第一章 第五節

 白を基調とした店内は明るく、いかにも女の子が好きそうな装いだった。窓際の席に着き、カリテアは一心不乱にケーキを食べている。「貪っている」と表現した方がしっくりくるかもしれない。
「……あんたは少し、遠慮って言葉を知った方がいい」
「え? 知ってるよぉ」
 レーテの険悪な雰囲気などまったく意に介さず、幸せ全開のカリテアは笑顔で答える。嫌味のつもりだったが、全然伝わらなかったようだ。鈍さも戯言も超一流のカリテアに、ため息を禁じえない。
 カリテアお勧めのケーキ屋「ドルチェ・ブレッシング」に入ってからかなりの時間が経過している。可愛い丸テーブルに積み上げられた皿は、常識外れもいいとこだった。会計のことを考えると、自分で食べた一皿分の代金さえ憎らしくなってくる。
「あぁぁ、生きてて良かったぁ」
「そんな大袈裟な」
 メニューを制覇する勢いのカリテアに、皿を片付けるウェイトレスも引き気味だ。
「ここはねぇ、『祝福のトリベリーケーキ』がいっちばん美味しいのよぉ。一年間三食食べ続けても飽きないくらい」
「自分の金で食べるなら誰も文句は言わないわよ」
 財布の中身を気にしつつ、睨みつけてやる。悲しいほどに気づかれない。
「でね、それはいつも最後に食べるの。えへへ、楽しみは最後まで取っておかなくちゃねぇ」
「まだ食う気か、お前は」
 いい加減うんざりして、
「あのねカリテア、私は一食分奢るとは言ったけどあんたの場合どう見てもオーバー……」
「ウェイトレスさぁん、トリベリーケーキひとつお願いしまぁーす!」
 やはりレーテの言葉など届いていない。通りがかりのウェイトレスにさっさと注文を出し、満足げだ。しかし声をかけられたウェイトレスは申し訳無さそうに眉根を寄せ、
「すいません、そちらは只今材料を切らしておりまして……」
「ええぇっ、ないのぉっ?」
「申し訳御座いません」
 ガタンッ、とイスをなぎ倒してまるでこの世の終わりとでも言いたげに叫ぶカリテアと、ひたすら謝るウェイトレス。頭を下げるたびに束ねた金髪が揺れる。
 注目の的だ。
「ちょっとカリテア! 座りなさい、人目を憚りなさい!」
 小声で怒鳴るレーテの言葉は、やはりと言うべきか、カリテアを止めるには至らなかった。カリテアは立ったまま叫び続ける。
「だってねレーテちゃん! トリベリーはこの辺じゃないと食べられないのよぉ。最近始めたっていうお店がここの近くにあったけどこっちの方が美味しいし……」
 はぁ、と儚げに溜息をつくカリテア。憂いを帯びて潤んだ瞳には色香が漂うが、対象がケーキではいまいち格好がつかない。それに溜息をつきたいのはレーテの方だった。
「とにかく、これが食べられなかったら一日が始まらないのっ」
 握りこぶしを作ってわめくカリテアを半眼で見つめながら、
「もう一日は半分以上終わってるけど」
「えぇっと、じゃあ……一日が終わらないの!」
「あと半分弱残ってるわよ」
「うっ。え、えぇっとぉ……」
 視線を彷徨わせ、言い訳を模索するカリテア。ウェイトレスも何気に言葉を待っている。ややあって、カリテアは重々しく口を開いた。
「……いい、レーテちゃん。お菓子を食べるという行為は至上の幸福でね、このケーキを食べられないという厳しく痛ましい現実はあたしにとって死と同義語なの」
「死とまで」
 呟いたのはレーテではなく、意外にもウェイトレスだった。視線を向けると気弱そうな瞳にいくぶん感激した様子を湛えている。
「お客さまの、ケーキ並びに『ドルチェ・ブレッシング』を愛する心意気にいたく感動しました!」
 カリテアの手をがしっと握って、ウェイトレスはなおも言葉を続ける。
「しかしどうにかして差し上げたくとも、私に出来ることは少なく……」
 うぅ、と涙を拭う。カリテアも貰い泣きしたのか、鳶色の瞳に涙を浮かべて、
「いいのよウェイトレスちゃん。その気持ちだけで十分よ!」
「お客さま!」
 ひしっ! と抱き合う二人。新たな友情が誕生した瞬間だった。好奇の目もとい温かい眼差しでこの騒ぎを見守っていたほかの客やウェイトレスから自然と拍手が沸き起こる。
 ――か、帰りたい……。
「サエル、なんの騒ぎだ?」
「あ、マディーラさん!」
 騒ぎを聞きつけたらしい大柄な男が、松葉杖を器用に動かしながら奥から出来てきた。幾重にもまかれた包帯が痛々しい。
 顔には縦横無尽の傷跡があり、歴戦の戦士を思わせる。夜道を歩いていたら問答無用で警備隊に捕まりそうだ。ケーキ屋などという可愛らしい店よりも、死体連なる戦場の方がずっと似合うだろう。
「もう出歩いて平気なんですか?」
「俺がこんなことになって迷惑をかけてると思うとじっとしてられなくてな。ライバル店も最近トリベリーケーキを始めたのに、こちらはもうトリベリーの在庫もなくなってる頃だろうし」
 マディーラは何かこみ上げてくるものがあったのかうっと目頭を押さえた。大きな体躯も心なしか小さく映る。サエルはかなり無理のあるつま先立ちで彼の肩を優しく叩いて慰めてやった。
