第一章:狂える都の跡 第八節

「喰らいなさい!」
 リュミエの『灼然』が発動する。
 前に突き出した両手が魔力を純白の帯び、扉を覆い隠していく。魔力同士の反発が起こり、パチパチと不穏な音を立てながら――
(やっぱり、奇跡だけじゃない)
 魔力のかすかなせめぎ合いを見つめて、ルィンは眉をひそめる。ルィンは魔力の気配には敏感だ。今まで感じたことのない寒さに肩をさする。
 暗黒魔術。ここエルピス王国では失われつつある古の魔術。
(この奥は暗黒魔術で満ちてる……)
 それが、ルィン達を導いている。帝国を破滅へと追いやった『狂皇帝の剣』……果たして、どのような存在なのか。
「お、開きそうだな」
 ノクスが口笛を吹いた。扉を覆っていた光は徐々にその輝きを失っていく。そして、
「大成功ね! やっぱり私ってば天才!」
 大仰な音を立てて、ゆっくりと扉が開いていく。そこから漏れだす空気はどこまでも冷たく、そして――禍々しい。ルィンの膝がひそかに笑い出した。リュミエを見れば、わずかに眉をひそめただけで、特に恐れている気配はない。時雨達二人に至っては、そもそも何も感じていないようで、むしろ表情は生き生きとしていた。扉の先に待つものへの、確かな期待。それだけだ。
 石の床をこすりながら、扉は開き続ける。それはまるで生き物のようだ。
 ルィンは思わず時雨の服を掴んだ。鬱陶しそうな顔をされたが、青褪めた顔のせいか何も言われず振りほどかれることもなかった。
 時雨はまったく魔力を持たない。感じることも出来ない。何故ルィンがこうも青褪めているのか理解できないだろう。
 それは仕方のないことだが――
 ふと、手を包まれる感触。時雨の手がルィンのそれに重なる。それは一瞬のことだったが、ルィンを安心させようとしてくれたのかもしれない。
 しかし、それでも……恐怖は絶え間なく襲い掛かってくる。
 怖い。ルィンは純粋にそう思った。
 暗黒魔術とは、言ってみれば人間とは相容れない性質を持つ魔力群だ。それが流れていれば、不愉快になったり不安を感じたりもするだろう。あくまでも、魔力に敏感な人間ならば。
 扉が、人ひとり分程の幅まで開いた。部屋の全貌は見えず、ただ白い空間が広がっているのが分かる。
「ルィン、行くわよ!」
「剣は私達のものよ!」
 時雨とリュミエが、ほぼ同時に走り出す。ルィンの手はあっさりと離されてしまった。ノクスも意気揚々と部屋に突撃していく。
 中に安置されているはずの『狂皇帝の剣』を求めて……出遅れたルィンの視線の先には、封印の鎖を巻かれた剣の姿があった。
 その周囲が纏うオーラはどこまでも――昏い。
「――時雨っ!」
 相棒の名を叫んで駆け出す。ほとんど体当たりをかます要領で――時雨の腰にしがみついた。怒られるのも殴られるのも夕飯抜きになるのも覚悟の上で、「離しなさい、バカ!」と怒鳴る時雨に首を振った。バランスを失った時雨の体は白い床に転がる。ルィンも体を打ち付けて、しかしそれでも時雨だけは離さなかった。
「なんで邪魔すんのよ!」
「い、行っちゃダメ……よく分かんないけど、あれは危ないよ……!」
 正直、物凄い形相で睨みつけてくる時雨もめっちゃくちゃ怖い。でもあの剣に時雨を近づけさせるよりは、ずっと安全だ。
「ほほほ! ここまで来て仲間割れだなんて。嫌われてるんじゃなくて?」
 封印の前で胸を張るリュミエは、見下すように声を上げる。ノクスの腕を取り「争う価値もなかったわねぇ、ノクス」と喜色満面の笑みだ。
「ま、別に争ってねーけどなー」
 悪意のないあっけらかんとしたノクスの言葉に、リュミエは「何よそれ、私ひとりで盛り上がってるみたいに言わないで」と頬を膨らませた。リュミエと時雨の二人が先走っていた感も否めないのは事実だが。
「あんたはいつまで抱きついてるのよ、離れなさい」
 一瞬の沈黙をついて、時雨がぐりぐりと頬を押してくる。ルィンはあっさりと手を離して、今更ながらに、おそるおそる相棒の顔色を窺った。
 ――無表情。
 声はそれほどでもないが、顔からは一切の表情が失われている。これは相当やばい状況だ。まさしく嵐の前の静けさ。ルィンはおとなしく手を離し、時雨を解放した。怒れる相方はさっと立ち上がって嫌味ったらしく体の埃を払う。
 しかし、今は『狂皇帝の剣』が先だ。こうして話している間にも、禍々しいオーラは絶えず空間を漂っている。ルィンも立ち上がり、しかしあまりの寒さに一歩後ずさった。どす黒いオーラが――視覚的に黒いのではなく、感覚が「昏い」と訴えているのだ――がリュミエとノクスに手を伸ばしては、うねうねと不規則に動く。
