第四章:再会、そして 第三節

「あんたは本っ当に、私を何だと思ってるわけ? ねぇ、ちょっと言ってごらんなさい。怒るから」
「じゃあ言わなーーい」
 ディーズィル家の一室で。
 時雨が不機嫌そうに詰め寄るが、ルィンはニコニコと拒否を示した。そもそも、包帯グルグルでベッドに寝たまま凄まれても、全然怖くない。
 時雨が言ったのは恐らく正気に戻すために使った金貨のことだと思うが、あれはもう、そのままの意味だ。
 狂都市から帰ってきて数日。ルィンと時雨の傷はとりあえずあの場でベニーが治したのだが、闇に支配されていた体はボロボロで、時雨はなかなか目を覚まさなかった。
 父の依頼の解決報告や、むしろ時雨は悪くないということを説明し終えたのが昨日。やることやってから帰宅すると、時雨が目を覚ましたのだった。それはもう、ご機嫌ナナメで。開口一番に「この命知らず!」と怒られ、チョップを喰らわせられたときの驚きと嬉しさは今でも鮮明だ。
 ――時雨が帰ってきた。そう実感できたから。
「なにをニヤついてるのよ」
「時雨が帰ってきたんだなーと思うと嬉しくってつい」
 眉をひそめてそっぽを向かれた。「バカじゃないの……」実際は恥ずかしがってるだけだ。
「あの二人は? 派手魔術師とノクス」
「もう次の仕事を見つけて、どこか行っちゃった。傷は完全に癒えてたから。リュミエさんが、『次会うとき一発殴らせろ』って言い残してった」
「冗談じゃないわ」
 その言葉を最後に、沈黙が流れる。たまにベニーやエテスが様子を見に来たが、ルィンの笑顔を見ては大丈夫みたいだ、と帰っていった。ベニーに対しては時雨が珍しく「迷惑かけたみたいね」と殊勝な態度を示したので、ルィンはまだ闇が残っていたのか、と不安に思ったくらいだ。
「それで、あんたはもう大丈夫なわけ? その……体は、実際どうなの?」
 そっぽを向いたままの時雨が、遠慮がちに尋ねてきた。エテスからは「目覚めたときからずーっと気にしてますよ」なんて言われていたが、実際に質問が飛んできたのは今が初めて。時雨なりに言いづらくて、タイミングを見計らっていたのかもしれない。
(そんな大したことじゃないんだけどねー)
 時雨が無事に帰ってきたことに比べれば、何てことない。それに、思わぬ副産物もあった。
「調子良いよ、本当に。だってこれ、見てよ!」
 ふふーん、と胸を張って人差し指を立てた。時雨が面倒臭そうに振り返る。
「凄惨なる狂気を愛でる者・我と契約せよ・我望むは背徳者の笑み――歪狗(ひずく)」
 ぐにゃり、と人差し指が回転する。渦巻きに吸い込まれていくかのような、不気味な現象。時雨が目を見開いた。
「あ、あんたが術を成功させるなんて……」
「そっち?! じゃなくて、これ暗黒魔術なんですけどー!」
 脱力するルィン。
 闇をその身に封印したことで、ルィンに若干の変化が起こったのだ。まずは魔力の制御能力。これは飛躍的に伸び、簡単な精霊魔術ならばもう余程のことがない限り失敗しない。中位の術もそこそこで、上位の術だって練習すれば出来るようになるはずだ。魔術師として今から胸が躍る。
 そしてもうひとつ――奇跡が使えなくなったことだ。何をやっても発動しない。己の魔力を聖なるものへと変換することさえも出来なかった。ディーズィルの娘としてはあまりに致命的な副作用だったが――ルィンはこれに対してはかなり楽観的だった。
(最初から上手く使えなかったんだし……別に良いよね)
 心もどこか軽い。ディーズィルという重圧から解放された喜びかもしれない。何だかんだで重荷だったのだ、家名が。
 父には報告済みだった。手助けしてくれたお礼と共に報告したら、ルィンが無事に帰ってきたことは喜ばしいが、神聖魔術を使えなくなったとは何事だ、と頭を抱えていた。弟もものすっごく驚いて何とか戻らないかといろいろ調べてくれていたが、結局収穫はなかったようだ。
「それって凄いの?」
「暗黒魔術だよ、暗黒魔術。今まで魔術書でしかお目にかかったことのないような術が、自分で試せるんだよー。人とは相容れないって言うしあたしもそう思うけど、使えるんなら使わないと損だよ、損!」
「あんたって前向きね……」
 呆れる時雨。ルィンの頭の中は既に、あれやこれやと試したい術のリストで埋め尽くされていた。「歪狗」は空間を歪める術の中でも簡単な部類だが、もっと難しい術とか、光を利用して幻影を見せる術とか、結界とか、もうとにかく今まで何も出来なかった鬱憤を晴らすがごとく、心はどこかへ飛んでいた。
「ま、勝手にやってちょうだい……」
 ルィンの目にある種の狂気を見たのか、時雨が会話を投げた。時雨は前から魔術の話にはあまり乗ってくれない。
「時雨の方こそ調子は大丈夫なの? ……闇に何か言われた?」
「……私、冒険者を何人か殺したわね」
 問いには答えず、淡々と呟く。「それは時雨のせいじゃ……!」勢い込んで反論するルィンを制して、
