第一章 第四節

 バールの教会は、レーテたちの宿からそう遠くない東地区に建っていた。礼拝の時間はとうに過ぎているせいか人はあまりいない。長い金髪のシスターが庭の花の手入れをしているくらいだった。
「あら、認定神官さま、御機嫌よう。本日はどのようなご用件ですか?」
 レーテに気づいたシスターが銀髪を見てはっとおびえた表情を浮かべた。しかしそこはシスター、すぐに柔和な笑みを浮かべてじょうろ片手に歩み寄ってくる。その肩が少し震えてたのは見なかったことにした。
 巡礼の旅だと告げると、彼女は「まぁ、お疲れ様です。中でお休みになられますか?」と教会を見上げた。つられてレーテも視線を移す。
 大地の神アヌーヴ、人に神力を与えた唯一無二の絶対神。神の威厳を象徴するように高くそびえ立つ純白の教会は、天にも届きそうだった。
 アヌーヴの力を示す太陽はちょうど真ん中に昇り、教会を照らす。
「バール浄化司祭様にご挨拶を、と思ったんですけど」
「それでしたらどうぞ中へ。ご案内致しますわ」
 シスターが扉を開く。外の喧騒が嘘のような静けさを湛えた礼拝堂。厳かなこの雰囲気が、レーテは嫌いではなかった。
「トリアから治癒の司祭さまがお見えになっていたのですが、先ほどお帰りになられたんです。とてもハンサムな方で……あら、私ったら何を言ってるのかしら」
 真っ赤になっているシスターは置いておき。人影もまばらな礼拝堂を通過するだけでも、視線は突き刺さる。
「神官さまは浄化ですか?」
「ま、一応ね」
 ――最初っから、不死者をなぎ倒すために神術学校に入ったんだし。
 レーテはこっそり付け足す。
 神術には浄化と治癒の二種類があり、それぞれに認定試験がある。合格者にのみ、神術の使用許可が下りるのだ。
 二つに優劣はない。各教会には中央聖庁から浄化司祭か治癒司祭の誰かが派遣され、教会の運営をしている。その司祭を助けるのがレーテたち認定神官であり、シスターやミニスターだ。後者は認定試験を受けていない聖職者で、神術は扱えないが教会のさまざまな雑用をこなす。
「司祭さまのお部屋はこちらです」
 礼拝堂を超えて、長く静かな廊下を歩いていく。たまにシスターたちとすれ違うが、皆一様に目を見開き、あからさまな嫌悪感を示してきた。
「あ、その、神官さま……」
 案内役のシスターも気づいたようで、気遣わしげな声を出した。彼女もレーテの銀髪に不快感や嫌悪感を抱いているかもしれないが、それ以上に他人を思いやる人物のようだった。
「どうかした?」
 わざと気づいていない振りをする。今更傷つくような心など持ち合わせていないし、気にするとかえって惨めだ。笑いたければ笑えばいい、と完全に達観することはまだ出来ないが、神官服とロザリオがレーテの心を少しだけ強くする。
「……いえ、何でもありません」
 レーテの演技に気づいたのか気づかなかったのか。シスターは首を振ると再び歩き出した。無言の空気が、ひそひそとした話し声を運んでくる。ちらちらとレーテの顔色を窺うシスターに笑顔を返し、ついて歩く。
「こちらです。少しお待ち下さいませ」
 シスターが止まったのは、一際立派な装飾が施された扉の前だった。執務室か何かだろう。
(あー、さすがに緊張するわね)
 扉をノックするシスターの背中を見つめて、深呼吸をひとつ。同じ聖職者とは言っても、学校の教師とはワケが違うのだ。
 知らず知らず、高く結った銀髪を触る。この髪を見て司祭さまはどう思うのだろうか。隣町のくせにバール浄化司祭さまのことはほとんど何も知らない。浄化の司祭にも関わらず、研究者タイプの人だとは聞いたことがあるが……
