第一章:狂える都の跡 第七節

「ここ、結界の終わりだからね。気をつけて。始まりに戻されちゃう」
 指摘に時雨が足を止める。
 他の場所に比べると魔力の密度が違う。凝縮された暗黒魔術の気配をひしひしと感じた。暗黒魔術とは人間の性質と相反するもので、あまり長くここにいると精神的に疲弊してしまう可能性が高い。
「どうすれば抜け出せる?」
 この結界を破る方法はいくつかある。ルィンは時雨の冷たい視線に耐えながらいろいろと提案する。時雨は黙って聞いているが、それが逆に怖い。
「……で、あんたが今言った案の中で実現できるものはあるわけ?」
 ルィンが口を閉じると、すかさず鋭い問いが返ってきた。「う……」漏れるのは呟きだけ。しかし時雨にはこれで十分だったようで、額に手を当てて天を仰いでいた。
「結界の効力が切れるのを待つだとか、同じ暗黒魔術を使って結界を消すだとか、奇跡で打ち消すだとか……現実性のなさは英雄譚なみ」
 否定できないところが悲しい。自分で言っておきながら、あまりの夢物語っぷりに涙が出てきそうだ。
「で、でも何とかしないとここで死んじゃうよ!」
 足元に転がる骸骨を見やる。魔物のものもあるが、明らかに人間と思しき白骨死体も転がっている。ここに迷い込んで、そのまま出られなくなったのだろう。誰も帰ってこなかった――あながち誇張ではないのかもしれない。この城の構造自体は単純なもので、トラップの類もあまりなかった。それだけ張り巡らせた結界に自信があったということだろう。
「ほかに方法はないの? わ・た・しができること」
 ルィンの力なんてアテにしてません、という態度に、若干肩を落とす。知識だけでも頼りにされるのは嬉しいが、もっと相棒として信頼されたいと思う。何だかんだと文句を言いながらもルィンを傍に置いているのだから、それも決して手の届かない未来ではないはずだ。そう思いたい。
「大人数で奇跡をぶつけるとか」
「少なくとも、あのド派手な魔術師がいないとダメじゃない」
 心底嫌そうに顔をしかめる。派手さなら時雨もいい勝負だがそこは突っ込まないでおいた。そんなこと言おうものなら「あんな女と一緒にするな」とどつかれるに決まっている。
 殴ったりするのは時雨の過剰なコミュニケーションだと最近は割り切るようになったが、好んで痛い思いをする必要もない。
「んー、後は……」
 考え込んだとき、ふいに寒気を覚えた。心臓を握られるような、冷たい感覚。身震いして結界の切れ目――とは言っても先に道が続いているように見えるのだが――に視線をやった。
 何も変わったところはない。けれど、ここに澱んでいた魔力の質が明らかに変わった。理屈ではなく、肌でそう感じる。
 何か、導かれているような……
「――いけるかも」
「なに?」
 首を傾げる相方には答えず、詠唱を始めた。
「全能なる真実の使者よ・我・其を信ずる者・我願うは輝ける光」
 体内を流れる魔力の胎動を感じる。確かな手ごたえ。大きく息を吸い込む。
「聖光!」
 力を解放した。
 アンデッド戦の時と同じように光が浮かび上がり、まっすぐ目標に向かっていく。不可視の結界とぶつかった瞬間、光が盛大に弾け、周囲に飛び散る。
「……あら、まあ」
 時雨が驚きとも賞賛とも取れるような呟きを漏らした。
 結界が張られていた場所は一見するとなんの変哲もない道の途中だが、その景色に亀裂が入っていたのだ。そのヒビは徐々に拡大――ガラスの砕ける様に似ているかもしれない――していき、砕け散った。音もなく、景色が崩れていく。
 新たに現れたのは――
「派手魔術師!」「バカ女!」
 こちらを指差して固まるリュミエとその相方、ノクスの姿だった。

「あんたに言われたくないわ!」
「誰がバカですって?」
 リュミエが吠え、時雨が唸る。本当に仲が悪いというか、喧嘩するほど仲が良いというか……ノクスさんも大変だなぁ。何となく仲間意識が芽生える。
 ルィンの視線に気づいたノクスは肩をすくめてみせた。やれやれ、といった風だが止める様子はない。
(あっちも同じような罠があったのかな……)
 二人の後ろにはなだらかな曲線を描く廊下が続いている。ルィン達が来た道とそれほど違うところはない。そこには魔力の残り香とでも言うべきものが漂っていた。
