第三章:やるべきこと 第四節

「……暗黒魔術を封じるに足る魔力量を持つ物質と封印式があれば良いってことだよね」
「理論上はね」
 弟の説明を聞き終えたルィンは、うーんと天井を仰いだ。
 ルィンの再構築した封印の術式は非常に高度なレベルで纏まっているが、完全に闇を抑えきれるかは分からない。綻びはない。それだけは断言できる。しかし解読された鎖の一部分から予想される全体像を組み立てただけなので、どうしても不安は残る。
「姉さん……ひとつ聞いていい? 秋永時雨って姉さんにとって何なの?」
 ふと下りた沈黙に乗せて、ベニーが眉をひそめて疑問の声をあげた。
「え? そうだなー……いろいろあるけど、家族かな。お姉さんとか――お母さんって感じ」
 頬をかく。実際に声に出して言ってみると少し照れくさい。
 叱られて怒鳴られてどつかれて馬鹿にされて――と世間一般の母親像とはいたく離れているが、それでもルィンにとっては家族のようなものだ。
「お父様の話じゃ、凄く怖い人みたいだけど」
「そうだねぇ……手加減とか容赦って言葉を実践してくれたらって、あたしも思うけどね」
 時雨の遠慮の無さが逆に心地よかった。結局のところ、ルィンのことを心配してくれてるんだ。
「でも、本当はすっごく優しい人なんだよ。じゃなかったらあたしと一緒に、一年も冒険してくれないよ」
 いつもいつも助けられてた。だから今度は、ルィンが助ける番なんだ。
「そっか……じゃあ今回のことが終わったら僕も、『本当は優しい時雨』に会えるかな?」
「うん、絶対会えるよ!」
 そのためにはまず、目の前の問題から片付けていかなければ。いっきに現実に引き戻されて、ルィンは腕を組む。
「で、魔力の高い物質だよね。高密度の魔力ねー……うーん……」
「それなんだけどさ」
 さっきまでの穏やかな雰囲気から一変、ベンナードも表情を硬くする。
「モノじゃなくても……人間でも良いんだ。だから、ぼ」
「だったらあたしで良いじゃん!」
 ルィンは即座に身を乗り出す。瞳を輝かせてベンナードに言い放った。
「だってそうでしょ? あたしの魔力が高い高いーって言うんだったらこういうときに役立って貰わないと。うわーもう、丁度良くてビックリしちゃう!」
 ルィンとしては手を叩いて喜びたいくらいだ。
「だ、ダメだよそんな! 姉さんは魔力の制御もそんなに出来ないし、第一危ない……!」
「制御は――任せた」
 慌てる弟を制して。
 びしっ、と親指を立ててみせるルィン。弟はあんぐりと口を開けて目を丸くしていた。
 この子の実力はルィンが一番良く知っている。小さな頃から既に神聖魔術を使えて、制御も完璧。ルィンなど足元にも及ばないコントロール力だ。
 封印というのはつまるところ、物質に魔力を留めておくことが必須の技。『灼然』も発動できないルィンに出来るはずもなかった。
 ルィンが器となり、ベンナードが術を発動させる。ルィンが二つともこなせるのが一番良かったのだが、この際仕方ない。
「僕、一晩すっごく考えたんだよ。ものすごーい覚悟をしてここに来たってのに」
 心なしか肩を落としているように見える。
「ベニーの気持ちは素直に嬉しいよ。でも――あたしがやらなきゃダメなんだ。秋永時雨の相方ルィン・ノージャとして」
 ベンナードはしばらく無言を貫いていたが、やがて「はぁ……言い出したら聞かないしね」と息を吐いた。
「そうそう、お姉さまの言うことは聞いとくものだよ」
「何だよそれ、お姉さまってガラじゃないじゃん」
 軽口に笑いあう。その笑いが収まった頃、ぽつりと呟いた。
「ごめんね」
「この場合、その台詞はちょっと違うんじゃないの?」
「……ありがとう」
 ベニーは柔らかく微笑んだ。
 闇に喰われて死ぬかもしれない、という恐怖はある。封印式が不完全で破られてしまうかもしれない、という不安もある。
 それでも、時雨が助かる可能性が少しでもあるのなら、ルィンはそれに賭けたいと思う。弟を巻き込むことに引け目を感じるけれど、それを言ったら、きっと彼は怒るだろう。
「封印式の構築は? この辺、僕にはさっぱりなんだけど」
