第四章:再会、そして 第二節

 リュミエの見立てでは、長期戦になるほどこちらに有利だった。それは時雨の体の耐久性による予想で、闇としても短期戦に持ち込んでくるはずだろう。
 こちらが粘るほど、敵は焦る。焦れば焦るほど、隙は出来やすくなる。
 封印するには対象に触れる必要がある。理想としては時雨を気絶させるか身動きできなくさせるのが良いのだが、事はそう上手く運ばない。
 ノクスと時雨。勝負は互角に見えた。いや――若干ノクスが押されているか。リュミエとベンナードの援護があって、初めて戦いとして成立している。
 ノクス一人だったら恐らく、ただの嬲り殺しに遭っているだろう。それは戦いではなく一方的な殺戮だ。
(男見せなさいよ、ノクス……!)
 詠唱しながら、心の中で声援を送る。
 剣が弾かれ、追いすがる刀を避け、カウンターを受け止められる。何度「息吹壁」をかけ直したか、最早分からなくなっていた。「癒幻」は対象者の体力が続く限り切れることはないが、幾度も血を流せば体力も減ってくる。
 ノクスの表情に余裕はない。
 対する時雨は、ずっと笑っている。長期戦は避けるはず――というこちらの予想を裏切るかのように。たまに距離を取って呼吸を整えている様子だが、それでも「時雨」を休ませる気はないようだ。
「血を浴びたがっているんです、きっと」
 ルィンが表情を強張らせる。胸の前で組まれた指は真っ白になっていた。
「あの闇は時雨の体が壊れるとか、結局どうでも良いんです。次の宿主を探せば良いだけですから。あたし達が自然と、無意識に生きようとするように――闇は、本能的に殺すんです」
 きっと、本当ならリュミエたちを一瞬で殺せるほどの力があるのだろう。そうしないのは、単純に人の恐怖、苦痛、を楽しみたいからだ。
 快楽殺人者はたちが悪い。リュミエは舌打ちする。それが血のにおいに狂っているのなら、なおのこと。
 ――もし時雨がダメになったら、ノクスにとりつく?
 自分の考えにぞっとして、でも有り得ないどころかその可能性は非常に高い。ルィンに入ろうとしたらそれはそれで手間が省けるんだけど、などと考えもしたが、そんなこと期待するだけ無駄か。魔力の高い人間には入らないだろうから。
「ノクスは渡さないわよ! 万物に宿りし我らが友……」
 詠唱の文句すら、煩わしい。
 ……と、その途中でノクスの体勢が今度こそ崩れた。時雨が刀を振りかぶる。
「ノクスさん!」
 たまらず走り出したのはルィン。一直線に二人へと向かっていく。「あ、こら!」咄嗟に伸ばした手は空を切った。
「姉さん待って!」
 ベンナードが追いかけようとしたが、リュミエは空ぶった手でその肩を掴んだ。どうして、という顔でベンナードが振り返る。
「ダメ、危険よ!」
「でも姉さんが……!」
「ルィンは私が何とかするから。貴方達二人に死なれたら、何しに来たか分からないわ」
 むりやりベンナードを後ろに下げ、再び詠唱を開始する。
「――息吹壁」
 ルィンと自分の周囲を風が包む。同時にリュミエも走り出した。もちろんルィンを引き戻すためだ。
「止めて! 時雨!」
 振り下ろす手が一瞬止まり、その隙を逃さずノクスが刀を弾き返す。間合いを取って構えたノクス。しかし疲労の色は濃いようだ。
 刀を弾かれた時雨は動かない。構えすらせずに、無表情――いつもの時雨のような――にルィンを見ている。
「時雨?」
 ルィンが立ち止まり、様子を窺う。リュミエも隣に並んだ。攻めあぐねているノクスに目配せすると、彼も不審そうに敵を睨んでいた。
「……ルィン……?」
 かすかに震える声。無表情に苦痛の影が落ちる。のろのろと伸ばされた腕。
「時雨、戻ったの……?」
 驚きに見開かれた双眸。一歩踏み出す。
 しかし――リュミエは確かに見た。
 刹那の微笑を。光と相反する、害悪を潜めた瞳を。
「危ない!」
 ほとんど反射的にルィンを引っ張った。鋭い切っ先が、さっきまでルィンが居た場所を切り裂く。
「外したか」
 なんの感慨もなく呟かれた言葉は、最早時雨のものではなかった。


「てめぇ!」
 斬りかかるノクスも軽くあしらう。「姉さん、大丈夫!?」結局ベニーもこちらへ駆け寄ってきた。ルィンは弱く笑みを返すと、
「今のは全部、演技なんだね」
 確認するように口を開いた。
「無論だ。絆に縋り、信じ、希望を見出す。それを裏切られた瞬間の絶望が、我を満たすのだ」
 闇は嘲笑い、言い放つ。
「希望を捨てよ、人間。この女のように絶望にまみれ、我の糧となれ」
 ルィンはぴくりと肩を震わす。
 ――この女のように?
