をさする。
「不死者に人が殺されるなんて本当に久しぶりです。田舎だからって油断は出来ないってことですね」
 一般人は不死者に対抗する術を持たない。聖水くらいなら教会からもらえるが、それが一体どの程度役に立つのかは疑問だ。レーテのメイスも聖水で清めてから使うが、それがあまり決定力を持っていないことは明らか。完全なる浄化を求めるなら神術は必須なのだ。
「サエルちゃん、大丈夫だよぉ」
 今までひたすらケーキを咀嚼していたカリテアがふと手を止めて、クリームでべたついた口元を綻ばせる。
「だってレーテちゃんが居るもん」
 思わぬ場面で名指しされたレーテは「へっ?」素っ頓狂な声を上げた。カリテアの発言はいつも唐突だ。クリームを指で取りながらもう一度「レーテちゃんが居るから」強く言う。
 その瞳にはなんの不安も恐怖も迷いもなかった。
「……そうですよね。神官さまがついてるんですから、大丈夫ですよね」
 微笑をもらす。
(神官っつってもまだ新人なんだけどなー……)
 胸元で揺れるロザリオにそっと触れる。しかも巡礼の旅の第一歩を踏み出したところで、教会から正式な仕事もまだもらったことのない、新人中の新人がレーテだ。レーテたちのような神官のことを研修生と呼ぶ者も居る。
 とはいえ、そんな神官の地位までも理解しろとは言えない。二人にあえて不安がらせるようなことを言うのも忍びない。
 神官は――神術の使い手は人々の希望。女神の力を行使することを許された、光の体現者。弱い姿は見せられない。
 レーテが「そ、そうそう。不死者なんて蹴散らしてあげるわよ」と曖昧な笑みを浮かべたところで、
「じゃあ、チョコレートオレンジひとつお願いしまぁす」
 なんの脈絡もなくカリテアがメニューを指した。
 レーテもサエルも、彼女のあまりのマイペースぶりに自然と苦笑がもれた。