第一章:狂える都の跡 第四節

「ししし時雨ぇ、待ってよ……!」
 廃墟と化した城に足を踏み入れて、少し歩いた頃。
 ルィンの腰はすでに引けていた。今にも崩れそう、というほどではないが、それなりに年月を経た城は、十二分にルィンの恐怖を煽ってくる。穴の開いた天井から零れる光は暖かいが、ルィンの恐怖心を和らげるには足りない。
「まったく、何よ」
 袖を掴まれた時雨は鬱陶しそうに振り返り、険悪な声をかけてきた。
「お、お化けとかっ! 出ないよね?」
「はぁ?」
 うんざりした口調で、
「お化けと魔物。どっちが怖いわけ?」
「お化け」
 即答。魔物は時雨が何とかしてくれるし、いざとなったら自分だって戦える、はず。でもお化けっていうのは目に見えなかったり、触れなかったり……とにかく対処のしようがない。
 その昔、ルィンが眠るまで、と母が読み聞かせてくれた絵本は必ずと言っていいほどお化けが悪さをするものだった。幼心にすっかりその恐ろしさが刻み込まれて、今日の恐怖を生み出しているのだろう。少し母が恨めしい。
 呆れ果てたような時雨の背中を見ながら、またしばらく進む。スライムやゴブリンなどの低級の魔物もいたが、襲い掛かってきたものはあっさりと時雨の刀に沈められた。
「あら……じゃあアレはどうなの、アレは」
 ふいに時雨が立ち止まり、振り返った。
「アレ?」
 時雨が指差す先――まっすぐ伸びた廊下の、突き当たり。蠢く複数の影があった。それは人の丈ほどの大きさで、何をするでもなくぼうっと突っ立っている。
「アンデッド!?」
 ルィンも書物で何度か読んだことがあるが、実際に見るのは初めてだった。絶対数は少なく、百匹魔物がいたら三匹いるかどうかといったところだ。加えて発生場所も限定的だから、なおさらアンデッドの姿を拝む機会は減る。
「腐乱死体が五匹、か……あいつらって強いわけ? 私も初めて見たわ」
 もとからアンデッドが集まる場所ならともかく、こんな湿気も少なく日の光が届く廃墟で五匹とは、なかなか多い。
「うーん……単体での能力はたぶん、そんなに高くないと思う。でも普通の攻撃は効かないから魔術で……」
 そこまで言って、あ、と漏らす。
 普通の攻撃、つまり時雨の刀は効果がない。それは別の言い方をすると、魔術で倒す以外に道はないということになる。悪いことに、時雨はまったく魔力がなくて――
「あらそう。じゃあ、魔術師さま、宜しく」
「えーっ、むりむりむり! 逃げようよ!」
 思わず大声で反論するルィン。――刹那、己の失態を悟る。視線を彷徨わせて立っていたアンデッド五匹が、明確にこちらを見たのだ。どこまでも深い闇の双眸に見つめられて、怖さに一瞬意識が遠のく。
「無理ですって? あれはお化けじゃないのよ。怖くないでしょ」
「やっぱり両方怖い」
 素直に前言を撤回した。時雨は嫌味ったらしく息を吐くと、へばりつくルィンを引っぺがして、腰の刀を抜き放った。すらりとした刀身が光を受けて煌く。ルィンも申し訳程度に杖を構えた。

 やはりと言うべきか、ルィンの魔法はことごとく失敗。アンデッド五匹に囲まれた時雨が「マジメにやんなさいよ!」と怒鳴るが、ルィンはいたってマジメに詠唱しているつもりだ。
(あーん、どうしよう。時雨には逃げるって選択肢がないの?)
 交戦開始からまだ少しも経っていないが、ルィンの額には早くも脂汗が浮いていた。こんな場所では大地の魔術は使えず、炎魔術を試してみたのだが……ろうそく程度の火しか発動してくれなかった。
 アンデッドの動きはすこぶる遅い。時雨は時によけ、時に切り伏せ、と難なく相手をしていた。斬ったそばから再生していくから、やはり魔術で倒すしかないのだと、時雨の無言の圧力が徐々に強くなっているのを感じる。
「いい加減、刀が変な汚れ方するの嫌なんだけど。あとこの臭いも」
 一閃。刀についていた腐肉やらが飛び散った。それがルィンの近くにも飛んできて、その悪臭に思わず鼻を覆った。時雨はすでに鼻が麻痺しているのか、そんな様子はない。
(あ、じゃあ奇跡試してみようかな)
 精霊魔術よりも初歩の術しか練習したことはないが、成功率は高いはずだ。ルィンの家は代々奇跡に長けた者が多く出ているから、自分だって――
「全能なる真実の使者よ・我・其を信ずる者・我願うは輝ける光」
 詠唱中、確かな魔力の流れを感じた。これならいける! ルィンは確信し、叫ぶ。
「聖光(ひじり)!」
 白い光がルィンの指先から生まれ、腐乱死体に向かって一直線に伸びていく。その中の一匹を優しく包み込むように広がり――弾けた。一瞬だけ目を焼かれたが、すぐに収まる。
 そこには――中途半端に浄化された腐乱死体の姿。ところどころパーツが足りてないが、動けなくなるほどのダメージは負っていないようだ。
「あちゃー……」
 額に手を当てて唸る。原因はすぐに分かった。ルィンの魔力が低いせいだ。奇跡は精霊魔術とは違って、自身の魔力を聖なるものに変換して使うため、術者の実力がもろに響いてしまう。
(浄化使ったの初めてだったし……成功しただけラッキーだよね、うん)
 思うだけで、決して口にはしない。時雨が「それだから成長しないのよ!」と怒るに決まってる。
 奇跡は正式には神聖魔術と言い、治癒の術が主なものとなる。ルィンが使った「聖光」のように暗黒魔術やアンデッドに対抗する類のものもあるが、あまり一般的ではない。現代では暗黒魔術自体が禁止されているし、アンデッドの数が少ないからだ。
「ルィンさーん? 残ってますけどー?」
 よたよたしてる腐乱死体。時雨が刀で突っつくと、あっさり地面に倒れた。そのまま起き上がれなくなったようで、懸命に立ち上がろうとする姿はなんともいじらし……くはない。時雨がそれの背に刀を突き立てて地面にはりつけるが、それでも動きを止める様子はなかった。
 はっきり言って気持ち悪い。ルィンは吐き気を気合で飲み込んで訴える。
「やっぱり無理だよ時雨ー!」
 泣き言を漏らすルィンに、時雨が呆れたように口を開きかけた、そのとき。
 ルィンの横を駆け抜ける影があった。ロングソードを手にした男だ。
「どりゃあっ!」
 男は気合の掛け声と共に腐乱死体に斬りかかる。一薙ぎで二匹が沈み、残りもすぐに片付けられた。再生する気配はない。
「なんだ、あっけねぇな」
 男がぼやく横で、時雨がこちらを睨んでくる。
「ちょっとルィン、アンデッドは剣が効かないんじゃなかったの?」
 時雨の鋭い声音に、冷や汗が流れ落ちる。実は心当たりはあるが、それを言うと時雨にバカにされるか怒られるかしそうで怖い。
「う、うん……そのはず、だけど……」
「ほほほ! やっぱり、たかだかゾンビなんてノクスの敵じゃなかったわねぇ!」
 ルィンの弁解に、甲高い女性の声が重なった。