第一章 第三節

「ねーえ、レーテちゃん。あたし行きたいところがあるんだけどぉ」
 カリテアが甘さ二倍の声色で覗き込んできた。レーテのこめかみがぴくりと動く。
 街に着いたとたん元気になったカリテアは、なぜかレーテの手を握ったまま色々な店が立ち並ぶ通りを嬉々として歩いていた。ラクルとは違い途切れることなく店が並び、うるさいくらい呼び込みの声が飛び交う。
 カリテアは時折「レーテちゃん、あそこのお店可愛いねぇ」と汚れた顔で明るい笑顔を向けてくる。こうもストレートに好意を向けられるとどう対処したらいいのか困ってしまい、レーテはされるがままになっていた。
 この地方は金髪が多くただでさえ銀髪は人目をひくのに、それに加えてかたっぽはボロボロのワンピースという何かいわくありげな雰囲気。すれ違う人々は大抵が振り返り好奇の視線を向けてくる。敵意や悪意ではないが、(え、何あれ不死者……?)(教会に連絡した方が……)中にはあからさまな嫌悪感を隠そうともしない連中も居た。
「その前に服をなんとかしなさいよ。目立ってしょうがないわ」
 それよりももっともっと前に、何故一緒になって行動するのかという疑問もあるが、それはとりあえず置いておくことにした。
「でもでもぉ……あたし早く行きたぁい」
 レーテの額に、一瞬にして青筋が浮かび上がった。カリテアの口元に添えられた両の拳が、抑えきれない殺意を誘導してくる。「それにねぇ」レーテの殺意に火をつけて、カリテアは更に命を縮める。
「服に回すお金、ないのぉ」
 期待に輝く瞳がレーテを見据える。引きつった笑みしか出てこない頬を無理やり奮い立たせて「それはつまり」しかし出てきた声は限りなく冷たかった。
「私に服代を出して欲しい、と?」
「うーうん」
 のんびりとした否定の言葉。にっっっこりと眩いほどの笑顔が炸裂する。
「服じゃなくてぇ……ケーキ奢っ」
 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。カリテアはレーテのチョップにあえなく倒れ、頭から地面に転がる。投げ出された銀髪を見下ろしながら、レーテは呟く。
「寝言は寝てから言いなさい。ほら、今言ってごらんなさいよ同じ台詞を!」
 無論、返事はなかった。



 いつになく早足で歩くレーテに、追いすがる影がある。レーテは固く結んだ唇を決して開こうとはせず、無視を決め込んでいるが、周囲の視線が痛すぎるほどに痛い。銀髪に対する嫌悪感と、そんな二人がどんな関係にあるのかという、無神経な好奇心とが混じり合った不愉快な視線だ。
「うわあぁぁぁん、レーテちゃん待ってえぇぇ!」
 涙でべちょべちょになった顔で叫ぶのは、永遠の十九歳カリテア。目立つことこの上ない。
 本人の言葉を信じるならレーテより年上のはずだが、どう見ても精神年齢は五歳児以下だ。
 よたよたと必要以上に哀れを誘う歩調で、母を求める幼子のように両手を前に出してついてくる。周りの人々が無言で訴えてくる――少しは待ってやれよ、と。
 声無き圧力に耐えかねて、レーテは足を止めた。新米とはいえ自分は神官。相手ぐらいしてあげなければ、と義務感を総動員させる。慈愛の神アヌーヴへの祈りで心を落ち着かせながら、なるべく自然に微笑んで振り返った。完璧な笑顔だ。レーテを遠巻きに見ていた人々がぎょっとした様子で去っていくのは、この笑顔に惚れそうになったからだろう、きっと。
「まだ何か用?」
「レーテちゃん、どこに泊まるのぉ?」
 現金なもので、カリテアはすぐに涙を引っ込めて懐っこい笑みを浮かべた。これが男だったらころっと騙されてしまうのかもしれない。守ってあげたいと思わせるには十分なオーラが出ていた。あいにくレーテには効果がなかったが。
「別にまだ決めてないけど……」
 またケーキの話かと思ったが、思わぬ話題に不信感を強める。
「あたしね、あたしね、教会指定の宿で安いところ知ってるよぉ!」
「……自分で探すわ」
 神官なら割引で泊まれるという指定宿。バール程度の規模でも一つか二つはあるだろう。わざわざ教えて貰わずとも、宿の集まる地区へ行けば自ずと見つかるはずだ。
「えへへ、あそこは穴場なの。一泊三百リエン……安いでしょぉ?」
 何故そんな穴場を神官でもないカリテアが知っているのか甚だ疑問だった。しかし、一泊三百リエンというのは確かに相場より安い。
 レーテが考えあぐねていると、それを遮るかのような轟音にも似た音。
 ――カリテアのお腹からだった。
「……えへ」
 わざとらしい照れ笑いを浮かべてお腹をさするカリテア。あんな地響きのようなお腹の音は聞いたことがなかった。レーテは深ぁくため息をついて、人生最大の過ちかもしれない言葉を言ってしまった。