「神官さま、どうやら司祭さまはお忙しいご様子で……申し訳ありません」
「あら、そうなの」
 構えていたのに、現実にはあっさりとかわされてしまったようだ。何だか拍子抜けして、「じゃあ浄化の認定神官レーテ・レーゼが後日改めてご挨拶に伺いますと伝えてもらっていい?」とだけ頼んだ。
 シスターが頷いたのを確認して、レーテは足早に教会を去る。少しでも早く、この嫌な視線から遠ざかりたかった。



「まったくもう、あの子はどこまで行ったの?」
 バールの街を歩きながら、独りごちる。
 宿に戻ったレーテを出迎えたのは、空っぽの部屋。カリテアの姿はどこにもなかった。手紙を出したりなんだりで遅くなってしまったかと思っていたが、案外カリテアも服選びに時間がかかっているのかもしれない。
 そう思って宿で待っていたのだが、いくら待っても帰ってこない。心配になったレーテはこうして探しに来たのだが……
(銀髪なんてすぐ見つかるかと思ったけど、案外広いわねバールって……)
 もしかしたら入れ違いで宿に帰ってきてるかもしれない。そう考えて引き返そうとしたレーテの耳に、甲高い泣き声が届いた。
 物凄く嫌な予感がして、声のする方へと向かう。
「レーテちゃんが来なぁあぁぁい!」
 道端に座り込んで。営業妨害スレスレの騒音を撒き散らしながら、カリテアが大粒の涙を流していた。レーテの頬を嫌な汗が流れる。顔は青ざめていたに違いない。
 賑やかな通りに似つかわしくない慟哭に、誰もが一瞬だけ立ち止まる。しかし小さい子でもないし、どう対処して良いのか分からないといった様子で去って行ってしまう。レーテも知り合いでなければすぐさま通り過ぎただろう。
 カリテアが座り込んでいるのは、ケーキ屋の前みたいだ。恐らくここがカリテアの「行きたい店」なんだろう。
(何なんだあの女は……)
(なにあれ、銀髪じゃない……)
 そんな囁き声が人波と一緒に流れていく。非常に声をかけづらい状況だ。それでもこれ以上喚かれると完全に声をかけられなくなりそうで、勇気を出して一歩踏み出した。どうせ傷を負うなら、浅い方が良い。
「ちょっと、何やって」
「あ、レーテちゃん! あたしずっと待ってたのよぉ!」
 涙声で訴えられ、いろいろ反論したいことはあるものの素直に「ごめん、いろいろ長引いて」謝った。
 待ち合わせ場所も決めず、店の名前すら知らずにどうやって落ち合う気だったのか……カリテアの中でこのケーキ屋――「ドルチェ・ブレッシング」は言わなくても分かるレベルとして認識されてたのかもしれない。
「ほら、とりあえず涙と鼻拭きなさい。そんな顔で店に入るわけにもいかないでしょ」
 こんだけ騒いでおいて入るのか、という羞恥心もある。
「レーテちゃん遅いんだもん。捨てられちゃったかと思ったぁ」
 酷い顔だが、もう笑みを浮かべる余裕があるようだ。ころころと変わる表情はある意味で見習いたいものがある。
「拾った覚えはないけど」
「あたしお腹空いちゃったぁ」
 レーテの突っ込みは全力でスルーされ、泣いていたことなど綺麗サッパリ忘れた顔のカリテアに促される。カリテアは立ち上がると、新品のワンピースについた土ぼこりをぱたぱたと払い落とした。黒地にレースがあしらわれた、女の子然とした服だ。レーテには一生縁のない系統だろう。
「ここはすぅっごく美味しいんだよぉ」
 早くもヨダレ。涙を拭いたついでに口元も拭ってやった。なぜ年上の女性のヨダレを拭いてるのか……いや、もう自分の状況について考えるのはよそう。
 変な虚しさを背負って、レーテは店の扉をくぐる。