第二章 第四節

「とりあえず私は教会へ行ってくるから宿で待ってなさい」
 夕闇が闇と混ざり合い始めた頃。トリアへ帰ったレーテはトリベリーをカリテアに預け、先の不死者について報告するため教会へ足を運んだ。カリテアを置いてきたのは教会関係者ではない上に銀髪という容姿を考えてのことだった。我ながら気の小さいことだと自嘲しながらも、あの子をあえて好奇の目に晒すことはないのだと自身を言い含める。
 当のカリテアは「はぁーい」と甘ったるい声を返し、喜色満面の笑みで去っていった。トリベリーをつまみ食いしないか非常に不安だ。
 トリア治癒司祭と向き合って座りながら、レーテは無邪気というより考えなしのあの笑顔を思い浮かべてため息をつく。
「どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません」
 神経質そうな青の双眸に見つめられて小さくなったレーテはこっそり司祭の様子を窺う。バールのシスターが顔を赤らめるのも分かる、というのが最初の感想だった。金の刺繍があしらわれたローブから伸びる手足はすらりと長く、動作にも隙がない。
 ただ、どうも――
(なんか冷たそう……)
 という印象が拭えない。口元に浮かべている笑みは慈愛とか温かみというよりも皮肉げで、どこか他人を見下しているような雰囲気をまとっていた。それは相手がレーテだからなのかもしれないが、この刺さるような空気はとにかく居心地が悪い。
 話を聞き終えた司祭は深く考え込むような表情をしていたが、やがて視線をレーテに合わせ、
「それで、その人語を解する不死者というのは一匹だけなんだな?」
「ほかには見当たらなかったのでおそらくは……」
 言うと片方の眉を上げて「おそらくでは困るのだがな。新人にそこまで要求するのは酷か」と言い放つ。いちいち人を馬鹿にした言葉にレーテの頬が引きつる。しかし相手は司祭。我慢しなければ、と深呼吸。
「まぁ、その件に関してはトリア教会に任せておきなさい。君みたいな新人の出る幕はないな。不死者を倒したのだから運はいいのかもしれないがな」
「う、運ですって……!」
 小さく唸る。
 本当のことかもしれないが、慈愛の女神アヌーヴを信仰する神官としてもう少し柔らかい表現は出来ないものか。こうもストレートに言われると、最初の印象と相まって素直に受け取れない。
「司祭さま、あの不死者は本当に……低級不死者なんでしょうか」
 不満を押し殺して、疑問を口にする。
「何が言いたい?」
「しゃべるんですよ? そんな不死者、『最も古き四人』か銀闇くらいしか居ないのでは……」
 トリア治癒司祭は膝の上で指を組むと、「君は不死族の理論科目をきちんと修得したか?」問いには答えず質問を返してきた。
「当たり前です」
「では分かるはずだ。銀闇も最も古き四人も……彼らは皆、銀の髪を持っているということを。まさか人間にも銀髪が居たなどとは驚きだが。神官でなかったら聖アルヴィアの研究所行きになってもおかしくない見事な色だよ。もちろん学者としてではなく研究材料としてね」
「わ、私が不死者だとでも言いたいんですか!? 銀髪は人間にあり得ない色じゃないんですからね!」
 思わず声を荒げる。幼い頃から散々言われてきた中傷と罵倒の言葉。それをまさか司祭の口から聞くことになるとは思いもしなかった。いや、むしろ不死者と対峙する教会関係者の方がこうした蔑みの感情を持ちやすいのかもしれない。
 聖アルヴィアの研究所といえば、不死者研究の第一線で活躍する学者が集まる最高機関。神官から転身する者も居るが、それには相当の努力が必要となる。研究員は過去から多くの学者を輩出してきた貴族が多いようで、学者の子どもは学者、という考え方が強いようだ。
「私はれっきとした人間です。神力があるのが何よりの証拠じゃないですか?」
 不死族の特徴のひとつは「魔力」と呼ばれる未知の力を扱うこと。これで神力を吸い取っているのではないかと考えられているが、詳しいことは分かっていない。
「入学試験の成績は歴代最低点を更新したと聞いているがね。あのアルバール・ベルティの孫ともあろう者が――いや、彼の孫だからこそ、と言うべきか」
「祖父を馬鹿にしないで!」
