第二章:その行方は 第二節

 去っていく相方の気配を感じて、時雨は息を吐いた。ぶつける相手を失った怒りは急速に冷めていく。
「王都、ねぇ……」
 静かな口調で呟く。銅貨を拾い上げて自分の財布にしまった。恐らくルィンは、たかが銅貨一枚、なんて思ってるだろう。あの子の金銭感覚は――多少マシになってきたとはいえ――やはり自分のような最底辺の人間とは違うのだ。
 ルィンが突然王都へ行くなどと言った理由は、あの思いつめた顔を見ていればすぐに察しがつく。
 時雨が知らないと思っているのだろうか。だとしたら相当にお気楽な娘だ。
「本っ当、バカなんだから」
 沸々と怒りが湧いてくる。全てなかったことにする気なのか、あいつは。
 知っていて一緒に居たのだ。
 まぁ、最初は「知っていたからこそ」一緒に冒険してやったのだが……それでも今は、相方と思って行動している。
 そのことを分からせてやらないと気が済まない。
 不思議と「自分と居るのが嫌になったから」という理由は浮かんでこなかった。この一年で随分自意識過剰になったものだと、我ながら苦笑を禁じえない。
 しかし、昔の自分に――孤高の冒険者に――戻るだけだと、そんな風には割り切れない何かがある。自意識過剰になっただけでなく、寂しさまで覚えるようになったのか。今まで寂しいなどと感じたことなんて無かったのに、随分と精神的に弱くなった。
 けれどそれは、決して不愉快な感覚ではなく――。
「まったく、ふざけた真似をして」
 手早く荷物をまとめると、ルィンの後を追うべく宿を出た。



「あ、時雨! よく分かったね」
 馬車の乗り合い所。
 御者のおじさんと話をしていると、見慣れた黄色の着物が近づいてきた。足取りを見るに、機嫌はちょっと傾いているけど致命的じゃない。普通に会話できる程度の悪さみたいだ。
 少し安心する。
「じゃあ、宜しくお願いします」
 こそっと耳打ちすると、御者は握り締めた金貨を、さっとポケットにしまう。そして「ええ、もちろんですとも」と上機嫌に頷いた。
「この人がね、お代は後でいいから王都まで乗せてってくれるって!」
 ニコニコと笑っている御者を示す。
「へぇ……」
 疑り深いまなざしで、じろじろと御者を睨みつける。明らかに納得していないが「ほらほら、早く行こ!」いろいろ突っ込まれる前に、時雨を馬車へ押し込んだ。
 すぐさま出発する。馬の鳴き声と、車輪が地面を蹴る音が伝わってきた。
「えーっと、時雨……その……」
 沈黙する相方に、視線を送る。さて、なんて言って宥めよう?
 しかし時雨は、ルィンの予想に反して静かな声で言う。
「こうなったら仕方ないわ。王都で一発逆転の大仕事見つけて、がっつり報酬貰うわよ!」
 なんだか、背後にごぅっと燃え盛る炎が見える。そんな時雨の様子に、自然と笑みが浮かんだ。
「うん。きっといい仕事があるよ」
 金貨が大量に転がり込んでくるような、そんな仕事が。時雨はやはり、ルィンのことを知らないのだろうか? 知っていても、結びついていないのかもしれない。
(誰が書いたのか知らないけど、傑作だったなぁ……)
 思い出して、無意識に吹き出してしまった。
「ちょっとルィン、なにひとりで笑ってんの? 怖いわよ」
 怪訝そうな顔。「ううん、何でもないよ」言って、窓の向こうで流れる景色に視線を移す。
 今のルィンにとっては、じれったい程の速度で進む馬車。
 しかし、こうしてぼーっとしていると、早く王都に着けばいいのに、という思いと、ずっと時雨と馬車に乗っていたい、という願望が交互に顔を出す。
 けれどもう決めたのだ。今更修正はきかない。
 杖を強く抱いて。ルィンは唇をかみ締めた。
 ――景色を見ていたルィンは、気づかない。
 時雨が、荷物から取り出した色褪せた紙をぐしゃっと潰したことに。



