第二章:その行方は 第四節

 その言葉の真意を問うことは出来なかった。
「いい加減にしないか!」
 父が二人の間に割って入り、頬を真っ赤に腫らしたルィンを庇った。いろいろなショックが完全に引いたわけではないようだが、果敢に時雨に挑む。
 父の大きな背中を、しかし頼もしいとは感じなかった。父は知らないだけだ。ルィンが全面的に悪いことを。自分が庇われる必要はこれっぽっちもない。
「ルーレンシアの言ってた冒険者は君か? だとしたら随分、話と違うようだが」
「何を聞いたのか知らないけど、普段とどこも違わないわ」
 挑戦的に返す時雨。ノクスは完全に傍観者、リュミエは面白く思っていないのは確かだが、特に口を出す様子はない。慌てているのはルィンだけのようだ。
「話を聞いて! 時雨は悪くないんだってば!」
 叫べど、誰も聞いてくれない。
「とにかく、私はパーティを解散するつもりはない。帰るわよ、ルィン」
「君みたいな人間に大事な娘を預けられるわけないだろう」
 ルィンを力強く抱く腕。
「お偉い貴族様は何でも自分の思い通りになると勘違いしてるようね。私はルィンに言ってるのよ。決めるのは彼女でしょう」
 二人の視線がぶつかり、火花がバチバチと散っている様が目に浮かぶ。相手が誰であっても物怖じしない性格は貴重だが――この場合はただ物事を拗れさせるだけだった。
 そもそも、時雨が報酬を受け取らないのなら自分が家に帰ってきた意味はない。それなら時雨と一緒に行きたい。父には悪いが、ルィンにとって時雨の比重があまりに大きくなっていることは事実だ。
 また抜け出す? あの時は不意をつけたから簡単に家を出られたが、今はそうもいかないだろう。
(あぁもう! 時雨ってばどうしちゃったの?)
 いつもだったら、オイシイ話にはすぐ飛びつくのに。こんなにごねたことは――しかも金を受け取らないということで――今まで一度もない。
「ちょっと秋永時雨! 偉そうに何言ってんのよ!」
 口を開いたのは、意外にもリュミエだった。ついに我慢できなくなった、とでも言いたげな顔だ。ノクスも驚いた様子で傍らの相方を見ている。
 誰もが予想していなかった声に、一瞬だけぽかんとした空気が流れる。
「何よ派手魔術師。引っ込んでなさい」
「あんたがそんなだと冒険者全体の印象が悪くなるでしょ。私達を含めて冒険者が築いてきた信頼を粉々にする気?」
「どうせ冒険者が居なきゃ手に入らない珍品だってあるのよ。何か欲しかったら冒険者に依頼せざるを得ないわけ。その際私を名指しで除外するとか、せいぜいその程度でしょ」
 ふん、と鼻を鳴らす。
「時雨……機嫌悪すぎ」
 思わずルィンが漏らした呟き。耳聡く聞きつけた時雨が「誰のせいだと思ってんのよ!」と責め立てた。
「だいたいねぇ、フスーカ・ディーズィル!」
 ついに呼び捨てにまで発展した時雨の暴言。
「あんたはこれの値段でも相談してりゃ良いのよ!」
 喚き散らして、ノクスの腰に下げてあった『狂皇帝の剣』をがしっと掴んだ。
 ――ざわり。
 その瞬間。
 ルィンの背中を走る闇色の悪寒。あのとき遺跡で感じた、あの危険な気配だった。
「やば、忘れてたっ! 時雨!」
 頭を抱えて思いっきり自己嫌悪に浸りたい気分だが、そんな状況じゃない。しかし、もう遅かった。
「な、何!?」
 そう叫んだのは誰だったのか。視認出来るまでに膨れ上がった闇は部屋中を駆け巡り、ある一点……時雨へと向かっていく。
「何よこいつ、ちょっと……!」
 刀を振り回しても、それにまとわりつく。
(やっぱり、潜んでたんだ!)
