第一章 第二節

 連日晴天で空気は暖か、空には雲ひとつない。太陽の日差しがまぶしい絶好の旅日和……のはずなのだが。
 この穏やかな雰囲気をぶち壊すように、レーテは人生で初めて、行き倒れてる女性を発見してしまった。どうやったらこんな場所で行き倒れるのかはなはだ疑問だが、女性の髪を見て息を呑む。
 太陽を反射して煌く、銀色。黒い服によく映える。伸ばしっぱなしの髪はぼさぼさで、服もところどころ破れていたり、土や葉がついたりしている。
「あの、大丈夫?」
 しゃがんで、その肩を揺すってみる。年の頃はレーテと同じくらいか、少し上だろう。不死者の少ない田舎とはいえ、神術を扱えない一般人が馬車もなしに歩き回るのは危険だ。
「ううぅ」
 女性はうめいて、力なく見上げてくる。乱れた長い銀髪の隙間から見える鳶色の瞳と目が合う。最初その瞳が驚いたように軽く見開かれたが、すぐにそんな気配は消え「もうだめぇ」と訴えかけてきた。
 ――ど、どうしよう……。
 レーテは頭を抱えたい衝動を堪えて、うるうるの瞳を見下ろす。
「自分で歩けたり、する?」
 とりあえず尋ねてみる。
 言葉はなく、その代わり余すところなく甘えが張り付いた表情。嫌な予感が脳裏を掠めていく。
「えーと」
 その期待に応えるべきか否か。一瞬考えて、しかし慈愛の象徴たる神官が倒れて困っている(かどうかは分からないが)人を見捨てれば、女神アヌーヴへの裏切りにも等しい。
 レーテは溜息をつくと、そっと腕を差し出した。
「肩貸すから、バールまで行きましょう。それともラクルに用が?」
「んっとね、バールでいいよぉ」
 甘ったるい語尾。鈴を転がしたような可愛らしい声が、その威力をさらに強めている。
 黒服の女性はレーテの腕を握ると、にっこりと笑って立ち上がった。土ぼこりで汚れた顔。どのくらいここで倒れていたのだろうか。誰かが通るまでずっと倒れてたとか? ――もしかしたら怪我人を装った物盗りかもしれない……自分の考えにハッとなり、無意識のうちに半歩下がった。
 しかし、特に不自然な動きはない。無邪気な笑顔でレーテを見上げている。「どうしたのぉ?」鈴の声に押されて、「いや、何でも……」考えすぎだ。軽く頭を振って、女性の肩に腕を回した。普通なら警戒と嫌悪を呼ぶ銀髪も、レーテの警戒心を弱めた要因だった。
 レーテの腕に手を絡めて嬉しそうに歩き出す。見た目にはとっっても元気だ。
「一体何があったの? ぼろぼろよ」
 無言というのも気まずいので、何となく話を振ってみた。女性は「んっとねぇ」と妙に間延びした言葉を返すも、続きがない。
 別にどうしても聞きたいわけでもないレーテは、改めて彼女の銀髪を眺めた。レーテのそれよりも少しくすんで見えるのは、汚れのせいだろう。十七年の人生で、初めてだった。自分以外の銀髪を見るのは。大陸中探しても居ないのではないかと考えていたくらいだ。
 人間にあり得ない髪色ではないのだと分かって、少しほっとする。
「それよりねぇ、名前なんていうの? あたしは永遠の十、九、歳! カリテアでーす!」
 女性もといカリテアが弾む声で尋ねてきた。
「十九って、また微妙な」
 しかも強調しているあたり、本人的には重要らしい。
「私はレーテ・レーゼ。見てのとおり認定神官よ」
「わぁ、すごいねぇレーテちゃん。神官になるのって難しいんでしょう?」
 カリテアは素直に感心している。レーテは慣れない「ちゃん付け」に戸惑いながらも、
「難しいっていうか、まぁ厳しいわね。それでも天才レーテ・レーゼにかかれば朝飯前ってやつよ」