 食って掛かるレーテを面白そうに見つめると、トリア治癒司祭は何事もなかったかのように話を再開した。
「話を戻すが、上位の不死者は滅多に姿を現さない。どのような姿形をしているのかすらも分かっておらず、その生態系は謎に満ちている……そう習わなかったか? 当然、言葉を話すかどうかも分からない。話してもおかしくはないが、それはただの想像だ」
 レーテの言葉は全部流し、自分のペースで話を進める司祭。発言を訂正する気も謝るつもりもないようだ。
「むしろなんらかの突然変異、進化……そう考えるのが妥当じゃないか? 少なくとも、どこにいるかも分からぬ伝説の存在に怯えるよりかは現実的だ」
「それは……そうかもしれませんが……」
 雰囲気に呑まれて、怒りの矛先が少ししぼむ。しかしレーテの声は不機嫌を隠そうともしてなかった。
 そんな突然変異が簡単に起こってたまるか、という思いもある。とは言えおよそ人類の常識など当てはまらない種族だ。環境に適応すべくその生態を変えていくことなど容易いのかもしれない。
「今回のことは決して口外しないように。いらぬ混乱は招きたくないからな」
 レーテは素直に頷く。カリテアが一緒に居たわけだが、彼女には自分から言い聞かせておけば良い。考えなしのお気楽娘だが、約束を破るような性格じゃない……と思う。
「では、話は以上だ。まだ巡礼も始まったばかりのようだが、せいぜい頑張ってくれよ」
 司祭の応援の言葉も、その口元に浮かんだ皮肉げな笑みのせいで台無しだった。



 予想外に長いこと教会に居たようだ。橙混じりだった空はすっかり暗くなり、少し肌寒いくらいだった。家の窓からもれる明かりが通りを照らしている。
(あーもう、何よあの司祭! 失礼にも程があるわ!)
 先ほどの会話を思い出して改めて怒りに身を震わせていると、聞き覚えのある甘い声が自分を呼んでいるのが聞こえてきた。
 暗闇の中でも色を失わない鮮やかな銀が風に揺れる。宿で待ってるはずのカリテアがこちらへ手を振っていた。
「お疲れさまぁ、レーテちゃん。ちゃんとご挨拶できたぁ?」
 どことなく子ども扱いしているカリテアの発言。
「あちらさんがご挨拶する気なんてなかったみたいよ」
 ふん、と鼻を鳴らす。もう二度と行くものかと誓い、サエルたちにトリベリーを届けたらすぐにでも次の街を目指すことにした。
「そうなのぉ? レーテちゃんいい子なのにねぇ」
 カリテアの返答がよく分からないのはこの際どうでもいい。何か常人には理解できない、この子なりの理論があっての発言なんだろう。
「あぁ、そうだ。今日のこと誰にも言わないでよ。しゃべる不死者のこと」
「うん」
 にこにこ顔のカリテアは即座に頷く。この軽さが不安を呼び起こすのだが……「約束したからね」レーテはそれ以上言わず宿へと歩き出した。今日一日、いろいろありすぎて疲れた。もう休みたいと体が訴えている。カリテアののんきなキンキン声を聞いてるだけで頭痛がしてきそうだ。
「ねぇレーテちゃん、早朝のバール行きの馬車取っといたよぉ。明日すぐ出ようねぇ!」
「はいはい」
「トリベリーは宿で冷やしてもらってるから心配しないでねぇ」
「はいはいはい」
 投げやりな返事も気にせずカリテアはしゃべり続ける。適当に聞き流していたが、言葉の合間に「あ!」と嬉しそうな声をあげて「レーテちゃん、空見て、空ぁ!」袖を引っ張ってくる。
「月が出てるよぉ、綺麗だねぇ」
 満月には少し足りない、それでも見事な月が空に鎮座していた。
「そんなこと軽々しく言わないの。どういう神経してるのよ、あんたは」
 カリテアの頭を小突く。
 月は女王の、死の象徴。
 大地を照らす冷たい光は女王の魔力で、その力は満月の夜に最大になると伝えられている。命を摘み取る寒々しい手が見えたような気がして、レーテは視線を外した。
「太陽の方が綺麗でしょ。なんてったってアヌーヴの象徴なんだから」
 何から何まで正反対の女神と女王。
 光と闇、生と死、金と銀。
 二者が決して相容れないものだということを訴えかけるかのようだ。
「そぉ? あたしはお月様大好きだけどなぁ」
「だから! そういう異端っぽいこと平気で言わないでよ」
 これ以上戯言をぬかす前に、カリテアの首根っこを掴んで宿まで引き摺っていった。
 仮に約束は守っても、こんな非常識発言を連発されてはたまらない。