「あ、あの、リュミエさん。ノクスさんも、その剣から離れた方が……」
「その隙に奪うっていうのかしら?」
 リュミエは頑として動かない。どうしてこうも、曲がった解釈をするのか! 頭を抱えたくなる衝動を必死に抑えて、ルィンは訴えかける。
「その剣、本当に危険ですよ! 感じませんか? 寒気のするような魔力……」
「何を言っているの? この剣にも封印の鎖にも、魔力なんて残ってないじゃない。さっきまでの結界や扉と違って、もう空っぽだわ」
 ――空っぽ? そんなはずはない。現に、今もこうして魔力の波は漂っているじゃないか。
 ああ――そうだ、確かに空っぽだ。剣の魔力は全て解放され、獲物を待ち構えている。
 鎖には微弱な魔力――残りかすと表現するのが適当なほどの魔力しか感じられない。弱すぎてリュミエには分からないのだ。
「ルィン、どういうことなのよ?」
 時雨がこそこそと尋ねてくる。魔力をまったく持たず、また、感じることのできない時雨には説明しづらい。
「うん……危ないよ、あれ」
 曖昧に答えることしかできない。
 本能が告げている、危険だと。許されるのなら今すぐにでもこの部屋から逃げ出したいくらいだった。安易な好奇心を後悔した。あれは、人間とは相容れないモノだ。
 しかし、リュミエほどの魔術師が何も感じないとなると……『狂皇帝の剣』はかなり巧妙に自身の魔力を隠していることになる。敏感なルィンだからこそ気づけた部分が多いだろう。
(鎖の封印も喰い尽くしたんだろうな……)
 恐ろしいほどの貪欲さ。あとは使い手が現れるのを待つのみ、ということだろう。
「とにかく! こんなすっからかんの化石に怯えるリュミエさまじゃないのよ!」
「だ、ダメだって!」
 鎖を壊そうとするリュミエに、反射的に飛び掛ろうとする……が、後一歩のところでノクスが間に割って入り、ルィンを抱きとめた。
 リュミエは杖を構えて呪文の詠唱を始めてしまう。
「ノクスさん、違う、止めるのはあっち!」
 必死に呼びかけるも、ノクスは頬を掻いてリュミエを見やる。止める気はないようだ。
 呪文はすぐに完成する。ノクスも時雨も動かない。ただリュミエを見つめているだけだ。ルィンには時雨が何もしないというのが、意外だった。「最悪奪えばいい」とまで言っていた時雨が、この期に及んでも手を出さないなんて。
 誰もが動かずにいる空間の中で、リュミエの声だけが酷く明快に木霊した。
「――疾(はやて)!」
 もはや喰われきった封印は、いともあっさりと砕け散った。
 閃光が周囲を包み込む――

 ノクスに捕まったままのルィンが瞳を開けると、想像していた諸々のこと――剣がいきなり襲い掛かってくるとか、魔力が爆発するとか――は一切起こらず、古の魔剣を封じていた鎖はいともあっさりと断ち切られた。と、同時にあの魔力の津波も消えうせる。
(あれ……どうしたんだろう)
 どう考えても、現代の魔術師などが簡単に消せるような魔力量ではなかった。だとすれば、魔力が自らの意思でこの空間から離れたのか……しかし、果たしてそんなことが起こりうるのだろうか。
「あれだけ騒ぐから、何か起こるかと思ったけど……静かすぎて拍子抜けだわ」
「だな。もしかしたら剣が暴れだすかなくらいは思ってたけど」
 そう思ってたらなんで封印を解いたんですか! 叫びたくなるのをぐっと堪える。長年冒険者をやってると、修羅場にあえて飛び込みたくなるとでも言うのか。ならばルィンには一生到達できない境地だ。
 無残な姿を晒す鎖を見下ろす。刃と化した疾風に刻まれた鎖は、ばらばらと床に散乱している。特別な紋様が施されているようだが、こうしているとその辺に売っているような鎖と大差ない。せめてもの記念に、と比較的形を保っている破片を拾い上げた。何か研究にでも使える日が来るかもしれない。
「ま、何も起こらないのならそれに越したことはないわね。ありがたーく『狂皇帝の剣』は貰っていくわ! ノクス!」
「へいへい」
 呼ばれたノクスはルィンを解放すると、剣に近づいていく。ひょいと持ち上げて、その感触を確かめるかのように幾度か素振りをしていたが、「いたって普通の剣だなー、こりゃ。装飾はすげーけど」と苦笑した。
「普通で結構だわ。こぉんなのが大金に化けるんだから、世の中捨てたもんじゃないわよねー?」
 時雨へあてた発言だろうが、時雨は黙って睨み返しただけだった。
 ルィンはその静かさを不気味に思いながらも、去っていく二人を無言で見送る。