第二章:その行方は 第三節

 久しぶりの我が家は、とてつもなく大きく見えた。家を飛び出した一年前と、何も変わっていない。門番も庭師も女中も、一年振りに帰宅したルーレンシア・ディーズィルの姿に驚き慌てふためいていた。弟のベンナードは居ないようで、出てくる気配はない。少しほっとした。仲が悪いわけじゃない。けれど、弟に会うのは何となく気まずかった。
「あの……ルーレンシアお嬢様でいらっしゃいます、よね……?」
「そ、ただいま」
 おずおずと確認を求める使用人たちに微笑みかけながら、父の部屋を訪れる。
 装飾の施された扉。神聖魔術の紋様だ。中央には家紋が彫られている。
 ノックをして、返事も待たずに扉を開けた。
 執務机から顔を上げた父と、即座に視線がぶつかった。驚きに見開かれる瞳。固まる父に向かって一言、
「……ただいま」
 バツが悪そうに告げた。
「おおおおお! ルーレンシアではないか!」
 驚愕から復活した父が立ち上がり、素晴らしい速度でルィンを抱きしめにきた。
「ちょっと、苦し……お父様落ちつ」
「お前の『冒険者になる』という書置きを見たときは、卒倒するかと思ったぞ!」
 ルィンの肩を掴み、揺さぶる父の表情は涙を流しかねないほど――いろいろな感情が交じり合って――歪んでいた。特に怒りと喜びが絶妙なバランスで存在しているようだ。
 まず怒声が飛んでくるかと考えていたが、思いのほか心配されていたようで、ますます申し訳なさが込み上げてくる。
「まぁ、何も言わずに出て行ったのは悪かったかなーってちょっとだけ反省してるけど……相談したら絶対反対したでしょ」
「当たり前だ! 冒険者なんて危険な仕事を、大切な大切な忘れ形見にさせるわけないだろう。この一年、最悪の事態まで想像して胃に穴が空いたくらいだ」
 とても穴が空いた人間の体型とは思えない父の台詞に「悪かったって。もう勝手に出てったりしないよ」適当に返しつつ、メインの話題に持っていく。
「ところでさ、あたしの捜索願出してたでしょ? あの報酬ってまだ有効だよね?」
「あ、あぁ……でもお前、ひとりで帰ってきたじゃないか」
 首を傾げる父に「実はひとりじゃないんだなー」と笑う。恐らく、もう少ししたら時雨も到着するだろう。まだ怒っているだろうけど、金貨で多少は和らぐ、と思う。
「秋永時雨っていう冒険者で――」
 言いかけたところで、ノックが響く。続いて遠慮がちなメイドの声。
「あの、旦那様……冒険者の方がお見えなんですが」
「あ、通しちゃって!」
 父に代わってルィンが答えた。「その冒険者か?」父の確認に頷く。「多分そう。時雨の足ならもう着く頃だと思うし」
 ふむ、と父が呟く。
「客間にお通ししなさい。失礼のないように」
 指示に、メイドが慌しく去っていく足音が聞こえてきた。
「うーんと報酬弾んでよね? 時雨がいなかったらあたし、とっくに死んでたよ」
 ルィンの言葉に父が青ざめる。
「ルーレンシア。お前の命に値段など付けられないが、できる限りの報酬を出そう」
 こういう時の父は信頼できる。もし報酬を誤魔化したなどと噂が広まれば、今後の依頼に大きな支障が出るからだ。
「さて、ルーレンシアも来るか?」
 少し迷う。あんな風に別れた手前、どんな顔で会えばいいのか。
 自分を見たら怒り爆発で手が付けられなくなるかもしれない。しかし、これも時雨と会う最後の機会だ。ここで会わなかったら後悔する。時雨に怒られるのも怖いけど、喧嘩別れで終わるのは嫌だった。
「行く」
 きちんと話して納得してもらおう。ルィンは緊張と共に客間へ向かった。



  しかし――ルィンの予想に反して、待ち構えていたのは時雨ではなかった。
「ノクスさんとリュミエさんじゃないですか!」
「あら……遺跡のときの。ルィンだったわよね」
 ソファに座っていたのは、忘れもしない二人組み。「どうして……」問いかけようとして、思い至る。
(そうだ、あれってお父さんの依頼だったんだ……)
 つまり二人は、狂皇帝の剣を届けに来たのだろう。ノクスの腰にはまだあの剣が下がっている。もうとっくに渡したのかと思っていた。
「――あなたもしかして、ルーレンシア・ディーズィルだったの?」
 リュミエがハッと気づいたように声を上げる。「えーと、まぁ……」頷くと、
「ああもう、そうと分かってれば!」
 自らの失態を悔いるように頭をかいた。「全っ然似てないじゃないあれ!」
 痛いところを突いてくる。例の貼り紙は誰が見ても明らかなほど別人。
 まあ、そのお陰で一年も冒険者をしていられたわけなのだから、感謝すべきなのだろう。
「ルーレンシア、この方々か?」
 遅れて部屋に入ってきた父の言葉に小さく否定を返した。
 落胆が胸を満たしていく。妙にショックだった。追いかけられない鬼ごっこほどつまらないものはない。
 時雨の足ならもう到着してもいい頃なんだが……完全に見捨てられたのか。いや、そんなことは無いはずだ。いくら怒っていても、時雨がみすみす大金を逃すはずはない。なんらかのアクションは起こす、絶対に。
 もし本当に来なかったら――せめて宿のツケだけでも支払おう。