「……じゃあ、その宿紹介してくれたら一食分くらい奢ったげるわよ」
「ほんとぉ? レーテちゃんってば太っ腹ぁ!」
 腕に引っ付いて、体全体で喜びを表現する姿はまるで犬だった。尻尾があったら絶対にぱたぱたと揺れていることだろう。
「あっちよ、早く早くぅ!」
「分かった分かった、分かったから引っ張らないの!」
 ぐいぐいと進んでいくカリテアを咎めて、しかしレーテの心はどこか踊っていた。こんな風に歳の近い相手と一緒に街中を歩くことなど滅多になかったから。
 神術学校の同期はほぼ全員がレーテを相手にしなかったし、レーテもそんな彼らを敵視していた。やたらと強引で図々しいカリテアだが、それでも彼女の好意的な笑顔が自然と胸に入り込んでくる。
(あー、ひとり妙に突っかかってくるのが居たけどねぇ……)
 茶色の髪を掻き揚げて、いつも自信満々。というか自信過剰な女。お偉い貴族の娘のくせして、やたらとレーテに敵対心を抱いていたようだった。
「まぁ、もう会うこともないだろうけど」
「誰とぉ?」
 知らずに声に出していたようだ。カリテアが不思議そうに見上げてくる。「何でもないわよ、独り言」適当にあしらうと、「独り言かぁ。じゃあ分からないねぇ」と変な納得の仕方をしていた。
「あ、ついたぁ」
 納得したかと思えば、唐突に立ち止まった。あそこ、と指された先を見上げると、確かに教会指定のロザリオマークが掲げられている。
 しかし掠れてしまってあまり目立たない。レーテも言われなければ素通りしてしまっていただろう。場所も大通りから少し外れてしまっているため、余計に人目につかない。だからこそ穴場なのかもしれないが。
「贅沢言うつもりはないんだけど、大丈夫なの?」
 見た目はお世辞にも綺麗とは言えない。木造の、小ぢんまりとした宿。安いだけのことはある、という程度の外観でしかなかった。
「入らないのぉ? はーやーくぅ」
 レーテの疑問は完全に無視され、カリテアに引きずられるようにして入る。しかし、不安に反して見た目ほど悪くはなかった。等間隔に並んだオレンジ色のランプは穏やかな空間を演出し、その優しい空気に「わぁ……」思わず声を漏らす。
 カウンターにちょこんと立っているおじいさんにロザリオを見せると、完璧な営業スマイルで、
「認定神官さまですね。一泊三百リエン、お連れ様もお一人まででしたら同じ値段でお泊りになれますよ」
 その視線はずっと二人の銀髪を行き来していた。
 部屋に入ると、カリテアはさっそく「おっふろぉ」と駆け出していった。安い割りに、それなりに備え付けの設備も整っているようだ。
 適当な場所に座って、荷物を投げ出した。バールまで来ただけなのに、余計な神経を使ったせいで随分とくたびれた。
「とりあえず、教会に顔出しておこうかな」
 ついでに何か簡単な仕事でも貰えればいいのだが、レーテのような新人に回ってくる仕事などないかもしれない。後は父へ手紙を出さなければ。バールに着いたら出す約束だったのを思い出す。カリテアが強烈すぎて父の存在を忘れかけていた。
(忘れたら、バールまで飛んできちゃうわよ)
 そんな父の姿を想像して、ひとり笑う。こんな不死者みたいな娘を、よくあそこまで愛してくれる。誰もが言うみたいに人間じゃないかもしれないのに……
「あー、ダメダメ! 卑屈になるのはよそう」
「うんうん、素直がいちばぁん!」
「わっ、あんたいつの間に!」
 もう風呂から上がったらしいカリテアが、湯気を引き連れて隣に座っていた。鳶色の瞳がほんの目と鼻の先にあり、純粋な輝きに吸い込まれそうになってしまう。さっきまでは汚れていて気づかなかったが、色白で、それなりに整った綺麗な顔立ちをしていた。服は結局ぼろぼろのままだが、少しまともなドレスを着させれば貴族の娘だと言っても通じそうだ。喋った瞬間に全てが台無しになるのは必至だけれども。
(まぁ、私ほどじゃないけどねー)
 ふふん、と勝ち誇る。自身の容姿に関しては、なぜか無駄に自信過剰なレーテだ。
「お風呂どぉぞ?」
「私は夜でいいわ。とりあえず教会へ挨拶に行こうと思うんだけど」
「えーっ! ケーキはぁ?」
 約束を破られた子どものように頬を膨らます。レーテは痛む頭を押さえつつ「後でちゃんと連れてってあげるから、それまで我慢しなさいよ」と半眼で睨みつけた。
「あと服。安いのでいいから買ってきなさいよ。ケーキ代は私が持つんだから、お金あるでしょ?」
「あ、そうだねぇ。あるぅ!」
 行って来まーす、と元気よく返事をしてカリテアは部屋を出て行った。――本当に大丈夫かしら、あの子。
「これが親の気持ちってやつ……?」
 故郷の父を思い浮かべて、レーテは小さく苦笑した。