「時雨に、何を言ったの……?」
 乗っ取るだけでは飽き足らず、時雨の心を土足で踏み躙り、無遠慮に傷つけたのか。純正の怒りが湧き上がってくる。しかし闇はこれに答えず、
「秋永時雨は確かに強いが、それは単純な力だけの話。むしろ精神は脆弱だ。人間の言葉であるだろう――弱い犬ほどよく吠える」
「時雨を馬鹿にするなぁ!」
 叫ぶと同時に、ルィンを中心とした大地が罅割れた。その罅は物凄い音を立て、まっすぐに闇へと向かっていく。近くに居たノクスが慌てて避けた。闇も同様だ。地面に激しい凹凸ができ、地層がむき出しになっている。魔力がどれだけ大地深くまで影響を及ぼしたのか……。
「もらった!」
 いち早く体勢を立て直したノクスが、闇を斬る。致命傷とまでは行かないが、十分な裂傷だ。
「人間、やってくれるな……」
 傷口からぼたぼたと血が落ちる。ノクスがさらに攻めるが、辛うじて避けられてしまった。傷を負ったとは言え、動きは余り衰えていないようだ。
「詠唱もなしに、凄いわね……」
 リュミエが呆然としている。
「姉さんの魔力が爆発したんだ、一瞬だけ」
 冷静に返したのは弟。しかしその表情も驚きに染まっている。
 当のルィンは肩で息をして、へたりと座り込んでしまっていた。ベンナードの言う爆発は、そうとう体に堪える。それでもまだ、休むわけにはいかない。自分には重要な役割が残っている。
「こんな人間どもに手傷を負わされるとはな。やはり殺しておくべきか――ルィン」
 昏い瞳がルィンを見据えた。「ひっ……」乾いた空気が漏れる。殺気や害意の篭った瞳は、それだけで凶器となりうるようだ。首筋に刃を当てられているかのような戦慄に、身が竦む。
 血を振り撒きながらもノクスをかわし、ルィンへと向かってくる。リュミエと弟の詠唱は間に合わない。振り上げられた刀が、自分を狙っている。
「うわっ、と!」
 命の危機に、本能的に瞳の呪縛から逃れたルィン。かなりギリギリの位置を刀が叩く。
「お、遅い遅い! 時雨の方が、ずっと速いもんね!」
 それでも強がってみせて、不恰好に逃げ出した。避けられたのは奇跡だ。次はないかもしれない。
 真剣勝負だ。
「我欲するは破砕の礫――岩雨!」
 リュミエの術が飛んでくる。ルィンと時雨の間に石の雨が降り注ぎ、行く手を阻む。
「待てよ、俺が相手だろ!」
 ノクスもすぐさま走り出して、追いすがる。
 が――
「雑魚に用はない」
 闇が刀を一閃。剣圧が空気を震わし、ノクスとリュミエの二人を凪いだ。血が飛び、膝を突く二人。ベニーが素晴らしい反応速度で治癒の術を唱える。
「みんな、来ちゃダメ! あたしなら大丈夫だからー!」
 本当は全然大丈夫じゃないが。
「ルィン、何故逃げる? お前が死ねば時雨も喜ぶぞ」
「なに言ってんの、そんなわけないじゃん」
 反射的に、加えて自信満々に、言い切る。絶望など感じてやるもんか。それにちゃんと根拠だってあるんだ。
「我は女の記憶も得ている。こう言っているぞ――私はずっとあんたが邪魔だったのよ。役立たず。お嬢様の道楽に付き合わされて、本当に迷惑だった」
 そこだけ時雨の口調を真似て、ルィンの動揺を誘おうとしているようだが――その手には乗らない。
「時雨は絶対にそんなこと言わない。役立たずだとは思ってたかもしれないけど、邪魔だとか迷惑だとか……そんなことは有り得ない!」
 きっぱりと言い切るルィンに、闇が刹那固まる。
「何故お前の信頼は揺るがない?」
「時雨はね、邪魔だと思ったらすっぱり切り捨てるよ。でも、あたしに『パーティを解散する気はない』って言った!」
 むしろ、最初に相方を切り捨てたのはルィンだ。しかしルーレンシアに戻って別れようとした自分を、時雨は追いかけてきてくれた。「本当はさっさと別れたかった!?」と激昂する声が耳元でこだまする。
「確かに時雨は偉そうで人使い荒くて怖くてお金に煩すぎて泣けてくるけど」
 一呼吸置いて、一息に吐き出す。
「本当は優しくて、凄く寂しがりなんだ」
「――ならばその理想を抱いて死ぬが良い。死して思い知れ、自らの愚鈍さを」
 闇がすべるように肉薄する。ルィンは動かない。リュックの持ち手を取り、
(時雨、もう絶対に信じてるからー!)
