第二章 第二節

 極彩鳥はレーテを見つめたまま動かない。次の攻撃の機会を窺っているようにも見えるが、今レーテは圧倒的に不利な状態だ。攻撃を続ければレーテが落ちるか貫かれるかは時間の問題となるだろう。躊躇など必要ないはずだが――レーテにとってはありがたい。来ないのならば、と上を目指す。
「極彩鳥の背中に誰かいるわよぉ?」
 カリテアの声が風に乗って届く。「背中ぁ?」正直そんなものを確認してる余裕はないのだが、肩越しにど派手な敵を見る。よく目を凝らせば確かに、極彩鳥の長い羽毛に埋もれるようにしてしがみ付いている人影が見えた。正確な姿は羽毛が邪魔すぎて分からない。レーテの視線に気がついたのか、背中に乗ってる人物は高笑いと共に姿を現した。
 風に吹かれる頭髪が寂しい、小柄で小太りで、ピンクのエプロンが激しく似合わない中年おじさんだ。男は狡猾そうな瞳をレーテに向け、
「はははは! よく気がつ……っと、とと、くそ、足場が悪いな……よく俺の存在に気がついたな神官! 俺は『ドルチェ・ブレッシング』のライバル『カルティエ・コーティエ』の店長バ」
「話は多分後で聞くから!」
 長くなりそうな口上に付き合う気はない。崖のぼりを再開する。何故こんな場所にライバル店の店長が居るのかは謎だが、そんな疑問は後回しだ。
「むむぅ、なんという女だ。せっかく名乗ってやろうと言うのに」
 出鼻をくじかれたカルなんたらの店長は軽く唸ると、「まあ良い」とすぐに気を取り直す。
「『ドルテェ・ブレッシング』の手先め! マディーラへの警告だけでは足りなかったようだな」
 強気に言い放つが、バランスを取りながらのせいかいまいち迫力に欠けた。
「手先じゃないし」
 否定しながらも、気になる言葉に足を止める。
「警告って……あんたがその鳥使って怪我させたんじゃないでしょうね」
「頭は回るようだな。その通りだ!」
 ――うわ即行認めたし。つーか、こんなことで頭回るなんて言われても嬉しくないって言うか逆に馬鹿にされてるように感じるって言うか……。
 微妙な心境のレーテに中年店長はなおもハイテンションに続ける。
「これを見ろ」
 言って両手で掲げたのが、人間の顔ほどの大きさもある極彩色の卵。見て分かるとおり極彩鳥の卵だ。
 卵から店長に視線を移すと、彼は得意げに語りだした。
「極彩鳥は愛情豊かな種族だからな。我が子のためなら命も投げ出す鳥もいるくらいだ。そのタマゴを手中に収めている……分かるだろう?」
「あんた、顔も性格も最低ね」
 レーテは鼻で笑う。
「こうやってドルチェの邪魔をするのも、実力じゃ勝てないって認めてる証拠よね」
「何だと! 俺のケーキはバール一だ! やがては大陸中に店舗を構えて……」
 激昂する店長に、しかしレーテはあくまでも馬鹿にした態度を崩さずに続ける。
「あら、そんな店の店長様が格下の『ドルチェ・ブレッシング』の目玉商品潰しに躍起になるなんて、おかしいわよねぇ?」
 返ってきたのは強風にも負けない唸り。
「お前のような小娘には分からな……」
「あとひとつ、教えておくけどね。そのタマゴを落としたら、あんたの命もないわよ。誰の背に乗ってると思ってんの? どうして背に乗ってられると思ってるの? よく考えることね、その寂しい頭で!」
 店長は今度こそ絶句。レーテは頂上目指してスパートをかける。
 カリテアがその細い腕を伸ばして待っている。
「極彩鳥、ぼーっとしてる場合ではない! 行け!」
 我に返った店長が怒鳴る。極彩鳥は心底嫌そうに鳴くと、本当に仕方なくという感じで旋回、レーテ目掛けて突っ込んできた。しかし完全やる気なしの体当たりなど当たるわけもなく、レーテは気にせず登り続ける。
「よし、着いたー!」
 ついに地面に手をかけた。カリテアがその腕を申し訳程度に引っ張って、レーテを崖上に引き上げる。
「レーテちゃんレーテちゃん、トリベリーはぁ?」
「あの状況で採ってきてるわけないでしょ!」
「えぇ~、残念……」
 カリテアの戯言に青筋が浮かんだが、怒鳴ったり座り込んでいる余裕はない。やる気がないとは言え、極彩鳥はまだ空でこちらを狙っているのだ。
 極彩鳥の溜息をつきたげな黒い瞳とレーテの青い瞳がぶつかる。溜息をつきたいのはレーテも同じだ。
「神官が上に着いてしまったではないか! お前やる気あるのか!」
「どう見たって……ないでしょ!」
 言うと同時に駆け出し――損ねた。カリテアが前触れも断りもなくロープを引っ張ったせいだ。つんのめって倒れそうになるのを何とか堪え「なっにするのよ!」振り返る。
「ふっ、ここに来て仲間割れか?」
 店長の声が妙に癇に障る。
「危ないからこれ外してからの方が良いよぉ」
 カリテアはにこやかにコルセットを指差す。善意もタイミング次第では悪意にしか感じない。しかし文句を言ってる時間が惜しいので、素直に外し、今度こそ走る。
 目指すはロープを結びつけた木。目的はそこに置いたロングメイス。あの店長に一泡吹かせる方法はある。
 メイスを手に取る。両手でしっかり握り締め、半身に構えた。
「カリテア、あんたは少し離れて。危ないわ、私が」
「あたしじゃないのぉっ?」
「真っ先にトリベリーの心配をしたヤツの台詞かそれが」
 抗議の声を上げるカリテアに一言突き刺して沈黙させる。カリテアは「むむぅ」と首を捻って、
「……敵を騙すにはまず味方から?」
「あんたに翻弄される人間なんて居ないわよ」
 顔は店長に向けたまま、少しだけ視線をずらしてカリテアを見る。
「――」
 レーテをじっと見つめてくるカリテア。
「何よ、何が言いたいのよっ!」
 思わずメイスを振り回す。しかしカリテアは思いのほか素早い動きでそれを避けて、
「ううん、なんでもなぁい。ほらぁ、店長ちゃんが待ってるわよぉ」
 ご丁寧にもこちらの準備が終わるまでじっと様子を窺ってくれていたようだ。
 ――今のは誰が見ても攻める絶好の機会だったと思うけど、お互いに実戦経験が不足しているが故かしら……あいつと同レベルだなんて認めたくないけど。
「お前……本当に神官か? ロングメイスを振り回す神官など見たこともない。身分詐称は罪だぞ?」
 ――あんたなんか傷害罪じゃないのよ! 帰ったら警備隊に訴えてやる!
