第二章:その行方は 第一節

 ルィンと時雨は、拠点とするソフラではなくサーイン跡から歩いて半日以内の町ケナで休息をとっていた。
 今は、賑わう大通りに面した喫茶店に入り、抜け殻のような時雨と面と向かって座っている。
 この町に来るまで、時雨は片手で足りる程度の発言しかしていない。発言といっても、「ああ」とか「そうね」とか、相づち程度のもので、まともな会話は一切なかったと言ってもいいだろう。表情も虚ろで、完全にやる気を失っている。こんな時雨を見るのは初めてかもしれない。
(うーわー……気まず)
 その主な原因が自分にあるのだから、さらに空気が重たく感じられてしまう。
「し、時雨。せっかくだし何か食べる? 携帯食料も飽きちゃったしね!」
 ルィンは簡素なメニューを手にとって、不自然なまでに明るい声で時雨に尋ねた。机に突っ伏した時雨は微動だにせず、
「いらない……お金ないし……」
 ぼそりと呟いたきり沈黙してしまった。その声があまりにだるそうで、ルィンの額に汗が浮かぶ。――やばい、やばいよこれは。相当きてるよ。
 怒りの矛すらも折れてしまったようで、もう完全に無気力だ。
「ああああのさ、借金なんてゆっくり返せばいいんだし、まずは簡単な仕事からしていこうよ、ね? ケナにだって仕事はあるよ!」
「……あんたはいいわよね気楽で能天気で……」
 盛大なため息に、吹き飛ばされそうな錯覚に陥る。
「……ルィン。ちゃんと説明しなさい。あの剣、あんたにはどう見えたわけ」
 黙り込んで自分の手を見つめていると、時雨がここ数日で初めてまともな言葉を投げてきた。ルィンは顔を上げて時雨を見る。相変わらず突っ伏したままだったが、視線だけはルィンに向いていた。その黒い瞳が叫んでいる。
 ――くだらない理由だったらぶっ飛ばす――と。
「どう見えたっていうかね……」
 さっきまでとは違う汗をかきながら、説明する。
「剣の周りに魔力が漂ってたんだ。それもただの魔力じゃなくて、人間とは反対の……死とか……そういう、暗い負の魔力が」
 時雨は眉をひそめる。明らかに分かっていない表情だが、これ以外に表現のしようがない。
 ルィンは続ける。
「咄嗟に、あれに時雨を近づけちゃいけないって思って。もしかしたら魔力に食べられちゃうかもって……だから、その」
「止めた、と」
 時雨が言葉を引き継いだ。ルィンは頷く。
「でも、現実には何も起こらなかった。これに対する弁解は? 魔術師さん」
「ううん。何か、起こったはずなんだ。あれだけ濃かった魔力が、たかが現代魔術師の疾風をぶつけられたくらいで消えたりしない、絶対に」
 これだけは譲れない主張だ。ルィンと時雨の視線が交差する。
 時雨は長く沈黙し、何度か軽く頷き――
「私はあんたの魔術師としての知識や勘は信頼してんの。そこらのヤツよりずっと、認めてる」
 ルィンは驚きにメニューを取り落とす。
 こうもはっきりと時雨の口から言われたのは初めてだ。じわりと喜びが滲み出てくる。
 ――やっぱり時雨は、自分を信頼してくれている!
