第一章:狂える都の跡 第二節

 ルィンが窓を閉めたのと同時に、トントン、と遠慮がちに扉が叩かれた。返事をするより早く、
「そろそろ宿代を払って頂きたいんじゃが……」
 ――やば。
 魔物の咆哮よりも恐ろしい、この宿の主人自らの催促だ。冷や汗が流れる。
 ルィンと時雨が拠点としているのは観光名所も名物もこれと言ってない町、ソフラだ。唯一の取り柄は物価が安いことくらいで、この宿も王都などと比べたら(比較するのも馬鹿らしいけど)破格の値段で泊めてもらえるのだ。たとえば王都では平均して銀貨五枚くらいが必要だが、ここなら銀貨二枚ほどで足りる。
 それなのに、滞納している自分達……少し情けなくなりながらも、
「も、もうちょっと待って頂ければと思うんですけど……」
 扉越しに懇願する。もう何日分溜めてるのかも分からないが、主人自ら来るようでは相当な額になっているんだろう。申し訳なさすぎて、面と向かって話す度胸がない。
「うーむ……どのくらいかの」
「えーと……」
 言葉に詰まる。財布を握っているのは時雨だ。ルィンはあまり金銭管理には関わらせてもらえない。感覚が狂ってるかららしいのだが、最近はほいほいとモノを買わなくなっただけ成長していると思う。時雨に言わせればまだまだダメなんだそうだが。
「次の仕事が終わったら払えるかなぁ、って」
「この前もそう聞いておったんじゃが」
 ごめんなさいごめんなさい。心の中で即座に謝罪する。こんな状況にも関わらず追い出そうとしない主人の優しさに涙する一方で、自分達の懐の寒さに咽ぶ。
「まあ、時雨ちゃんが帰ってきたらまた話してみるよ」
 財布を握っているのは時雨だと知っている主人は、そう言って引き下がってくれた。扉一枚隔てた向こう、主人が困ったようにひげを撫で付けている姿が物凄く鮮明に浮かぶ。
「本っ当に、ごめんなさい……」
 呟いて、扉に向かって土下座しておいた。

 宿の主人が去ると、入れ替わる形で時雨が帰宅した。
「あんた何やってんの?」
「……ちょっと、床の隙間にゴミがあるなーって思って」
 土下座したままのルィンに時雨が不審の目を向ける。適当に言い訳して「何か仕事あった?」話題を変えた。
「もちろん。手ぶらじゃ帰ってこないわよ」
 上機嫌とまではいかないものの、それなりに機嫌はよさそうに見える。条件のいい仕事があったんだろう。
 ルィンの隣に腰を下ろして、「次のはね」と話し始める。
「ずばり、『狂皇帝の剣』を持ち帰ること!」
「は!!?」
 驚きのあまり口をあんぐりとあけて固まる。
 狂皇帝。現在ノーリア大陸を支配しているエルピス王国が建国される前、この大陸を支配していた強大な帝国があった。そこの最後の皇帝を、そう呼ぶのだが……
「な、なんでいきなりそんな難易度の高い仕事を選ぶの!?」
 剣は帝国の首都サーイン跡にあると言う。しかし、そこへ行って帰ってきた者居ないとか……噂が噂を呼び、尾ひれ背ひれがついて誇張されているのかもしれないが、明らかなのは「ルィンがこなせるレベルではない」ということだ。
 しかも帝国の首都サーインはエルピス王都とは反対側にある。ソフラはどちらかといえば王都よりに位置するため、サーイン跡に行くまでに結構費用がかかったりする。
「きょ、『狂皇帝の剣』ってかなりヤバいんでしょ?」
 かつて家にあった文献で読んだことがある。時雨がにやりと笑い、
「意思を持ち、人の生き血を求め、所有者を破滅へと導く……物好きな貴族連中の好きそうな設定だこと」
「せ、設定じゃなくて事実じゃん!」
 その剣を持った頃から、皇帝はおかしくなったと伝えられている。気に入らない者は即処刑、それに異を唱えた者ももちろん処刑、時には快楽のために人を処刑していたそうだ。それだけでも十分恐ろしいし異常なのだが、全て皇帝が手を汚していたというのだから、さらに異常性は増す。
 皇帝自身は反乱軍に討たれたが、剣は魔力に守られ破壊することは出来なかった。反乱軍達は苦肉の策として剣を城の最奥部に封印し、サーインに結界を張った。のだが……
「数百年も経てば結界も脆くもなるわよね、魔術師さま?」
「まあ、ねぇ」
 あえて皮肉には触れず曖昧に頷く。
 時雨の言葉通り、結界が破れ中に入れるようになったのは数年前の話。ルィンがまだ冒険者にただ憧れを抱いていた頃だ。
 それ以前は、結界により周囲から完全に隔絶され、姿さえも視認できなかった。そこにはただ不毛な大地が広がるばかりだったのだ。サーインの場所は数百年という時の中に置き去りにされていたため、当時は大騒ぎになり、国の調査団だの腕に覚えのある冒険者だのが詰めかけた。
「でもほら、誰も帰ってこなかったっていうじゃん。やめようよ」
 そんな話が広まったものだから、廃墟には誰も近寄らなくなった。ルィンももちろん、関わりあいになりたくない。
「誰一人帰ってこなかったというのなら、私達が最初の生還者になりたいと思わない? 冒険者心がうずくでしょ?」
 全っ然うずきません。時雨自身、絶対にそんなことはどうでもいいはずだ。
 本心は、間違いなく、お金。
 その証拠に、不気味な呟きをもらし続けている。
「うふふ、意思を持った剣ね……どのくらいの値段で買い取ってくれるのかしら、クライアント様は……仕事の成功報酬とは別に、剣自体を買い取ってくれるそうよ。さすが、ディーズィル家ね」
 自他共に認める守銭奴、秋永時雨。金銭が絡んだときの時雨の迫力は底知れず。これではルィンが何を言っても聞く耳持たずだろうが、物凄く聞き捨てならない単語があったので反論を試みる。
「ディーズィル家!? やめようよ、あそこなんて絶対お金ケチるって! 値切ってくるに決まってる!」
 あそこはかなり力を持った貴族で、代々優秀な神聖魔術の使い手を輩出している。また、現当主が珍品コレクターとしても名高く、仕事を探しているとその名前を目にする機会は多い。要求される品の難易度の高さもあり――いや、時雨ひとりなら出来るのかも――今まで一度も受けたことがなかった。それが今回、こんな超難度の仕事を持ってくるとは。
「……もっと安全で簡単な仕事はなかったの? これはいくらなんでも」
「あら、ディーズィル家は金払いのよさでは有名よ。それに、これを見てもそう言える?」
 ルィンの言葉にむっとした様子で、時雨は財布を取り出した。
「さっき、宿のじーさんに言われたわよ。宿代払ってくれって」
 ひっくり返された財布から転がり出たコインがこつん、と床にぶつかり、転がっていく。銅貨数枚と銀貨が一枚……これがいかに逼迫した状況なのかは金銭感覚のおかしいルィンでも容易に理解できた。明日ご飯を食べたら確実に路銀が尽きる。宿代を払うなんてはるか遠い夢だ。
「ここらで一発当てとかないと、後がないわけ。もう魔物の捕獲とか銀貨一枚の報酬とか言ってる場合じゃないの。私達に必要なのは、金貨が大量に転がり込んでくるような、大仕事……分かるわね?」
 ルィンは沈黙するしかなかった。