 真昼間の王都は、賑やかなどという生易しい言葉では表現しきれなかった。人がごった返している。ソフラやケナとは比較にならない。
 ルィンが御者に頭を下げると、時雨が「で、金はいつ払うわけ?」尋ねてきた。
「えっと……後で」
 実はもう払ってるとは言えない。パーティの財布を握っているのは時雨だが、それとは別に、ルィンも少しだけ貯金があるのだ。それを教えたことはないし、教えるつもりもなかった。突っ込まれたら困るから。
「ふぅん。後で、ねぇ」
 胡散臭げに呟く。
「後でっていつ? おじさん」
「いや、えー……ご用意が出来ましたら」
 時雨は黙って御者を見つめている。御者の額に汗が浮かび、やがて、
「じゃ、じゃあ、私は仕事があるんで、失礼します」
 時雨の雰囲気に気圧されたようで、御者はそそくさと去っていった。ルィンはほっと胸を撫で下ろす。これ以上追及されたらボロが出ていたかもしれない。
「よし、あたし達も行こう?」
 時雨の腕を取る――が、すぐに振りほどかれた。それも激しく。
「どこへ行こうって言うの? 斡旋所?」
 鋭い眼光がルィンを見据える。
「そ、そうだよ」
「そう……それなら、あんたが今行こうとしたのとは反対方向よ」
 ルィンは詰まる。
「そういえば、初めて会ったのはここの斡旋所だったわね。もう一年前だし、あれから一度も来てないんだから場所なんて覚えてないわよね」
 時雨が、妙に優しい口調で語りかけてくる。ルィンは別の意味で寒気を覚えながら、首を振ってしまった。頷いておくべきだっただろうか。でも、時雨と出会った場所を忘れるはずがない。
 あれほど不安を抱いた日はない。
 初めて訪れた斡旋所の前で緊張に震えながら、冒険者としての一歩を踏み出したのだ。



『ここが斡旋所かぁ』
 思ったよりも綺麗な外観に安心する。それでも入る勇気が出ず少し離れたところから冒険者が出入りする様子を眺めていた。
 今まで夢の中の存在でしかなかった、冒険者。それが目の前に居る。そして自分も、その世界に片足を突っ込もうとしているのだ。
(あたし、ちゃんと冒険者に見えるかな?)
 極力動きやすそうな服装を選んできたつもりだが、改めて見ると杖だけ浮いているような気がしないでもない。そしてこの服装からは防御という観点が著しく欠けている。
(まあ、仕方ないよね……なかったんだし)
 ゴツゴツする杖を握り締め、ルィンは店のドアをくぐった。熱気が体を包み込む。
 狭くはないが、人が大勢居てぎゅうぎゅうだ。しかもかさばる武器や防具を身に着けているものだから、密度以上の狭苦しさを感じた。
『すご……』
 思わず感嘆の言葉を漏らす。まずは何をしていいのか……仕事を貰うにしても、方法がイマイチ分からない。誰かに訊こうかと思ったが、予想以上に男ばかり。異性は苦手だった。
(女の人は居ないのかなぁ)
 きょろきょろと視線を彷徨わす。居ないわけではない。しかし、ほとんどが仲間同士で盛り上がっているようで、割って入りにくい。
(うー……)
 もう男とか女とか言ってる場合じゃないな、と手近に居た剣士風の男に声をかけてみる。
『あのぅ、すみません……お仕事ってどうやったら貰えるんですか?』
 男は金を数える手を止めて、ルィンを見下ろす。街中ですれ違っても気にならない容貌だが、「冒険者」として見ると変な威圧感を覚えてしまう。
『お嬢ちゃん、冒険者にとって何が一番大切かわかるか?』
 しかし男はルィンの質問に答えず、ぽん、と頭に手を置いてきて、
『自分の力量を見極めるこった。あと五年したら出直してきな』
 言葉を失う。男が何を思って言ったのかは分からないが、ルィンに実力がないのは事実だ。瞬時に見透かされて、杖を握り締める。
 うなだれるルィンに、『この辺りだとだいたいパーティも定まってきてるしな……お嬢ちゃんみたいな新人の入る余地はねぇよ』男がさらに追い討ちをかけた。
 俯いた視線の先には、履きなれない新品の靴。少しも汚れていないそれが、少しだけ忌々しい。
 ルィンがつま先を無言で見詰めていると、突如どよめきが起こる。顔を上げると、入口に見たことのない黄色の服を着た女性が立っていた。肩に大きな袋を担いでいる。
『秋永時雨。名前くらい聞いたことあんだろ?』
 男が囁く。
 ――ごめん、知らない。
 冒険者の間では有名人らしいが、体つきは華奢で、どちらかというと弱々しい。あんなに大きなものを担いで平然としているのが信じられないくらいだ。
『あれは……何ですか?』
 時雨が歩を進めるごとに、人が遠ざかっていく。ルィンは見送りながら、袋を示した。
『聞いた話だと、トロールの爪だって言うぜ。一人でトロールを相手にするなんざ、正気の沙汰とは思えねぇ』
 トロールは残忍な魔物だと聞いたことがある。洞窟などの暗い場所で、数匹で暮らしているそうだ。実物はもちろん見たことないが、ひとりで戦うのは無謀だというのは、ルィンでも知識として理解できた。
 しかし、ルィンはそんなことよりももっと重大な事実を耳にした気がした。
『あの人、ひとりで冒険してるんですか!?』
『あ、あぁ……いやいやいや、止めておけ、あいつは。おっかねぇぞ』
 ルィンの言わんとしていることを察したようで、首を振った。
 しかしさらっと聞き流して、カウンターで話している時雨へと向かう。袋からはみ出ている爪の先に怯えながら、話かけるタイミングを見計らう。
『すいません、秋永時雨さん!』
 話し終えた、と思った次の瞬間には、人生で最大の素早さを発揮して話しかけていた。思わぬ事態に周囲の注目が集まる。時雨はといえば、不審そうにルィンを睨んでいた。
 鋭い目つきに怯んだが、もう後には引けない。深呼吸ひとつ。
『あたし、ルィン・ノージャといいます。まだ仕事とかしたことなくて、良かったらあたしと一緒に冒険に行ってくれませんか?』
 周りで聞いていた冒険者たちが唖然とする気配が伝わってきた。
 これが、ひとりでトロールを相手にするのと同じくらい無謀な申し出だったということは、後々に時雨の評判を聞いて実感した。今まで誰ともパーティを組んだことのない、孤高の冒険者。傍若無人でワガママで自分勝手で、利害の一致しない相手にはとことん冷たい。
 それに、断られるどころか無視されて当然の力量差もある。
 ルィンが受け入れられるはずもなかったのだが、それでも時雨は、頷いたのだ。それは誰もが予想だにしなかった返答だった。
『――別にいいけど?』
 相変わらず、無愛想な顔だったが。