「あんたがそう言うなら……そうなのかもね」
 自分を納得させるように呟いてから、「コーヒー、ミルク三つつけて」と落ちたメニューを指差した。



 思ったよりも冷え込んだ夜は、それでも野宿をすると言い張る時雨を宥めて安宿に泊まった。ソフラの主人に借りたお金はこれでほとんどなくなった。
 この宿も、ソフラよりは高いがケナならまだ安い方だろう。時雨はぶーぶー文句を言い続けていたが、やがて飽きたのかすぐにベッドに潜り込んでしまった。何だかんだ言って疲れていたのかもしれない。
 夜も深まり誰もが寝静まった頃、部屋から人が抜け出す気配でルィンは目を覚ました。
「……時雨?」
 上半身を起こして部屋を見回す。窓から細く差し込む月明かりが、無人のベッドをおぼろげに浮かび上がらせる。
 まさか置いていかれたなんてことはない……だろう、多分。
 ルィンは杖を持ち、相方の姿を求めて宿を出た。
 夜の冷たい空気が肌を撫でる。右も左も暗い道が伸び、人っ子ひとりいない。出てきたことを少し後悔したが、そんなことよりも時雨だ。
「これ以上強くなってどうすんの?」が口癖なほどだから、夜遅くに秘密の特訓なんかやるわけがない。どこか店にでも行っているんだろう。
 ケナには夜も賑わう繁華街的なものはないので、恐らく冒険者専用の仕事斡旋所。ここは酒場も兼ねているからあまり気は進まないが行くしかない。
 お化けの出そうな静まった道を、斡旋所目指して歩く。怖いので極力周りは見ない。
「定食屋さんとかだったら、もっと入りやすいんだけどなぁ……」
 ごちる声も風に消されていった。そうしている内にも、賑やかな声の聞こえる斡旋所兼酒場にたどり着く。
 そぉっと扉を開けて、中の様子を窺ってみた。酒に酔った男達が狭い視界いっぱいに飛び込んでくる。しかしこの中に、あのやたらと目立つ着物は見当たらなかった。
 もっと奥に居るのかもしれない。斡旋所のカウンターは奥の方にひっそりとあるから。しかしなかなか入る勇気が湧いてこない。ソフラに居座ってた頃はもっぱらご近所のお手伝い的な感覚で仕事(とも言えないようなもの)を貰っていただけだったから、こういう場所は慣れてないのだ。
 そうやって入口でまごまごしているルィンの耳に、聞き慣れた名前が入ってきた。
「そういやぁ、さっきあの秋永時雨が来てたけどよ」
(……今、時雨って言った!?)
 若干身を乗り出して、今の声を聞き分ける態勢をつくる。野太い、男の声。幸いにして、このうるさい店でもよく通る。
「あんまり大きな声じゃ言えねぇけど、まぁた仕事失敗したみたいだぜ」
 ドキッとする。この前のことがもう伝わっているのか。もしかしたらリュミエが言って回ってるのかもしれない。
 あんまりにも大きな声で言う男に、また別の声が応える。
「ぎゃっははは! マジかよ! 何連続で失敗すりゃ気が済むんだ、あの島国女」
 聞き耳を立てながら、ルィンは唇を噛んだ。
「しかも今回の失敗の原因が、すっ転んだせいだってよ。かの秋永時雨も地に堕ちたってもんだぜ」
 噛んだ唇から血が出た。
「あの歳でもうヤキが回ったか? いや、もしかして若作りしてるだけだったりしてなぁ!」
 額に青筋が浮かぶ。珍しいことだ。
「もう冒険者として終わりなんじゃねぇ?」
 ――ダメだ、もう我慢できない。
「今回のことは時雨のせいじゃない!」
 叩き割る勢いで扉を開けた。
 一瞬だけ、店内がぽかんとした空気に包まれる。しかし本当に、ほんの一瞬だけだった。すぐに喧騒が生まれ、また普通の酒場に戻る。ついでに笑い声も増えた。明らかにルィンに向けられたものも。
「あ、あたしがっ、時雨の邪魔して! 時雨は悪くなくて、今までの失敗全部、あたしが原因で……!」
 力みすぎて、目じりに涙が浮かんでくる。そんなルィンを見て、恐らくウワサをしていた男が歩み寄ってくる。逞しい体つきの、一発殴られただけでも目から星が飛び出しそうな感じの男だ。
「お嬢ちゃん、いきなり何だ? 子どもはお寝んねの頃合だぜ」
 ニヤニヤと気味の悪い笑いを貼り付けた男を、キッと睨み上げる。
「し、時雨への言葉、訂正してください。別に転んだんじゃないです! 時雨のことよく知りもしないで勝手なこと言わないで!」