 親しみのこもったカリテアの口調に、思わず素が飛び出る。今のは嫌味っぽかったかと顔色を窺ってみたが、カリテアはまったく気にした素振りも見せず、「そっかぁ、レーテちゃんは天才なんだねぇ」と納得していた。そこには嫌味や皮肉などは一切篭っていなかった。
 神術学校でここまで悪意のない言葉をかけられた記憶はない。相手がこうも好意的だと逆に調子が狂ってしまう――そんな風に思っている自分に苦笑して、レーテは話題を変えた。
「銀髪って珍しいわよね。あなたの知り合いにも居るの?」
「んー、お母さんとかぁ」
 母親譲りの銀髪。「あら、私も母さんからなのよ」レーテは思わぬ共通項に言葉を弾ませた。これで、この大陸には少なくとも四人の銀髪の人間が居ることになる。自分ひとりだけがおかしいのだと悩んだ時期もあったが、そんなことなかったのだ。
「わぁ……偶然だねぇ。銀って、きらきらしてて大好きなのぉ。レーテちゃんの髪も綺麗」
「そんな褒めるようなもんじゃないでしょう」
 父以外に銀髪を褒められたのは初めてだった。この世の中にそんな酔狂な人物はほとんど居ない。
「銀髪嫌いなのぉ?」
「……だって銀闇が……」
 自分で言っといて、その単語に心臓が鼓動する。
 誰もが憎む銀髪の不死者。全不死者の母なる存在。忌むべき銀闇、女王アンラ・マンユ。名前で呼ぶことは穢れを運ぶとされ、普通は女王や銀闇と呼称される。
 彼女さえ倒せば不死族は消滅すると伝えられている。不死者の「不死」は女王あってのものだと、そう信じられているのだ。
「銀髪が嫌いなんじゃないわ。あんなのと同じだなんて、吐き気がするだけ」
 声が不機嫌になる。不死者と同じ。事実なだけに、そう言われるのが一番腹が立つ。子どもの頃は、不死者不死者とからかわれたものだ。石を投げつけてくるヤツもいたが、全て返り討ちにしてやった。
「でもでも、とぉーっても綺麗よぉ?」
 分からない、とでも言いたげに可愛らしく眉根を寄せた。この妙に間延びした甘い声、ちょっとむかつく。個人的に受け付けないかも。そんな風に思いながらレーテは答える。
「綺麗なのは認めるけど! でも、だからどうしたって言うの? 銀は銀、女王と同じなのは変わらないわ。最悪よ」
 断言に、カリテアは黙る。悲しそうな瞳。まだ何か言いたそうだったが、それよりも先にレーテが再び口を開いた。
「それより、思ったより元気なんじゃないの? 自分で歩けるなら歩きなさいよ」
 楽したいだけなんじゃないか。彼女の足取りを見ているとふとそんな気がしてくる。
「えーっ、怪我人にひっどぉい!」
「怪我してないじゃないの!」
 耳元で大声を出すカリテアに、負けじと大声で返す。よくよく見れば、別にどこも怪我してないのだ。ただ見た目がぼろぼろなだけで。
 レーテの反論に、ハッと自分の体を見下ろすカリテア。しばしの沈黙。やがて、
「心が傷ついたの。深く」
 ――このまま背負い投げしたろかお前。
「分かった分かった。分かったからそういう台詞を笑顔で言うのやめようね全然そうは見えないから」
「疑ってるわね、レーテちゃん。今またすごぉく傷ついたわぁ」
「はいはい」
 カリテアの戯言を適当に流しつつ、レーテは前方を見据える。バールの街並みがおぼろげながらも見えてきた。ラクルのような田舎町ではなく、店も人も桁違いに多い。神術学校のあった都市に比べれば大したことはないが、それでもレーテの心は躍った。
 神官として訪れる、最初の街。それだけの事実が世界を鮮やかにしていく。
「ほら見て、バールだわ」
「レーテちゃん楽しそう」
 明るい笑顔のカリテアが優しい声を出す。
 少し耳を澄ませば、街の喧騒も届いてきそうだ。一歩大地を踏みしめるごとに、気分が高まってくる。
 バールはもうすぐそこだ。