「殺された冒険者が居るのに違いはない。もしそのせいで私を憎む人が出てくるのなら、私はそれを受け止めるし、復讐したいのならすれば良い。ただ、私だって死にたくないから、全力で迎え撃つけどね」
 ふ、と自嘲的な微笑を零す。「時雨は悪くない……よ」ルィンが口を尖らせていると、ベッドに置いた手に覆いかぶさるものがあった。
 時雨の手だ。ビックリして、でも慌てて握り返す。
「私は島の貧しい家に生まれて、五つになる前に大陸の人買いに奴隷として売られた。私を買い取ったのが誰だったか忘れたけど、逃げ出してやったわ」
 黒曜石の双眸がまっすぐルィンを見上げている。
「他人が憎くてしょうがなかった。私は人を殺したがっていた。そんな狂人が力をつけて、戦場で思う存分恨みをぶつけて人を殺すの。今はもう馬鹿馬鹿しくてそんなこと思ってないけど――ねぇ、私はあの闇より最低な存在だと思わない?」
「それ、は……周りの環境が……」
 返す言葉が見つからなかった。そんな過去があったこともショックだったし、何より恨みを抱いて生きていたという言葉が、ルィンの頭を殴りつけた。時雨の過去を知らずに能天気にくっ付いて回っていた自分が恥ずかしくなって、俯く。
 知らない地で独り、誰を恨めば良いかも分からず戦ってきた時雨。その孤独さを思うと、いかに自分が恵まれていたか――優しい父と弟、エテスを始めとする使用人。誰もがルィンを助けてくれた。
 何を憎めばいい? 奴隷商人? 売った家族? それとも貧乏? 幼い時雨はその全てを憎み、がむしゃらに強くなったのだろう。『むしろ精神は脆弱だ』――ふと、闇の言葉が蘇る。
 あれは本当だったのかもしれない。
「相変わらず甘いわ、ルィン」
 ふう、と息を吐いた。
「力と金は手に入れたけど、私の周りには誰も居なかった。もうずっとそのままかと思ってたところで――あんたが声をかけてきた」
「あ……あの時、ね」
 思い出して頬をかく。あの無謀な申し出のことか。
「最初はディーズィルに『売ろう』と思って承諾したんだけど、余りにも疑わずについてくるから……どうでも良くなっちゃった。今思えば、私は独りで居ることに疲れていたのかもしれないわ」
 でも、と続ける。
「あんたが嫌になったのなら仕方ないわ。ルーレンシアに戻りたいのならもうとめな」
「いや、とめて! あたしも一緒に居たい!」
 ぎゅっ、と握る手に力を込める。
 ――ルーレンシア・ディーズィルの名に未練もない。そもそも、奇跡を使えなくなった時点でディーズィル失格だ。
「時雨とならどこへだって行く。後悔しても遅いよ!」
 時雨はルィンの思っているような「孤高の冒険者」ではない。「自分と出会う前の時雨」は、抱え込んだ感情の矛先も分からぬままに彷徨っていた「孤独な冒険者」だったのだ。
 ならばその孤独を埋めるのは、自分だ。なぜなら――
「あたしは時雨の相方、ルィン・ノージャだもん!」
 息巻くルィンに、時雨は非常に珍しく――柔らかく微笑んだのだった。


「そうか、それは丁度良かったな」
 唐突に湧いた声に振り向けば、入口には父の姿。時雨は心底気まずそーな顔をして、小さく舌打ちする。そんな時雨の様子に気づいているのかいないのか、父はずんずんとベッドに近づき、ルィンたちを見下ろしてくる。
「ルーレンシア。我がディーズィル家は代々神聖魔術の使い手として、人々を導いてきた」
「……はい」
 時雨の手を離し、父と真正面から向き合う。
「故に、だ。奇跡を使えなくなったお前は、ディーズィルを名乗る資格はない」
「ちょっと、使えなくなったって……どういうこと?」
 時雨が口を挟む。「ルィン、封印のせいなのね?」聞かれたくなかったのに、と思いつつ頷いた。時雨が自分を責めると思ったから黙ってたのに、お父様も空気が読めない人だ。
「でも全然気にしてないよ。もともと才能なかったし」
「才能がなくて使えないのと、暗黒のせいで使えないのとでは大違いだ。ルーレンシア――お前はもう、家に居る必要はない。どこへでも行くがいい」
 あくまでも厳格の皮を被る父。
「そんな言い方……」
「時雨、大丈夫。――お父様」
 父を見上げる。ぶつかった視線には隠し切れない優しさが溢れていた。
「ありがとう。本当に、本当に……ありがとう御座います!」
 勢い良く頭を下げた。何もかも父に甘えっぱなしの自分。大切なコレクションまで壊してしまったのに、こんなに優しくしてもらってバチがあたりそうだ。
「礼を言われるようなことは何一つ言っていないな」
 父の様子に笑みが零れた。みんなみんな、素直じゃない。
「だが、これだけは忘れるなよ。居る必要はなくとも、ここがお前の家であることに変わりはない」
「うん……またいつか、忘れた頃に帰ってくるよ」
 おどけて見せると――父もついに厳格さの仮面を脱いだ。