 ぺらりと一枚を拾い上げ、ベンナードが眉を寄せる。これをすぐさま理解しろ、というのは余りにも酷な話だ。
「メイン術式の構築はあたしが全部やる。補助式だけ手伝って」
「えっ、あぁ……うん、良いけど、いや……良くないかも……」
 歯切れの悪い返事。しかも顔を真っ赤にしている。「どうしたの?」ルィンの問いに、下を向いたまま答えて曰く。
「だって……封印式どこに書く気さ? 肌しかなくない……?」
 ようやく思い至る。ぽん、と弟の頭に手を置いて。
「そうかそうか、いつまでも小さいイメージだったけど……そういう年頃なんだね」
 時の流れっていうのは凄い。ついこの間まで一緒にお風呂に入ってたような気さえするのに。いつまでも仲の良い姉弟では居られないってことか……と、感傷に浸る。
「でも大丈夫、あたしは気にしな」「僕が気にするんだってば! 姉さんも少しは恥ずかしがってよ! そういう反応って意外と傷つく!」
 涙目の抗議。
「そう言われてもなー、仕方ないじゃん?」
 それでも「いやいや」と首を振ってくる。ルィンは弟の手を取って、
「ベンナード――今は緊急事態なの、恥じらいなんて捨てなさい」
「姉さんが言わないで!」
 ……結局、嫌がる弟を何とか説得して背中と両腕に封印式を書いてもらうこととなった。


「構築は、これで良いとして……」
 何故か肩で息をしているベンナードが疲れたように呟く。彼の表情は疲労困憊という言葉がよく似合う。
「あー、溜め込んでた術式塗料なくなっちゃった。また買ってこなきゃなぁ」
 ルィンの全身に描かれた術式は、その密度の割にはほとんど目にはつかない。書いてるときは意外と目立つなぁと思っていたが、乾いてみるとそうでもなかった。
(乾くって言い方が正しいのか知らないけど……)
 淡く光すら発しているように見える特殊な塗料。光が弱くなっただけとも取れる。
 しかしそんなことはどうでも良くて。
「ベニーも今のでだいたい構造分かったよね? やっぱ分かってるのとそうじゃないのとじゃ大違いだからさ」
 服の下には緻密な――我ながら惚れ惚れしてしまう術式が刻まれている。あとは式のレベルに見合った魔力を込めれば発動する。全ての構造を理解する必要はないが、どの術式に優先的に魔力を送れば良いのかなどの微妙な調整が可能になるため、理解しておいて損は無い。それに、結果的にはそれが封印の完成度を高めてくれる。
「よぉーし、後は魔術師だね。ベニーは二人分くらいにはなりそうだけど、これを発現させるにはまだ足りないよね」
 ルィンの心当たりといえばリュミエだが、果たして協力してくれるだろうか。時雨の討伐報酬よりも上の金額を提示すれば味方になってくれるかもしれないが……
(あたしの持ち合わせじゃ足りないかも)
 それでも頼み込めば何とかなるかな、と楽観的に構えることにした。ノクスが落としやすそうだ、と状況を想定しながら。
 あとは時雨を倒しに行った冒険者の中から、魔術師を募れば良い、と思う。多少は居るだろう。しかし、それでもまだ全っ然足りない。
「……お父さまのコレクションの中に古代人の魔力を封じた輝石とか魔力倍加のアクセサリーとか物凄く便利なシロモノがあったよね」
「……手をつけたらものすっごい怒ると思うよ」
 唸る弟。怖気づいたように身を引いた。父のコレクション愛は凄まじい。それは分かっている。手垢つけただけでも怒声に追い掛け回されるほどだ。
 しかしルィンはにやりと笑って、
「ちょっと借りるだけ! 終わったらすぐ返すから大丈夫だよ」
「でもあれって一回使ったら効力なくなるんだよ?」
 不安顔の弟。
「だーいじょうぶ。だってお父様が使うわけじゃないし、見た目さえ無事なら問題ないよ」
「それでも万が一バレたら?」
「……可及的速やかに逃走!」
 そして時雨と共に冒険へ、という言葉は飲み込んだ。そんなことを今言う必要はない。
 弟はうんうんと唸って、「でもなぁ……いやでも、それしか方法は……」ぶつぶつ言っている。
「今こそ男を見せるときだよ、ベンナード」
「姉さん……都合の良いときだけ男扱いしないでよ」
 呆れたように肩をすくめる。それでもその顔は「やれやれ」とでも言いたそうに笑っていた。父の影にびびって、やる気をなくしたわけじゃないようだ。瞳はまだ輝いている。