「……今思えば、かなり厚かましいお願いだったよね」
 あはは、と力なく頬をかくルィン。
「そうね。あんたがあまりに初心者丸出しだったから、思わず頷いちゃったけど」
 冗談とも本気ともつかない声音。ルィンは相変わらずの態度に苦笑する。無愛想で、怒りっぽくて、変なところで子どもで、お金にうるさくて……でも、実は優しさに溢れている。
 そんな時雨だからこそ。
「ねぇ、『狂皇帝の剣』には負けるかもしれないけど、借金をチャラに出来るだけの仕事を知ってるよ」
 誰よりも強く在ってほしい。誰にも馬鹿にされず、誰もが畏怖する秋永時雨で居てほしい。
 それは自分と出会う前の秋永時雨にほかならない。
 孤高の気高い冒険者、秋永時雨。あんな風に馬鹿にされることについて、時雨は本当に何とも思っていないのかもしれない。有名になるということは、それだけ心無い中傷も増えるということだ。
 それでも、ルィンにとっては大きな屈辱だった。
 誰よりも優しくて強い時雨が、あんな男達に馬鹿にされることに我慢ならなかった。
 時雨は、あんなその他大勢に馬鹿にされて良い存在じゃない。
「それも、すっごく簡単。やってみない?」
「ぜひともお聞かせ願いたいわね。――ルーレンシア・ディーズィル?」
 声はどこまでも冷えていた。
 試すような視線に、ルィンは固まる。
 しかし、驚きはさほどない――やはり知っていたのか、という無感動な感想だけが浮かんできた。
「知ってたんだね」
 一歩後ずさる。それだけで、何万という隔たりが出来てしまった気さえした。
 ルーレンシア・ディーズィル。
 神聖魔術の使い手であるディーズィル家の、長女。
 それが、ルィンの本当の姿だった。
「そりゃあ、あれだけ貼り紙出されたらね。似顔絵があまりにも似てなくて、少し迷ったけど」
「そっか、ずっと知ってたのか。そっかぁ……」
 うわごとのように繰り返すルィンの胸に、一抹の寂しさがあった。時雨がずっと付き合っていたのはルィン・ノージャという冒険者ではなく、ルーレンシア・ディーズィルという貴族の娘だったのだから。
 もし『狂皇帝の剣』を得ていたら、時雨はどうする気だったのだろうか。剣と一緒に、ルィンのことも売るつもりだったのか、といらぬ疑心が浮かぶ。真意を確かめるのが怖い。怖いということはつまり、時雨のことを信じきれていないわけで、そんな自分に対する自己嫌悪の波が押し寄せてきた。
「ルィン、あんた――」
「なら、話は早いよね。今まで迷惑かけたお詫びっていうことで」
 時雨の言葉を遮って。
 言うや否や、ルィンは背を向けて走り出す。永訣を意味する決別。ルーレンシアに戻れば、時雨と会う機会はなくなるだろう。しかし、仕方のないことだ。
 ――今は何も考えず、実家を目指そう。
「待ちなさい! まだ話は終わってないわよ!」
 怒りを含んだ叫び。あれは結構本気で怒ってるときの声だ。普段なら止まっているが、今回ばかりは言うことを聞いていられない。
 迷惑そうに表情をゆがめる人々を無理に押しのけて、走る。
 追ってくる気配がするが、この人込みだ。そうそう追いつかれはしないだろう。小柄なルィンを見失わないようにするのは至難のワザだ。もっとも、目的地は分かっているのだから、先回りされる可能性だってある。
 さっと視線を滑らせて、辻馬車を探す。丁度いい具合に、ひとつ見つけた。
「すいません、ディーズィル家の屋敷までお願いします! すっっごく急いで!」
 飛び乗って、御者に行き先を告げた。ルィンの勢いに押された御者はすぐさま馬に鞭をいれる。ちらっと後ろを振り返ると、独特の黒い髪が遠くの方でまごついているのが見えた。