「マディーラさんに責任はありませんよ。それにあんな店なんて、その内この街で商売できなくさせてみせます」
 ぐっと親指を立てて物騒なことを言うサエル。
「頼もしくなったなお前も」
 ――感動してないで、そこは人として止めてあげるべきだと思う。
 レーテの声なき突っ込み。もうばかばかしくて、言葉を発する気にもなれない。
「サエルちゃん偉いわねぇ」
 カリテアも何故か感動していた。そっと目じりを拭っている。
(なんか感動する台詞あったっけ)
 レーテだけがなんだか置いてけぼりをくっているような気がした。ケーキ狂の考えはさっぱり理解できない。分かりたくはないが。
「だが目玉のトリベリーショートケーキが作れないのは痛いな。収穫は俺の仕事なのに、このザマじゃ復帰はいつになるか分からんし……」
 真顔に戻り、唸る。たかがケーキ如き、と笑い飛ばすには重すぎる空気が流れた。
「その件なら大丈夫です!」
 しかしそんな雰囲気など物ともせず、サエルが女として悲しい胸を叩いた。こちらを振り返り、カリテアの肩を掴んで、ついでにレーテを指して、宣言する。
「大陸一ケーキを愛するこちらのお客様がっ! お手伝いして下さいます!」
「ちょっと待て私もか!」
 思わぬ指名に抗議の声をあげると、
「嫌いなんですか!?」「嫌いなのぉ!?」
 サエルとカリテアが同時に、さもショックを受けたように叫んだ。
「私が言いたいのはそっちじゃなくて。誰が手伝うって言ったのよ」
「私の希望に満ちた推測なのでまだ誰も言ってません」
 まだ、にやたら力を込めて平然と言ってのけるサエル。こ、こいつ……レーテは頭を押さえたくなる衝動をこらえて、
「第一トリベリーって何よ、聞かない名前ね」
「野いちごの一種だと思ってくださって構いませんよ。パティシエの間では結構有名なんですけど、分布が限られてると言うか採りづらいと言うか……」
 サエルは言いにくそうに視線をずらした。カリテアとマディーラは「うんうん」と同意している。またしてもレーテだけ仲間はずれにされている気分だ。
「ですが、あなたのように逞しい神官さまならきっと! 任務をまっとうできると! 私は信じてます!」
 一瞬レーテの腰にぶらさがるロングメイスに視線を這わせて、手を力強く握ってくる。
「あたしもレーテちゃんならできると思うわぁ」
 事の成り行きを楽しそうに見つめていたカリテアが笑顔で同意する。カリテアの助けを得てサエルの勢いはさらに加速していった。
「お連れさまもああ仰ってます! 今は穏やかになりましたが、ライバル店の嫌がらせもあるし……人助けだと思って、トリベリー狩りへ行って頂けませんかっ?」
「……どっかから仕入れられないわけ?」
「うちは自家栽培が売りなんです。自分たちで育てたもの以外は使いません」
「そうそう、それが美味しさの秘密なのよねぇ」
 カリテアの言葉にサエルが嬉しそうに頷く。「でも……」なおも渋るレーテの言葉に、マディーラの声が重なった。
「俺からもお願いしたい。サエルが見込んだ人なら大丈夫だろう。もしやって貰えるのなら、今日の飲食代は全て俺が払うぞ」
 レーテはさっとテーブルに視線を走らせる。単純計算で、レーテの財布で払いきれるギリギリのラインだ。これを全額持ってくれるというのは悪い話ではない。今後の旅費も考えるとプラスアルファの金額も欲しいところだが、たかがイチゴ狩りでそこまで望むのは悪いだろう。
「さらにトリベリーショートケーキもご馳走しよう。特大のをな。もちろん俺の奢りだ」
「ほんとぉ!? レーテちゃん、やろぉよっ」
 即座に嬉しい悲鳴が上がる。
 レーテを見るカリテアの瞳は期待に彩られ、口からヨダレが垂れている。思いっきりデジャヴを感じる光景だ。
「こらこら、一応女の子でしょ」
 カリテアの口元をティッシュで拭きながら、最後の抵抗とばかりに「でも、頼まれた振りして食い逃げするかもよ?」と言ってみた。
「はっはっは、それはないだろう。仮にも神官さまが。教会に知れたら永久追放になるからな」
 マディーラは豪快に笑い飛ばした。
「仮にもって何よ、仮にもって」
 しかし彼の言うとおりだ。もし食い逃げなんかして神官の資格を剥奪されたら末代までの恥。笑い話にもならない。
「分かったわ。このレーテ・レーゼ、我らが神アヌーヴとロザリオに誓って、トリベリー狩りに協力する。その代わり約束は守ってよね」
 カリテアの、サエルの瞳が輝く。神官が神の名とロザリオに誓うときはどんな理由があるにせよ約束を違えるようなことがあってはならない。それは神に対する裏切りと同じなのだ。
 マディーラも満足そうに頷き、
「俺も神に誓おう。……少し待っててくれ。俺の道具を渡す」
 松葉杖をついて、再び店の奥へと消えていく。足取りはどことなく弾んでいた。
「レーテちゃん、頑張ろうねぇ」
「期待してます。神官さま」
 二人の言葉に曖昧に笑ってみせて……レーテはやっぱり溜息をつくのだった。
「なんか違う気もするけど、これも人助け、か……」