 普段のルィンからは考えられない早さで捲くし立てる。それでも男は動じない。
「失敗だって連続じゃないです! ちゃんと成功した仕事もあるし、それに失敗だって全部あたしが――!」
 勢いに任せたルィンの言葉はそこで途切れる。
「何言ってるのよ、あんたは」
 奥から、時雨が不機嫌な顔を隠そうともせずに現れたからだ。あまりの険悪オーラに、ルィンたちに無関心だった連中までさっと身を引いて離れていく。ルィンに絡んでいた男は額に汗を浮かべて、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、「じゃあ、そういうことで」とルィンに残していそいそと仲間の輪に戻っていってしまった。
 さっきまでの言葉を面と向かって言う度胸はないらしかった。所詮は陰口を言いあうことしか出来ないのだと、こっそり勝ち誇る。
 時雨の強さは健在だ。
「あの、時雨……」
「帰るわよ。大した仕事もなかったし」
 ルィンを制して、時雨はさっさと店を出て行く。後に残されたルィンは周囲の視線を感じながら、相棒の背中を追った。
「……ごめん」
 それは何に対しての謝罪なのか、自分でもよく分からないまま。
 うなだれるルィンに、時雨はそっけなく言う。
「本当にもう、余計なことをべらべらと……」
 苛立たしそうに顔にかかっている髪を振り払う。
「だって、あたしがダメなだけなのに。あんな風に……」
 着物の袖をそっと握り締める。闇との境界線が曖昧な漆黒の髪を見ていたら、時雨がどこかに行ってしまいそうな気がした。
「あー、はいはい。そんなの分かってるわよ。ていうか、自覚あるなら直しなさいよ、まったく」
 これはつまり、物凄く簡単に翻訳すると「気にするな」ってことなんだろう。
 それでも――ルィンの心に生まれた自己嫌悪はなくなりそうにない。



「時雨、王都に行こう!」
 翌朝、開口一番にルィンは宣言した。珍しく、すっかり準備は出来ている。
 昨日、帰ってからずっと考えていた。自分達に……時雨にお金が入るには、どうすれば良いのか。
 答えは分かりきっている。とても簡単で、確実に金貨が転がり込んでくるような仕事を、ルィンはずっと前から知っている。それをやらないのは、ルィンの単なるワガママだ。しかし、もうワガママを言っていられる時間も終わったんだと、ついに決心を固めた。これ以上時雨に迷惑はかけられないし、自分のせいで周りから悪口を言われるのは耐えられなかった。
「しーぐーれー。起きて起きて!」
 朝日が二人の間を照らす。
 時雨は起きたばかりの目を擦りながら、
「……馬車代は?」
 酷く現実的な問いかけをしてきた。ルィンはどう答えようかとしばし沈黙して、
「つ、ツケで?」
 ようやくひねり出した答えに、時雨ははぁ、と吐息する。半眼でルィンを睨みつけ、
「どぉおおこの誰が! 一介の冒険者を! ツケで馬車に乗せてくれるって言うのかしら? ん?」
 ――どうしよう、物凄く不機嫌だ。
 宿に泊まったのが今更ながらに気に障ったのか、昨日の酒場でのことを怒ってるのか、普段の鬱憤が爆発しただけなのか。どれも有り得そうで、というかその全部が一気に来た感じで、恐ろしい。
「だいたいね、ルィン! そもそもは、あんたがお金を大事にしないからこんな状況になってるわけで! 一万歩譲ってあげて、魔術書買うのは結構だけどぉ……」
 一呼吸置いて、爆音にも似た声が響く。
「費用対効果って言葉を、その足りない脳みそによぉっく叩き込んでおきなさい!」
 いつもに増して怒鳴り散らす時雨に、冷や汗だらだら。
 これはかなり、まずい。
「分かった! うん、よく叩き込んでおく! じゃあ、あたしちょっと出かけてくるから時雨は待ってて!」
 早口に捲くし立てて、まだ何か言いたそうな時雨を置いて部屋を出る。
「ルィン、あんたお金落としてるわよ! 大事にしろって言ってるでしょう!」
 閉じたドアの向こうから、時雨のくぐもった怒声。こそっと財布を見たが、銅貨が一枚減っている。たかが銅貨一枚で、そこまで怒鳴らなくても……しかし、いくら気が立っていても、お金にはきっちり反応するところが時雨らしい。ルィンは苦笑する。
(それは時雨にあげるっ)
 心で返事をして、宿を飛び出した。