 まるで生きているかのような――そうだ、意思を持った剣と呼ばれる所以は、これなのだ。今では考えられないことだが、高密度高純度の魔力が自律し、意思を持って人々を破滅へと導いたのだ。
「時雨ぇ!」
 叫びはどこまでも悲痛で、しかし本当に届けたい人には届かない。駆け回る闇は接近を許さず、時雨を周囲から隔離する。どす黒く染まる空間に取り残された時雨の声がルィンを呼んでいた。
「説明しなさいルィン! 今すぐ一秒で!」
 苛立ってる顔が浮かぶ。助けを呼ばないところが時雨らしいといえば時雨らしいが――
 今すぐにでもあの闇に飛び込んで、時雨を助けたい。けれど父の腕が、意思持つ闇が、ルィンを阻む。
 ただ相方の名を叫んで、喚いて――闇が収まるまでにルィンに出来たのは、たったそれだけのことだった。「出来た」などというのもおこがましい。結局役立たずだ。
「どうなった……の?」
 呆然としているのはリュミエ。普段通りの部屋が必要以上に明るく感じられた。
 時雨はだらりと力なく立ったまま微動だにしない。
 闇が引いた後にやって来たのは、痛いほどの静寂。
「時雨、大丈夫? 時雨!」
 父の腕を振り払って、時雨を覗き込んだ。黒曜石の瞳がルィンを捉える。
「私は平気よ。心配してくれて有難う、ルィン」
 にっこりと慈愛の微笑を返されて……ルィンは反射的に飛び退こうとした。
 ――時雨はそんなこと言わない!
「むしろ爽快ね」
 そんなルィンに追いすがるのは、妖しく煌く刀。なんの躊躇もなく振られた刀は正確にルィンをとらえ――鮮血を撒き散らす。
 何が起こったのか分からなくて……自分を見下ろす。腹部から止め処なく流れ出ている赤。
 ――これは何?
 疑問が言葉になることはなかった。
 代わりに溢れたのは、大量の血。ごぼり、と変な音が頭に響いた。
 体が傾き、視界がぶれる。絨毯が発するはずのない、湿った音の中に倒れこんだ。
「しぐ、れ?」
 それは、相方を繋ぎとめておくには余りに掠れた呟きで。
「ルーレンシア!」「ルィン!」
 駆け寄る父とリュミエの顔が曖昧に溶けている。剣を手にするノクスの動きも、なんだか現実味に欠けた。
 最後に見上げた時雨の顔は醜い笑みで歪んでいた。



「うぅ……?」
 ルィンが目覚めたとき、周囲は静かだった。ベッドに寝かされているようで、ふかふかの布団が肌を撫でる。一年前に飛び出した自分の部屋だ。何も変わってない。
 起き上がろうとして――視界が暗くなる。「うげっ」潰れた声を出して断念する。酷い貧血のようだ。
 傷口に触ると、かっちりと包帯が巻かれていた。治療は恐らく父がやってくれたのだろう。ああ見えて一流の神聖魔術使いだ。あとはルィンの治癒力次第、というところか。
「誰か居ない?」
 扉に向かって呼びかける。すぐにメイドが入ってきた。ルィンと目が合うと、ぽたぽたと涙を流し始めて、
「ああ、良かった……お目覚めになられたのですね」
 口元に手を当てて喜びの嗚咽を漏らしている。ルィンがまだ屋敷に居たころ、母親代わりとしてよく面倒を見てくれたエテスだった。彼女はもうひとりのメイドに「ベンナード様にお知らせしてきなさい」と命ずる。
「ごめん、心配かけて」
「いえ、お元気ならそれで良いんです。本当にもうダメかと……あの冒険者にやられた者は私も含めて皆、自分の不甲斐なさを痛感させられました」
「勝てる方がおかしいから気にしないで」
 むしろ本当にごめん、と心で謝罪する。
「それでどうなったの? あの……時雨は?」
 エテスの顔が曇る。「それは……」あまり芳しい状況ではないようだ。
「姉さん、目が覚めたって!?」