 レーテは固く誓う。
「本当に認定神官なんでお構いなく!」
「それになぁ……髪色もどう見たって不死し」
 言い終わる前に、手近な石を拾い上げて思いっ切り投げつけてやった。吹き上げる風もあって狙いは定まらないが、アホ店長を怯ませるには十分だったようだ。
「危ないだろ! ……そっちがその気なら俺も行くぞ、極彩鳥よ突っ込め!」
「くえー」
 鼻息荒く叫ぶ店長とは対照的にまったくやる気の感じられない極彩鳥。あんな小太り乗っけてずっと飛んでいるのだ。極彩鳥も疲れているのだろう。
 なんとかのひとつ覚え、レーテに向かって突っ込んでくる。しかしスピードはない。レーテは横に飛び、極彩鳥が一瞬前までレーテの居た場所を通り過ぎる。
 レーテはメイスを水平に構え、再び彼らが突っ込んでくるのを待つ。意図を察したらしい極彩鳥は丁度良い高さまで来ると、
「くうぅええぇぇ」
 これが最後ですとでも言うように高く鳴き、先ほどとは打って変わって猛スピードで接近する。
「よぉし、行け行けぇっ」
 ただひとり状況を理解していない店長が嬉々として叫ぶ。崖での店長の行いを思い出して怒りが湧く一方で、この後店長の身に起こる事態を想像すると自然と笑みがこぼれた。
「……いい加減に……」
 極彩鳥が、店長が迫る。握る手に力を込める、重心をずらす。
 極彩鳥の体がぴったりレーテの横を通り過ぎる。
「しろおぉぉおおお!」
 その瞬間、渾身の力と崖での恨みつらみ怒りを込めてメイスを振った。横に振られたメイスは極彩鳥の頭上を走り――
「ぐふぅあっ」
 極彩鳥の背にしがみついて無防備な店長のアホ面に会心の一撃。くぐもった悲鳴を上げて背から転げ落ち顔面を押さえてのた打ち回る店長からすかさずタマゴを取り上げる。
「もう営業妨害なんてしないことね。また一撃食らわせるわよ」
 と言っても、店長は気絶しているようだが。
「レーテちゃんかぁっこいいぃっ」
 カリテアが黄色い声を飛ばしてくる。親指を上に向けてウィンクして見せた。
「くえ、くえぇ」
 極彩鳥が擦り寄ってきて、ふかふかの顔を当ててきた。全身から解放された喜びと子を取り返した喜びが滲み出ている。
「もう取られるんじゃないわよ」
 極彩鳥に卵を差し出す。極彩鳥はつぶらな目を細めて嬉しそうに鳴いた。
 器用にくちばしで挟み愛しそうに羽で撫でるその姿に、レーテは母の温かさを感じ、自然と笑みがこぼれた。
 母も、こうして撫でてくれたのだろうか。
 記憶をたゆたう声は穏やかに歌うばかりで、無論答えはない。
「――レーテちゃん? どうしたのぉ?」
「あ、いや……別に」
 柄にもなく感傷的になっていたレーテを現実に引き戻したのはカリテアの声。
「そう? 何か悩みがあるのなら言ってねぇ。『迷宮入りのカリテア』ってみんな大絶賛だったんだからぁ!」
「……遠慮しておくわ。余計こじれそうだし」
 胸を張るカリテアに、苦笑を交えて言葉を返す。
「あぁん、レーテちゃんひっどぉい。あたし、頼りになるんだからぁ」
「それより店長どうする? このまま転がしてっても構わないかしらね。サエルに引き渡したら渡したで、何か怖いし」
 カリテアが「無視? 無視なのぉ?」と腕に引っ付いてくるのもさらに放置。
「それじゃ、解散にしましょうか。心の底からお疲れ様」
 通じるかは知らないが、一声かけてその羽にポンと手を置いた。極彩鳥は「お前もな」と言った感じで軽く頷き返し、風を巻き起こして大空へと羽ばたく。数回レーテたちの頭上で旋回してから、ゆっくりと巣へ戻っていった。
 レーテも今日のところは帰りたかったのだが――カリテアの期待に満ちた瞳に押されて、再びトリベリーを採りに下りたのだった。