 暗黒魔術と、神聖魔術。
 どうやら偶然にも、ルィンとリュミエはほぼ同時に奇跡を結界に放ったようだ。
 先ほど感じた、導くような魔力はリュミエのものだったのだろうか。しかし、彼女からは凍りつくような嫌な気配はしない。あれはまったく別種のものだったとルィンは確信している。
「あの分かれ道って、どっち行っても変わんなかったのかねぇ」
 二人の言い争いが一瞬止まった隙を突いて、ノクスが声を上げた。
 ルィン達四人の横にはまっすぐに伸びた道。そして、天井まで届く勢いの扉が重たく鎮座している。結界に守られていたせいか、白亜の壁はそれほど風化しておらず、薄汚れてはいるものの綺麗な状態を保っていた。
「もしかして、あれがゴール? ノクス、行くわよ!」
 誰よりも勇んで、リュミエが駆け出した。即座に続いたのは時雨だったが、数瞬遅れてノクスとルィンも走り出す。
「ああもう、また結界……」
 リュミエがぶつくさ文句を言いながら扉をチェックしている。精緻な紋様が彫られた扉は淡く光り、何かしらの術が掛けられているのは一目瞭然だった。
 追いついたルィンは「あの女よりも先に開けなさい」と時雨に無理難題を吹っかけられ、曖昧に頷きながら――時雨の期待に応えねばという気合もあるが――リュミエの隣に立つ。
「これは奇跡なんだ……剣を封じてるんだったらその方がいいよね……」
 しかし、この気配は……暗黒魔術ではないか? 漂う魔力の禍々しさは、どう考えても奇跡ではない。さっきあのループを破ったときにも察知した、ざわざわと心臓を掻き立てるようなあの寒さ。それが物凄く強まっている、気がする。
(でも、今はこっちだ)
 奇跡ならルィンの得意分野だ。幼い頃から家の術書を読み漁ったお陰で、知識だけは精霊魔術以上に蓄えている。
「これが封印の中心的な術式かな……これと、これも補助で……」
「あなた、これが分かるの?」
 リュミエが驚き顔で声を掛けてきた。「はい、まぁ……」確かにこれは、一般的に流通している術書では得がたい知識かもしれない。ルィンの実家だからこそ置いてある本はたくさんある。
(金に物言わせて手に入れた本もあったけど……)
「人って見かけや態度によらないのね」
 それはどういう意味か問いただしたい気もするが、予想通りの答えが返ってくるに決まってるので黙っておいた。時雨もリュミエも、こういうところは本当によく似ている。
 きっと悪気はないのだ。ただ余りにも衣を着せない言い方をするものだから、ぐさりと来るだけで。
「んで、扉は開きそうなのか?」
 ノクスがルィンを覗き込んできた。
「うーん……頑張れば、多分」
 ――これ言ったら時雨怒るだろうなぁ。でもあたしにはできないし……仕方ないよね、うん。そういうことにしておこう。
 曖昧に首を傾げて、頷くまでの間に決心を固めた。
「あたしには無理だから、リュミエさんにやってもらう形になりますけど」
「どうしてあんたはすぐに派手魔術師を頼ろうとするのよ!」
 案の定時雨が怒鳴ってきた。「で、でもほかに方法が……」言い訳しようと口を開きかけたところ、リュミエの高笑いに遮られる。
「ほほほ、頼りにされない相方って悲しいわねぇ。いくら腕っぷしが強くても、魔術相手じゃなーーんの役にも立たないものね?」
「え、あ、そんなつもりじゃ……」
 おろおろするルィンに構わず、リュミエが続ける。
「それよりも、ルィンだったかしら? これを解く方法って何なの?」
 にっこりと、怖いくらいの笑顔を向けられる。「えーと、それは……」ちくちくと刺さる時雨の視線に冷や汗を流しながら、簡単に説明した。
「つまり『灼然』と似た性質を持ってるのね? この封印は」
「はい。複雑なものには変わりないんですが、基本的には魔力を物体に留めているだけなんです。だから上からまた魔力を掛け直せば古い効果を打ち消せます」
 古代人の魔力に勝てるのか……そんな疑問は掻き消えた。あの魔力の流れが、扉の内へ内へと自分達を招いている。正直、行きたくない。でも、ひとりの魔術師として、この正体を自分の目で確かめたいという欲求も持っており――結局、好奇心が勝ったのだ。
「じゃあ、行くわよ!」
 リュミエは嬉々として詠唱を始めた。