第三章:やるべきこと 第三節

 どえらい依頼が舞い込んできた斡旋所は一時騒然となっていたが、その喧騒も今ではすっかり落ち着いていた。
 真昼間、ほとんどの冒険者は出払っている。時雨を見かけた冒険者が居たらしく、彼に続いて皆我先にと飛び出していったのだ。
「んで、俺たちはどうする? リュミエ」
「どーもこーもないわ! あんのバカ女、どれだけ迷惑かけりゃ気が済むのよ!」
 だんっ、と机を叩いたのは赤いローブが印象的なリュミエ。秋永時雨につけられた刀傷はすべてフスーカ・ディーズィルのお陰で塞がっているし、一日経った今では傷跡すら判別できない。さすがは優秀な司祭を輩出しているディーズィル家当主。神聖魔術の腕前は超一流だ。
 この血があの半人前以下のルィン・ノージャもといルーレンシア・ディーズィルにも流れているのかと思うと不思議だ。
「でも俺たちにも責任の一端はあるよな」
 ノクスが頭をかく。「それはそうだけど……」リュミエは小さくごちた。
 ディーズィル家当主が持ち込んだとんでもない依頼――あの秋永時雨の捕縛または殺害。とは言いつつも、なるべく生け捕りにろというご要望つき。
 詳しい事情は全て省かれていたために、斡旋所の主人も目を白黒させていたらしい。
 お得意様を蔑ろにはできないが、指名手配にも似たこの依頼を受理するにはそれなりの理由が必要だ。目を血走らせて尋常じゃない空気を滾らせている当主から聞き出すのは、さぞかし勇気が要っただろう。
 当主はただ一言、たいそう不機嫌そうに、言ったそうだ。
『娘が殺されかけた。私の娘が、だ』
 それは十分すぎる理由。大貴族の娘に手をかけた、などという冒険者は国家指名手配犯にされてもおかしくない。けれど事情が事情なだけに――ディーズィルはこうも付け足したそうだ。『公にしたくない、くれぐれも内密に』と。あれだけ騒いでおいて何を言う――誰かしらそう思ったに違いない。
 しかし、今になって思えばこれはルィンへのささやかな配慮だったのかもしれない。
「すげー報酬だよな」
 指折り数えて、改めてその額にのけぞっている。恐らくそこらの賞金首二十人捕まえてもまだ追いつかないくらいの額だ。そんな規格外の報酬に目の色を変えて飛び出していった冒険者は大勢居る。
 数十人で結託して時雨を捕まえるつもりなんだろう。
「運良く秋永を見つけたって返り討ちよね。下手すりゃ殺されるわ」
 ひゅっ、と魔杖で空を切り、ノクスの喉元へ当てた。遺跡ではああ言ったものの、秋永時雨の強さはリュミエも認めている。それが凶悪な古代魔力を得たのだから、鬼に金棒というやつだろう。
「下手しなくても死ぬだろ、あれ」
 ノクスは微動だにせず応じる。
「……でしょうね」
 引っ込めて、腕を組んだ。
 あの闇は殺戮を楽しんでいる。血を浴びたがっている。良くて即死、せいぜい嬲り殺しか。彼女の残忍な笑みを思い出して身震いする。
 人とは相容れない深い奈落。もともと黒かった瞳が、さらに濃度を増したような錯覚。視線に殺されるかと思った。
「私達も行かないとね」
『狂皇帝の剣』の封印を――ルィンの忠告を無視して――解いたのは他ならぬ自分達。あれだけ高密度の魔力なのに、感知することも出来なかった。
 ルィンはただひとり、潜伏していた魔力に気づいた。その察知能力は驚嘆に値する。
「でもどこ行ったか分かんねぇだろ?」
「ルィンよ。あの子ならきっと分かるわ」
 魔力感知能力。
 地味で、決して強き刃ではない。しかしこれこそがルーレンシア・ディーズィルの最大の武器なのかもしれない。
「これはあくまで私用。ハイリスク・ノーリターン。……ま、秋永時雨に、気兼ねなく好きなだけぶち込めるってのが最大の報酬かしら」
「いや、その台詞は問題ありじゃね?」
「リュミエ様のきれいな顔に傷をつけた恨みはきっちり晴らしてやるんだから!」
 ノクスの台詞はしっかり無視して、闘志を滾らすリュミエだった。