「初めまして、フスーカ・ディーズィル様。冒険者のリュミエと申します」
「同じく冒険者の、ノクスです」
 ソファから立ち上がった二人は、優雅に一礼する。普段から貴族を相手にしているのか、遺跡の行動からは想像できない洗練された動きだった。
「本日はご依頼の『狂皇帝の剣』をお持ちしました」
 リュミエはにっこりと微笑み、ノクスを促す。父も狂皇帝と聞いて目の色を変えた。コレクターとして有名な父は、珍しい品には本当に目がない。珍品を前にするとすぐ興味を移してしまうから、困ったものだ。
 恐らくルィンの報酬の件は、今この瞬間に彼方へと飛んでいった。後々思い出してはくれるだろうけど。
「おお、そうか! そっちの話だったか。よくやってくれたな。君たちの話は聞いたことがあるよ。優秀な冒険者だと」
(あ、本当に有名な冒険者なんだ)
 父の言葉に目を丸くする。もしかしたら時雨も実際は知っていたのかもしれない。それでもあえて喧嘩を売る時雨は、やっぱり子どもなんだなぁと再確認した気分だ。
「実力のある冒険者がやってくれて助かったよ」
 父は上機嫌だ。
 時雨の名前は知らなかったくせに、と思うと少し悔しい。
 ルィンは一歩下がって観察する。あの嫌な気配はやはり感じられない。――いや、かすかだが何か感じる? 神経をざわりと撫でる、ざらざらとした魔力の流れを。
 もっと神経を集中させようとしたとき、悲鳴と怒声が階下から聞こえてきた。部屋の者全員が、困惑と不審を浮かべる。
「何事だ?」
 父が呟いたのと同時だった。客間の扉が勢いよく開かれ、抜刀状態の時雨が現れたのは。俯いて、肩で息をしている。
 垂れ下がった腕に握られた刀に血はついていない。とりあえずそれだけ確認して、ルィンは胸を撫で下ろした。
 その腰にはメイドが必死に縋りついて「だ、ダメです。お引取りください!」と言っていた。しかし、お引取り願うことが不可能なのは、誰の目にも明らか。
 彼女の勇気と度胸と腕力は驚愕に値するが、今はそんなことを気にしてる場合ではなかった。
「時雨……えっと……?」
 予想外の登場の仕方と、余りの邪悪さにかける言葉が見つからない。
 父もリュミエもノクスも、その迫力に身を引いている。
「お、遅いから心配しちゃったー。あははは」
「……あの程度で私を振り切ったつもり……?」
 鈍く刀が光る。ルィンの頬が引きつった。
 なおも叫ぶメイドを引っぺがし。
「ふふ、どいつもこいつもなめた真似してくれるじゃないの」
 声は太陽さえも凍る冷たさを宿していた。
 ゆぅら、と頭を上げる。獲物を狙う爬虫類の獰猛さを思わせた。目が完全に据わっている。毒沼に咲く花だってもっと淑やかだろう。
「ちょっと、何よあのバカ女。頭のネジ飛んでっちゃったんじゃないの!?」
 リュミエが叫び、
「かなり怒ってるみたいだが……何かしたのか?」
 こんな切迫した空気の中、ノクスがのんびりと問いを投げかけた。父も唸っている。
「あのー、ほら。報酬! 報酬すっごい貰える……よ? 機嫌直して、ね?!」
 この騒ぎに誰もかけつけないのを見ると、あらかた時雨に沈黙させられたのだろう。時雨の強さに傍観を決め込んでる者も居るかもしれない。それが賢明だ。
(誰も死んでないだろうけど、悪いことしたなぁ)
 しかし、今は自分の命の心配をしないといけない状況だ。そしてもうひとつ気を配らねばならないことがあることを、ルィンは忘れてしまっていた。
「ルィン。あんたねぇ……」
 わなわなと震える時雨が、ついに動き出した。まっすぐルィンだけを睨みつけて。
「私を何だと思ってるのよ!」
 跳躍。一瞬にして間合いが詰められる。ひっ、と息を呑んだときには既に遅かった。破裂音にも似た甲高い音が室内を震わす。
「ルーレンシア!」
 父の慌てた声。
 頬を叩かれたのだと理解するのに、時間はかからなかった。じわりと熱と痛みが広がっていく。呆然とした瞳で元相方を見返した。
「しぐ」反対側にもう一発。
「し」頭にゲンコツを喰らってフィニッシュ。
「いったぁあぁ……!」
 ぼたぼたと涙を零す。耐え切れず地面に頽れた。
 時雨は「当たり前でしょ、かなり本気で殴ったんだから」と冷たく言い放った。
「ルーレンシア、大丈夫か!?」
「うん、慣れてる……」
 力なく頷くルィン。さすがに痛かったが、斬られると覚悟してたせいか、たいした衝撃ではなかった。
「フスーカ・ディーズィル様? ちょっと黙ってて」
 ルィンの肩を抱く腕を大胆に払いのけ、そのまま小さな胸倉を掴んで自分へと顔を向けさせた。
「受けてもいない仕事で報酬を貰うわけないでしょ。あんたの思う私は、冒険者として最低限の振る舞いも出来ないバカだったの? 大金のためならプライドも捨てる女だったの? 本当はさっさと離れたかった!?」
 時雨は厳しい口調でまくし立てた。
 見下ろしてくる瞳はどこまでも暗い。
「そんなこと……!」
 反論は許されず、時雨は自嘲気味に笑った。
「最強の名も名声も、邪魔ばかり……結局誰も寄り付かない。私の相手はそんなに面倒?」
 自虐的な呟きを聞き取れたのは、間近に居たルィンだけだっただろう。