「それが一番手っ取り早くて、確実……うん、確実だよね」
 ちょっと自信なさそうに一度頷き、気合を高めるように立ち上がる。
「そうと決まったらさっさと行こう、姉さん。お父様に見つからないうちにさ」
「甘いな。ベンナード、ルーレンシア」
 しかしそんな気合を嘲笑うかのように部屋の扉を開けたのは、
「うっげ、お父様……どうしてここに?」
 ルィンは思わず後ずさる。弟も気まずそうな表情で立ち尽くしていた。
 父は静かに笑っている。しかしそれは獲物をいたぶる猫の笑みではなくて、かといって怒りとか不満とか、そういったものが溢れすぎて笑みを作っているわけでもなく……強いて挙げれば苦笑に近いかもしれない。
 ルィンたち二人は追い詰められた、けれどまだ逃走を諦めていない犯人のように、じりじりと間合いを取る。父の無言の圧力に押されているわけではない、断じて。
「お前達の行動などお見通しだ。私を誰だと思っている? お前達の父親だぞ」
 ふふん、と何故か胸を張る父、フスーカ・ディーズィル。
「流石にベンナードまで居ることは予想外だったが……まぁ、姉弟の仲が良いのは嬉しいことだな」
 ベニーが気まずそうに床を見る。それでも引く気はないようだ。
「だってあたし達は――お父様の子どもだよ?」
 威勢良く父を見据える。父相手に、眼力で負けるわけにはいかない。そんなことなら、時雨を助けるなんて無理だ。
「そうだな、私の子だ。お前達は、大切な家族だ」
 父は難しい顔をして頷いている。しかし、その声は穏やかで優しい。
「では、その大切な家族を危ない目に遭わせたくないという親心も分かるな?」
 ルィンはぐっ、と詰まる。それは勿論、大いに理解出来るのだが……それをそんなにも優しい声で言うのは反則じゃないか。内心口を尖らす。
 良心に訴えかける攻撃ほど強いものはない、とルィンは思う。
「もしお前達に何かあったら、今度こそ私の胃は破裂してしまうよ」
 額に手を当てて、胸を押さえる父。哀れっぽい姿は同情を誘うには十分すぎた。「お父様……」とベンナードが既に術にはまりかけている。
 いや――術と呼んでは語弊があるか。あれは父の本心以外の何ものでもない。それは痛いほど分かるし、受け入れたいとも思う。
 しかし――それは出来ないのだ。
 ルィンは弟の前に出る。
「お父様。その気持ちはすっごく嬉しいし、よく分かるよ。でもね……時雨は、あたしにとっては家族同然なの」
 視線が交差する。予想外に真摯でまっすぐな瞳が、ルィンを映す。
「だから、絶対に助けたい。時雨はきっとあたしを待ってる」
 怯まずに見返す。真剣に。
「関係ないベニーを巻き込んで、ダメな姉だとも思う」
「僕たち、家族じゃないか。助けるのは当然だろ」
 背後からすかさずベニーの声。ルィンの隣に並び、
「というわけだから、僕も絶対行くよ」
「……ダメだと言ったら?」
 あくまでも立ちはだかる父に、ルィンとベンナードは同時に構え、視線を交わす。そしてかすかに頷きあった。
「力ずくで!」
 予想通りの答えだったのか、父は肩をすくめる。父の左手に握られているのは――人工の魔杖。
「万物に宿りし我らが友・召喚に応じその力を示せ・我欲するは緑の縛め」
 弟の詠唱は早く、的確。
 片隅に置いてあった観葉植物が、久しぶりに動かされた操り人形のようにギリギリと、不規則に動き出す。しゅるり、とツタが床に伸びる。その様子はさながら獲物を定める蛇だ。
「荊織!」
 力強い言葉と共にツタが父めがけて飛ぶ。同時にルィンも走った。父は刹那視線を彷徨わせ、ツタを迎撃することに決めたようだ。
「甘いな」
 父の詠唱。完成と同時にツタがピタリと止まり、落ちる。弟と同じく「荊織」を唱えたようだが――
「甘いのはお父様!」
 ルィンはその脇をすり抜け、脱兎の如く部屋から逃げ出す。
「……我欲するは大空の支配――風華!」
 そこに弟の術が手を貸す。ルィンを爆発的な風が包み、廊下をまっすぐ飛ばされていく。目を見開いた父が視界に入った。
 目指すは父のコレクションが並べられている場所。一番奥の大部屋だ。
「先行ってるよー!」