 ベンナードはかつて、姉に優越感を抱いていた。物心がついたばかりの頃だ。当時からディーズィル家が司祭の名門だということは理解していた。
 そのディーズィル家の長子でありながらほぼまったく神聖魔術を扱うことの出来ない姉。怒られはしないけれど、姉が失敗するたびに周囲がため息をつく。姉は申し訳無さそうに頭をかく。繰り返し見た光景だ。
 そんな中で、自分が術を成功させれば誰もが笑顔で褒めてくれた。父も世話役も、姉ですら。『偉いね』と頭を撫でられるたびに、姉よりも――年上の人間よりも優れているのだと誇らしくなった。しかしそれは「誇り」というよりも、子ども染みた「自慢」が大半を占めていた。
 僕は姉さんよりも上手く出来る。
 褒めてもらいたい、認めてもらいたい、という自己顕示欲を無邪気さの裏に隠して、あえて姉の横で発現させてみせる。姉はいつも決まって『すごい、ベニーすごいね!』と自分のことのように喜び、ベンナードを褒めた。
 ベンナードにとって「姉が喜んでいる」のはどうでも良かった。重要なのは勝ったという優越感。
 幼い頃の自分は、さぞかし馬鹿げた得意顔をしていたことだろう。
 あの日――姉の涙を見るまでは。
 姉の部屋の前を通りがかったとき、わずかに開いた扉から漏れ聞こえた嗚咽。不思議に思ったベンナードはこっそり隙間から部屋を覗いたのだ。
 姉が扉に背を向けて立っている。表情は分からない。
『うっ、うぅ……全能なる真実の使者よ・我・其を信ずる者』
 涙声の詠唱。初めて聞く声だった。
 ベンナードは息を呑む。
 姉はいつも笑って、ベンナードの隣に居た。泣くどころか、滅多に怒りもしない人だ。楽しさと喜び以外の感情表現を忘れてしまっているのではないかと、そう思ってしまうほどに。
『我願うは輝ける光――聖光(ひじり)』
 完成、しかし……何も起こらない。前にまっすぐ伸ばされた両手からは沈黙以外の返答はなく、しんと気まずい空気が流れた。
 だらん、と力なく両腕が下ろされる。
『姉さ』
『ううっぅうああぁぁあん……!』
 あの姉が、声を上げて泣いた。へなへなと座り込んで、涙を拭おうともせず両手を見下ろしている。
『どうして、どうしてあたしには、出来ないのぉ……!』
 ベンナードは、確かに聞いた。慟哭の合間に吐き出される落胆、幻滅、失望――負の螺旋が姉を取り巻いているかのような錯覚に陥った。
 ルーレンシアは泣き続ける。ただ己の無力さを嘆きながら。
 何だか無性に恐ろしくて――ベンナードは逃げ出した。
 恐怖の正体は罪悪感。言い知れぬ焦燥感に心臓が跳ね上がり、痛みを発する。
 姉を泣かせたのは、自分だ。子どもっぽい自尊心のために、姉を傷つけた。
『ベニーは凄いね』
 その言葉は姉の本心だったと思う。しかし裏にはいつも『どうしてあたしは出来ないの?』という自責の念があったに違いない。
 それ以来、ベンナードは見せびらかすような行為はやめた。
 姉を泣かせるようなことはもうしないと、誓った。
 だから――
「ベニーおまたせ! 食べてきた!」
「え、早っ! さっき出て行ったばかりじゃないか」
「お腹空いてたみたい。それとお父様が居たから、何か聞かれる前に食べちゃった」
 呆れは苦笑に変わる。
 姉が笑ってくれるのなら、喜んで協力しよう。


「ふぅ……」
 フスーカは小さく息を吐く。
 静かな食堂。先ほどまでルーレンシアが飢えた獣のごとく遅い朝食を貪っていたが、今では食器を片付ける音が遠慮がちに響くだけだ。
「あの、旦那様……」
「エテスか。どうした?」
 後片付けをする侍女達をすり抜けて、エテスが歩み寄ってきた。その表情には影が差している。
「お嬢様たちのことなのですが」
 長年この屋敷に住まう彼女のことを、フスーカは強く信頼していた。特に子ども達に関しては、母親代わりとなってくれた存在だ。彼女が居たからこそ、子ども達は――たとえ仮初だとしても――女親の温かさを知りながら育つことが出来た。
「朝からずっとお部屋に篭りっきりで、今ではベンナード様もご一緒になって何かをやっていらっしゃるようなんです」
「飲まず食わずでずっとやっていたようだな。あの食事の勢いは夕飯抜きの徹夜明けより酷かったぞ」
 行儀が悪いと注意する暇もなかった。嵐のように去っていった、と表現してもはあながち間違っていない。
「あの冒険者を助けに行くつもりなんだろうな」
 侍女達が下がるのを見計らって、フスーカは口を開く。ついでに深ぁいため息。
「……だと思います」
 どうしてそこまであの冒険者に拘るのか。
 沈黙が下りる。
「ルーレンシアはあの女の何が良いんだろうな? 私には傍若無人の危険人物にしか見えなかったのだが」
 フスーカからしてみれば、最初に訪れたリュミエとノクスの方がよっぽど好感が持てる。『狂皇帝の剣』を持ってきたという事実を除いても、彼女らの方が人間的にも出来てるように見えた。
「私は少ししかその冒険者を見てないのですが……」
 そう前置きしたエテスは、逡巡を見せる。言うべきか迷っているというより、適切な言葉を探しているようだった。
「あの人――秋永さんの瞳は、かつての……奥様を亡くしたばかりのルーレンシアお嬢様と同じ色をしているように感じました」
「どういう意味だ?」
 フスーカとしては、高慢で横柄で尊大で不遜な態度と瞳しか記憶に残っていない。エテスのことは信頼しているが、どの部分に共通点を見出したのか――フスーカは眉をひそめる。
「強い悲しみ、絶望……お嬢様はそれを笑顔で隠し、秋永さんはそれを怒りによって覆っていたのではないかと、私は思います」
「……分からんな」
 弱く首を振る。自分を中心に世界が回っていると思っているようなあの態度の中、どこに悲しみや絶望を認めれば良いというのだろう。
 それが親を亡くしたばかりの幼子と同じだというのであれば、なお更理解に苦しむ。
「ルーレンシア様は、もしかしたらそんな所に惹かれているのかもしれませんね。きっとお気づきになってはいないでしょうけど」
「そうだとしたら……面倒だな。実に厄介だ」
 共感ほど心を動かすものはない。それが本能的な部分であればあるほど、逆らいがたい。ルーレンシアの説得はもしかしたら……出来ないかもしれない。
 それに――
「もし、秋永時雨も同じ痛みを持っていると言うのなら……私はそれに共感を覚えずにはいられない。近しい者を失う悲しみほど、耐え難いものはないのだよ――」
 そっと瞳を伏せた。