 エテスの言葉を遮って飛び込んできたのは、二つ離れた弟のベンナードだった。肩を上下させて、大きな瞳でルィンを見つめている。
「よかった。帰ってきたらみんな倒れてるから、ていうか姉さん血だらけだし、冒険者が争ってるしでもう、ワケ分かんない状況で……本当に、心臓止まるかと思った。怖かったよ」
 しゃがみ込んで大きく息を吐いた。
 怖かった、などと簡単に片付けられるような衝撃ではなかっただろう。相当なショックを受けたはずだ。顔は青く、唇も色が悪い。少し震えている肩にルィンの心が痛む。
 それでも気丈に「とにかく無事でよかった。そしてお帰りなさい」微笑んだ。今は亡き母親譲りの鳶色の瞳が和らぐ。
 ――やはりこの子は、良い子だ。
 神聖魔術も申し分なく、きっと人々から慕われる司祭になれる。ディーズィル家を立派に継ぐことが出来るだろう。ルィンは姉として純粋に嬉しく思う。
「少しご姉弟でお話されてはいかがですか? もちろん、ルーレンシア様のお体が大丈夫なら、ですが」
 エテスの提案に「私は平気。ベニー見てたら元気になったよ」頷いた。エテスが退室すると、ベンナードがベッド脇に近寄る。腰掛けたと同時にベッドが軋んだ。
 久しぶりに見る弟は、幾分大人びたようだった。
「背、伸びたね」
「姉さんより頭二つ分は大きいかもね」
 少しぎこちない。昔のように話すには、まだ少しだけ時間が必要のようだ。
「お父様は?」
「物凄い剣幕で出かけていったよ。多分あの冒険者について何かする気だと思うけど」
「ねぇ、そこが知りたいんだけどさ! 今どうなってるの? 時雨は? ノクスさんたちは?」
 掴みかかる勢いのルィンをやんわり押し戻すと、ベンナードは状況を語り始める。
「僕が来たときは、ほとんど終わっていたんだけどね」
 そう前置きされた弟の話は、ルィンにわずかの希望と大きな絶望を運んだ。
 まず、時雨は無事だということ。ノクスとリュミエに傷を負わされたものの、致命傷には至らなかったそうだ。
 逆に二人の方が大怪我だったらしいが、それも父が治したということだ。
「黒髪の人、急に苦しみだしたんだ。それがなかったら危なかったよ」
「――魔力が強すぎるんだ……時雨ってまったく魔力がなくて、耐性がないから。かなりの負担になってるはず。多分、あのまま力を使い続けたら時雨の体がもたないよ」
 そして訪れるのは、死、だ。幾人もの人物をその魔力で喰らい尽くし破滅させた邪悪なる意思。時雨をそんな害悪に晒し続けているのかと思うと涙が込み上げてくる。
 共に表情を暗くする。
 そして悪いことに、そんな時雨への討伐令が下されるそうだ。父が魔物顔負けの形相で斡旋所に駆け込みに行ったらしい。このまま放っておけば国が動いてもおかしくない騒ぎに発展するかもしれない。出来れば、いや確実にその前に……何とかしなければ。
「ねぇ、時雨はどこに行ったのかな?」
「姉さんなら魔力の跡を辿れば……」
 言いかけて、ベンナードは厳しい目つきになる。
「行かせないよ。絶対認めないからね」
 頑なな表情でルィンの腕を掴んだ。強い意思の瞳に一瞬だけたじろぐ。
「お父様だけが、姉さんの心配をしたと思ってる? 僕だって物凄く不安だったんだから。姉さんの訃報が届いたらどうしようって……この一年、そればっかり」
「それは悪かったって思うよ。ごめんね」
 そっと頭を撫でてやる。柔らかな金髪が手のひらをくすぐった。
「でも、やっぱりあたしは……」
「僕のためだって言うのなら、大きな間違いだからね!」
 怒りを含めた声音。
 滅多に声を荒げることのない弟が、睨みつけるかのようにルィンを見つめていた。