 意を決して、向かい来る時雨へと投げつけた。口は閉じていない。
「……っ?」
 当然のように切り捨てる時雨。中から飛び出てきたのは――眩く輝く金貨、三百枚ほど。数年は遊んで暮らせる額が時雨の顔に当たり、惜しげもなく大地に散らばる。ダメージはないだろうし、「闇」の気を引くにも足りないが――
「なんのつも」その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「――ルィン!! あんたお金は大事にしろって何度言ったら分かるわけ!?」
 相方の怒りを買うには十分過ぎるほどの額だった。なんとも間抜けな秘密兵器だが、効果抜群だ。
「よっしゃ! 時雨、信じてたよー!」
 勢い良く抱きつく。いつかと同じように、時雨と一緒に大地へ転がった。じゃりじゃりとした大地と、硬質なコインが体を叩く。
「――ベニー、リュミエさん、今!」
 支配に打ち勝つためには、強烈な「自己」を呼び起こさせなければならない。
 時雨は銅貨一枚で怒鳴るほど金に煩い。金貨を大量にばら撒けば簡単に激昂させられると踏んだのだが、正解だったようだ。失敗してたらルィンの首が飛んでたが、結果よければ問題なしだ。
「ルィ……うっ……はなれな、さ……危な……」
 闇が再び力を取り戻そうとしている。「時雨、もう少し。あと少し我慢してね……!」間近で見る本来の時雨に涙が出そうだったが、泣くのは後だ。
「姉さん、行くよ!」
 ベニーが術を完成させる。
「私の魔力も使いなさい、ついでにノクスのもあげるわ!」
「ついでかよ……」
 二人の声も聞こえてくる。
 次の瞬間、膨大な魔力がルィンの体に流れ込んできた。父自慢のコレクションによる古代人の魔力、そしてアイテムによって力を増幅した弟や、リュミエたちの魔力。最後に父の力が自身の魔力に溶け込むのを肌で感じる。
 ひとりの体で受け止めるには多すぎる魔力群。四肢が千切れそうになる感覚に意識が遠のきそうだった。骨が妙な音を立てている。
「絶対離さない、んだから!」
 体に描いた封印が光り、熱を持つ。思わずうめき声が漏れた。離さない、離すもんか、もう二度。
「う、ぐあぁっ……人間、小賢しい真似を」
 時雨の意識が完全に沈んだ。闇は苦痛に顔を歪めながらも、刀を煌かせた。
「この人間もろとも、死ぬがいい」
 躊躇いなく振り下ろされた刀が、ルィンを貫通して時雨の腹まで届いた。
「ぐぅ、あ、う……ああぁっ!」
 ぎりぎりと、肉を抉る。
「姉さん!」「いいから集中して!」
 一喝。
 二人の血が混ざり合い、大地に注がれる。
「残念でした、致命傷じゃない、みたいだよ……」
「くっ……」
 ルィンの全身が淡く発光し、時雨の体へと移っていく。煙のようにゆらゆらと、真っ白な光に包まれる。体中が熱い。血管が浮き出ているようだ。それが小さく破裂し、肌に赤い線を引いていく。
「う、があぁぁあぁ!」
 奇しくも、闇が刺した刀のお陰でそう簡単には離れられなくなっている。徐々に闇の気配が縮まっていく。
「……早く封印されちゃえ……!」
 自分の快楽殺人者な性格を呪いながらね。心の中でそっと付け加えた。
 ベニーの魔力が増す。封印式に流し込まれた魔力は破裂寸前の風船のように体内で膨れ上がり、獲物を捕らえる。ルィンの体に、引き裂き刑にあっているかのような痛みが走り続ける。
(あと少しあと少し……頑張れあたしの体!)
 一際大きく輝き、焼かれているような熱を持ち、叫びが激しくなる。
 そして――